‡花びら3枚‡
肉体を持たない者にとって、時間の経過とはずいぶん希薄な存在なのらしい。
陽に溶け、風に揺られ、緑の匂いにまどろんでいる間に、気付くと平気で五日や十日が過ぎてしまう。
数日振りの目覚めの時、私は一番に桜の枝を見上げる。
そこには決まって、ミオンの凛々しい姿があった。
それを確認した時の気持ちを、どう表現したらいいだろう?
ミオンが無事でいたことの安心。帰らぬ私を待ち続けていることの切なさ。その健気な愛情への感動。それに報いてやれない、悔しさ………
(ねえミオン、どうして、そんなに健気に待っていられるの?)
私の死を目の当たりにした、唯一の目撃者がミオンだというのに。
ミオンは艶やかな体毛を舌で整え、軽く伸びをしてからまた、きちんと枝の上に座り直した。
あんなゴツゴツした木の枝の上なんて、さぞかし座り心地が悪いだろう。
(あんなに神経質で、居場所にこだわる子だったのに)
由香里が買ってきた高価な猫用ベッドより、母親お手製の不細工なクッションの方を好んだ、可愛い黒猫。
(あの時の由香里、すごい顔してたよねえ、ミオン)
ゆらゆらと過ぎる不安定な時の流れの中で、私は思い出という名の砂糖菓子を、いくつもいくつも口に含んだ。
それはかつて、当たり前なこととして時間に埋没していた日常。特別意識したこともない、ごく有り触れた毎日の生活。
その一つ一つがどれだけ尊く、掛け替えの無いものだったことか。
私は目を閉じ、親しかった者達のことを考える。
父や母や妹、友人達、バイト仲間、世話を焼いてくれた教師や上司。
皆、悲しんでくれた。涙を流して、絶対に犯人を捕まえてみせると、堅く誓ってくれさえした。
(それだけで、充分)
人間は強い。
悲しみや悔しさはそう簡単には消えないだろう。けれど、やがて必ず風化していく。
死んだ人間のことをいつまでも嘆いて沈んでいられるほど、人の生活は楽でも暇でもないものだ。
残された人々は私の死を理解し、たっぷりと悲しみの涙に溺れた後、必ず諦めて次に進む時期を迎える。
では、ミオンは?
私の死を理解していない黒猫。
理解していない故に、次に進む術を持たないミオン。
二度と戻らない主人を、いつまでも期待を抱いたまま待ち続ける。
ああ、と私は喘いだ。
体も持たないのに、熱い涙がとめどなく頬を濡らして止まらなかった。
(どうして、こんなことに……)
愛猫と過ごした日々、その思い出。
それらはどれも鮮やかな色彩に満ち溢れ、春の陽光のように暖かく輝いている。
拾われて来たばかりのミオンは本当に小さかった。固形物を与えてもうまく食べられず、馴れない手つきでミルクを飲ませたことを、今でもよく覚えている。
片手にすっぽり収まったまま小さな前足で掴まり、必死で哺乳瓶の口をくわえる姿は、本当に可愛いくて、可愛いくて。
(もう待たなくていいよ。もういいんだよ。ミオン……)
切実な祈りは、それでも伝わることのないまま。




