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‡花びら1枚‡

 バイトを終えて、いつも通りの帰り道。

 穏やかな春の夕陽に照らされながら角を曲がると、桜の木に囲まれた小さな公園が見えてくる。

 春真っ盛りの今、薄桃色の綿飴のような花の美しさは圧巻の一言。 

 優しく零れる花弁に目を細めながら歩いて行くと、一本の桜の木の枝にちょこんと座る、すらりとした黒猫の姿が目に入った。

「ただいまあ」

 私は友人にするように、片手を上げてゆっくりと振ってみせた。

 太い幹の上でニャアと鳴いた黒猫の名は、ミオン。

 私が付けた名だ。この公園に捨てられていた彼女を見付け、拾って連れ帰ったのはもう、二年も前のこと。


 ミオンはとても賢い猫で、私が駅から家までのショートカットとして公園を横切ることを知るや、毎夕こうして出迎えてくれるようになった。

 お気に入りらしい、特別大きな桜の、一番下の枝に座って。

 今や日課となっている愛猫のお出迎え。毎日のことなのに、やはり今日も新鮮な嬉しさに胸が踊る。

「ミオン」

 黒猫の名を呼んで小走りになりかけた時、後ろから人の足音が聞こえた。

 気にすることなくミオンの所に急ごうとすると、背後の人物が急に走り出した気配がした。


 どん。


 それは、振り返りかけたのと、ほぼ同時。


 いきなり熱湯を浴びせられたかのような熱が背中に広がり、強烈に弾けた。


「……っ!」


 声を出す間もない。

 私は意思に反して前のめりによろめき、次の瞬間、二度目の熱が背中の別の部分で炸裂した。

 それはあまりに強すぎる為に熱としか感じられない、痛みの感覚だったのだけれど。

 私は地面に顔から突っ伏し、鼻孔一杯に広がる土の匂いを嗅いだ。

 俯せになった私を、容赦なく押さえ付ける重い感触。

 荒い息遣いが耳に触り、肩、背、腰と続け様に振り下ろされる、凄まじい衝撃。

 ミオンが、叫ぶような声で鳴くのを遠く聞いた。


 ショックで霞んだ視界の先に、こちらに走って来るミオンの姿が映った。私は駄目だと制したいのだけど、開いた口から溢れたのは、濁った音と大量の血液だけだった。

(ミオン…)

 混乱と脱力の狭間で弱々しく呟いた時、フッと掻き消えるように背後の圧迫感が無くなった。ジャリッと乱暴に土を踏む音が聞こえた刹那、慌ただしく走り去る気配と音を辛うじて感じた。 もう目も見えてはいなかったけど、その足音が向かったのが元来た公園の入口、ミオンとは逆方向だということだけは分かった。

(ああ、良かった)

 深い安堵。






 それが、私が生きているうちに感じた、最後の感情となった。

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