夏の雪 ハネムーン編
白銀に輝くゲレンデ。蜃気楼のように浮かび上がる、雪に覆われた尾根。
辺りはスキーを楽しむ若者や、都会では見ることのできない深雪にはしゃぎ回る子供たちが、忙しない都会の現実から解放されたかのように、無邪気に飛び跳ねている。
私はあなたに手を引いてもらって初めてのスキーをエンジョイする。あなたは私の手を引いて、転げながら、雪にまみれながら、そして――二人の愛を確かめ合いながら、雪の坂道を二人で笑いながら転げ落ちて……。
和弘さん、憶えてる? 私たちが約束した、新婚旅行の予定。
あなたは学生の時からスキーが趣味で、冬になれば私よりも山。どんなに私が会いたいと言っても、
「山が俺を呼んでるんだ」
とか言っちゃって、私を一人ぼっちにしていたよね。
でも私はそれでよかった。あなたさえよければ、私は待っていることができたから。
なぜ、って? 今更そんなこと訊かないでよ。私はあなたを愛していたから、あなたが満足してくれればそれでいい、と思っていたんだもの。
でも、私たちの念願がかなって、やっとここまでたどり着いた。ほら、見て。あの急な坂が、あなたが言っていたスキー場でしょ?
えっ、違うの? ごめーん。だって私、車を運転するのって久しぶりだし、山道なんて分かるはずもないわよ。
それじゃ、どう行けばいいの? ねえ、ねえったら!
やっぱり何も言ってくれないのね。そりゃ、車の乗り心地が悪いって言われたら、私だって何も言えない。だってさ、初めて行ったレンタカー屋さんに、軽トラしかなかったんだもん。
でも見てよ。冬はごま塩みたいに人が集まるらしいけど、今は誰もいないじゃない。
私たちの新婚旅行、やっぱりこうでなくっちゃね!
でも……。こうして二人で旅行できるなんて、夢にも思っていなかった。だってさ、あなたは結婚しようって言ってくれたものの、実際に会うことは少なかったし、デートだって数えるほどしかしたことがない。正直言って、私、騙されてるのかな、って思ったりもしたのよ。
あなたの友だちから聞いたんだけど、あなたの好みって、相当うるさいらしいわね。背が小さくて、それでもぽっちゃりしてて、目が二重で、色白で、長い髪をうしろで束ねて、そして……。
あーもう! つまり、テレビに出てくるアイドル歌手のような女の子が好きなのよね。
そんな子、この世に存在するわけないじゃない。あれは画面の中の虚像であって、直接間近で見たら、どこにでもいるドブスに決まってるんだから!
でも……。私、そのドブスの仲間なのよね。しかもあなたの好みとは全く逆の、背が高くて、髪は短くて、目は一重で……。
それでもあなた、私のことを「好き」って言ってくれた。そして「結婚しよう」とも言ってくれた。
私がどれほど嬉しかったか、あなたに分かる? そんなこと言われたの初めてだし、どう考えていいのか分からなかった。だからあなたのプロポーズを素直に受け取れなかったし、飛び込んで行く勇気もなかった。
だってそうでしょ? プロポーズされたのは初めてだし、恋人ができたのだって初めて。
でも、そんな私に勇気と自信を与えてくれたのは、そう、あなた。
だから私、あなたのお嫁さんになることに決めたの。
でも、あなたは……。
いや、それから先のことは、ここでは言いません。だって、せっかく楽しみにしていた新婚旅行に来ることができたのだから。
さ、ここからちょっとでこぼこ道だけど、我慢してね。
目的地はすぐそこだから……。
ゲレンデから見ると、崖の上に突き出ているように見える山小屋。今にも落ちるんじゃないかって心配していたのは、スキー歴が一番長い、あなただっていうじゃない。
いつも強がっているくせに、本当に臆病なんだから。
さてと、ここからが大変よね。この坂を登るには、眠っているあなたをおぶって行かなきゃならないんだから。やっぱりスキー場って、冬に来るもんだわ。こんなクソ暑い夏に来る人って、私たちくらいかもね。
でも、そろそろ睡眠薬が切れてくる頃じゃないかしら。
早くしなきゃ。あなたが目覚める前に、私たちはあの山小屋で結ばれるんだから……。
ちゃんとした結婚式はできなかった。あ、その前に、ちゃんとしたデートだってしていなかったっけ。
そう、あなたからのプロポーズも、高校の同窓会で騒いでいた酒の勢いで言ったってことくらい、もちろん承知してたわ。だって私だけではなく、誰にでも同じことを言っていたじゃない。私、知ってたんだから。あなたは酔っ払うと、冗談半分で女を口説く――いや、雰囲気を盛り上げる演出だってことぐらい、分かっていたはずなんだけど。
それでも私、本気にしたかった。プロポーズの言葉も、新婚旅行の空想的な話も、本当に実現したかったの。
だから……。
私、十年前の高校入学の時から、あなたのことが好きでした。クラスは三年間同じだったし、大学も同じ。さすがに同じ会社への就職はできなかったけど、それでも道端ですれ違えれるほどの近い場所に、私は職場を見つけたわ。通勤途中や退社のときに、少しでもあなたの顔が見られたら、それでよかったのだから。
でもあなたは、最後まで私の気持ちに気づいてくれなかった。三年ぶりにあった昨日の同窓会だって、私と目が合ったとたん、
「あれ、君、誰だっけ?」
私、悲しくなっちゃった。名前を言うまで、私のことが分からなかったなんて……。
そりゃ、OLになってから少しは変わったかもしれないけど、七年ぶりに会った男の人だって、私だと分かってくれたのに。
そして――。私、びっくりしました。だって同窓会が、あなたとクラスで一番美人だった美加との婚約発表の席になるなんて思ってもいなかったから。
でも、二次会、三次会まで行って、あなたは泥酔してくれた。そして私を祝福するかのように、美加も用事があるといって帰って行った。
道端で眠っているあなたを運ぶのって、大変だったんだから。乗用車だったら後部シートに寝かせればよかったんだけど、軽トラだもの。荷物みたいに毛布でくるんで、青いシートをかぶせるのが精一杯。警察に見つかったらどうしよう、って、ビクビクだったんだから。
――さ、着いたわよ。いいかげんに目を覚まして。二人だけの山小屋なのよ。ゲレンデにだって誰もいやしない。
え……雪? バカね、真夏に雪なんて降るわけないじゃない。
雪はないけど、これから私たちの結婚式よ。
そう、そのソファーが新郎の席。ほら、ちゃんと座らなきゃ倒れちゃうじゃない。
私? もちろんあなたの横に決まってる。そしてほら、キャンドルサービスの時間よ。
客席テーブルのキャンドルは、って? 大丈夫! 目の前のキャンドルに火を灯せば、私が予めばらまいておいたガソリンに引火して、この山小屋ごと祝福の炎に包まれるはずだから。
ほら見て! 細長い百円ライターに見えるかもしれないけど、ちゃんと紅と白のリボンを結んで来ました。披露宴で使うキャンドルだもの。これくらいの飾り付けはしなくちゃね。
さ、私と一緒にこれを握って。――そう、それでいい。
「和弘さんと私の結婚を祝って、点火!」
ライターの先にポッと灯った火が、目の前の小さなロウソクに灯火を投げる。細くて短い導火線のようなロウは、あっという間に溶けて、テーブルから床に撒いてあったガソリンに引火。炎は瞬く間にこの部屋に広がって、私たちは二人っきりの世界に旅立つ……。
「う……うーん……」
和弘さん、目を覚ましたの? 良かった! 私を見て。そしてギュッと抱きしめてよ。
「あ……熱い!」
どうしたの? そんな急に立ち上がらないでよ。それに……どうしてそんなに怖い顔をしてるの? 私とあなたは、やっと結ばれるのよ。
あ、待って! どこに行くの? そのドアを出たら、私、一人っきりになるじゃない。待って、待ってよ……。
そうか、分かった。あなたが不満だったのは、雪がないからでしょ。スキーヤーのあなたには、物足りなかったのかもしれないわね。
でもね、夏でも雪が降ることがあるって、私、今気づきました。ほら、見てよ。焼け落ちる壁や柱から、私の上に降り注ぐ白い灰。死を覚悟した人間にとって、それは雪に見えるものなのよ。
私、眠くなって来ました。身体のほとんどか雪に埋れ、もう立ち上がることもできません。
和弘さん、先に行ってるから、必ず追いかけて来てね。私、ずっと待っているから。
薄れて行く意識の中に、何だか聞いたことがあるような音が遠ざかって行く。
夏の雪に埋れる私は、小さくなって行く軽トラの音を、微笑みながら聞いていた……。
終わり




