第8話:古代タブレットと「管理者権限」
王立魔導学院の授業は、実技だけではない。
魔法の歴史、理論、そして古代文明の遺産を学ぶ「魔道具史概論」もまた、必修科目の一つである。
階段教室に集まった数百名の生徒たち。
その最前列中央には、ヴィンセント・ヴォン・ヴァルディアが鎮座していた。
彼が席に着くと、半径5メートル以内の席が空白になる。これは「魔王の玉座」に対する敬意(という名の恐怖)によるものだが、ヴィンセント本人は「広くて快適だ(ソーシャルディスタンス確保)」と好意的に受け取っていた。
(今日の授業は……古代遺物の解析か。退屈だな)
ヴィンセントは欠伸を噛み殺した。
この世界の「古代文明」とは、数千年前に滅びたとされる高度な魔法文明のことだ。
だが、転生者であるヴィンセントには分かっていた。
あれは魔法文明ではない。「科学文明(前世に近いテクノロジー)」だ。
どうやらこの世界は、一度科学が極限まで発達し、何らかの理由で崩壊した後、魔法という概念で再構築されたポストアポカリプス的な世界らしい。
「――静粛に」
教壇に立ったのは、老齢の教授だった。
分厚いレンズの眼鏡をかけた、考古学の権威・ガリレオ教授である。
彼は震える手で、教卓の上に「ある物体」を置いた。
「諸君、心して見るように。これこそが、先日王家の遺跡から発掘された、Sランク古代遺物……『賢者の石板』じゃ」
教室がどよめいた。
生徒たちが身を乗り出す。
そこに置かれていたのは、黒く光沢のある長方形の板だった。
大きさはA4サイズほど。表面は完全な鏡面仕上げで、傷一つない。
(……タブレット端末だな)
ヴィンセントは一瞬で看破した。
どう見ても、前世でよく見かけたハイエンドモデルのタブレットだ。しかも、メーカーロゴに見覚えがある。彼が前世で勤めていたブラック企業の親会社、巨大ITコングロマリット「ゼウス・エレクトロニクス」の旧型モデルだ。
(懐かしいな。型番は……Z-Tab 5000か? 十年前の化石スペックじゃないか)
ヴィンセントにとっては「産廃」だが、教室の反応は違った。
「おお……なんと美しい黒曜石の輝き……!」
「魔力を全く感じないのに、この存在感……まさに神の遺物だわ」
「聞いたことがあるぞ。あれには古代の英知が封印されており、選ばれし者だけがその封印を解くことができると……」
ガリレオ教授が厳かに告げる。
「この石板は、過去数百年にわたり、誰一人として起動に成功した者がおらん。王宮の賢者様たちが束になっても、微動だにしなかったのじゃ。……だが! 我が校の優秀な生徒諸君の中に、もしや適合者がいるかもしれん。順に触れてみるがよい」
実習が始まった。
生徒たちが一人ずつ教壇に上がり、恐る恐るタブレットに手を触れる。
「……反応しません」
「くっ、魔力を込めても弾かれる!」
「冷たい……拒絶されているわ」
次々と失敗していく。
当然だ。魔力を流したところで、電化製品が動くわけがない。必要なのは魔力ではなく「電力」と「正しい操作」だ。
やがて、ヴィンセントの番が回ってきた。
彼が席を立つと、教室の空気が張り詰めた。
黒のロングコートを翻し、壇上へと歩むその姿は、封印されし魔王が自らの武器を取り戻しに行く儀式のようにも見えた。
「ヴィンセント様……」
「あの方なら、あるいは……」
固唾を飲んで見守る生徒たち。
ヴィンセントは教卓の前に立ち、タブレットを見下ろした。
(保存状態は悪くない。バッテリーは……この時代の魔力溜まりの影響で、ワイヤレス充電され続けていたのか? 過充電で膨張してなきゃいいが)
彼はエンジニアとしての興味から、無造作にタブレットを手に取った。
周囲が「おおっ!」と息を呑む。
彼は側面を指でなぞり、物理ボタンを探った。
(あった。電源ボタン)
長押し。
3秒。5秒。
ブブッ。
微かな振動と共に、漆黒の画面に光が灯った。
ゼウス・エレクトロニクスのロゴマーク――稲妻を掴む手のアイコン――が白く浮かび上がる。
「なッ……!?」
「ひ、光ったぁぁぁぁぁ!!」
「数千年の眠りから目覚めた!? ヴィンセント様が触れただけで!?」
教室中がパニックになった。
ガリレオ教授など、腰を抜かして教卓の下に隠れている。
だが、ヴィンセントは眉をひそめていた。
(起動が遅い。ブートシークエンスに10秒もかかるとか、いつの時代のOSだよ。最適化されてないな)
やがて、画面が切り替わり、ロック画面が表示された。
そこには、古代文字(英語)でこう書かれていた。
Enter Passcode
そして、4桁の数字入力パッド。
「……封印術式だわ!」
「見たこともない文字……あれは神代の言語!?」
「解読不能だ……あんな複雑な幾何学模様、人間の脳では理解できない!」
生徒たちが絶望的な声を上げる。
彼らにとって、英語とアラビア数字は、未知の魔法陣に等しい。
だが、ヴィンセントにとっては「親の顔より見たログイン画面」だった。
(パスコードか。……この時代の遺物なら、どうせ所有者はセキュリティ意識の低い一般人だろ)
彼は迷わず、人差し指を伸ばした。
エンジニアの勘。あるいは、人間の怠惰さへの信頼。
彼は、世界で最も使われている、そして最も愚かなパスワードを入力した。
『0000』。
ピッ、ピッ、ピッ、ポン。
軽快な電子音が鳴り、ロック画面が解除された。
「……開いた」
ヴィンセントは拍子抜けした。
セキュリティ・ホール以前の問題だ。ザルすぎる。
だが、周囲の反応は劇的だった。
「せ、千年の封印を……一瞬で!?」
「何の詠唱もなしに、神代の暗号を解読したというの!?」
「あの指の動き……迷いがなかった。彼は『答え』を知っていたんだ!」
画面がホーム画面へと遷移する。
そこには、デフォルトの壁紙と、いくつかのアイコン。
そして、画面中央にポップアップウィンドウが表示された。
System Initialize...
Welcome, Administrator.
(お、管理者権限(admin)でログインできたか。ラッキーだな)
ヴィンセントはニヤリと笑った。
管理者権限があれば、システムの深層領域(root)までいじれる。
彼は手始めに、ターミナルアプリを起動した。
黒い背景に、緑色の文字が流れる。
> Hello World
彼はテストとして、プログラミングの最初の儀式である文字列を打ち込んだ。
その瞬間。
教室の最前列にいた、古代語を少しだけ齧っていた女生徒――図書委員長のミネルヴァが、白目を剥いて絶叫した。
「『ハロー・ワールド』……!!」
「ミネルヴァ!? どうしたんだ!」
「あ、あの文字……古代の碑文にある、創世記の言葉よ! 『世界よ、こんにちは』……つまり、『我、世界に降臨せり』という神の宣言!!」
「「「な、なんだってー!!?」」」
教室が爆発した。
生徒たちは席から立ち上がり、ヴィンセントに向かって一斉に平伏した。
「神だ……神が降臨されたぞ!」
「ヴィンセント様は、古代の王の生まれ変わりどころじゃない……この世界を創造した『管理者』そのものだったんだ!」
「ああ、尊い……! その指先一つで、世界の理を書き換えていらっしゃる……!」
ヴィンセントは、生徒たちの奇行を完全に無視していた。
彼は今、タブレットの中身を確認するのに忙しかったからだ。
(……なんだこれ。ゲームアプリしか入ってないぞ。「ソリティア」「マインスイーパ」……仕事しろよ古代人)
彼は舌打ちをした。
せっかくの高度な文明の遺産が、ただの暇つぶし道具だったことにガッカリしたのだ。
「チッ、リソースの無駄だ。初期化するか」
彼はボソッと呟いた。
その言葉を、地獄耳の生徒たちが拾ってしまった。
「『初期化』……!?」
「き、聞いたか!? ヴィンセント様、この世界を『無駄』と断じて、リセットするおつもりだ!」
「世界の終わりだ……! ノアの大洪水ならぬ、ヴィンセントの大消去が来るぞ!」
「お許しください! 我々は有益な存在になります! どうか消去だけは!!」
パニックは頂点に達した。
生徒たちは涙を流して命乞いをし、一部の狂信的な女子生徒(黒の騎士団予備軍)は、「いっそ私を初期化して、貴方好みの色に染め直してください!」と叫んで服を脱ぎそうになっている。
(……うるさいな。集中できない)
ヴィンセントは、設定画面を開き、音量設定をミュートにした。
同時に、画面の輝度を調整し、ブルーライトカットモードにする。
(よし、これで目にも優しい。……ん? このアプリは……)
彼は一つのアイコンに気づいた。
『Map Data - Ver.2025』。
地図アプリだ。
起動すると、この世界の――いや、数千年前の世界の精細な地図が表示された。
そこには、現在の地形とは異なる海岸線や、今は失われた都市の場所、そして……「地下ダンジョンの全貌」が記されていた。
(おいおい、これ学園の地下ダンジョンの設計図じゃないか。……なるほど、ここは元々『地下核シェルター』だったのか)
ヴィンセントは驚愕の事実に気づいた。
ダンジョンの各階層の構造、隠し通路、換気システムの制御盤の位置。全てが記載されている。
これさえあれば、ダンジョンの攻略どころか、環境改善も思いのままだ。
(換気扇のスイッチは地下10階か。……よし、今度ついでに押しに行くか)
彼は満足げに頷き、電源ボタンを押してスリープモードにした。
画面が消える。
同時に、彼は顔を上げた。
シーン……。
教室中が、水を打ったように静まり返っていた。
数百の瞳が、彼を凝視している。
恐怖、畏怖、崇拝、そして依存。
「……なんだ?」
ヴィンセントが首を傾げると、ガリレオ教授が震えながら近づいてきた。
彼はヴィンセントの手を取り、涙ながらに言った。
「ヴ、ヴィンセント君……いや、ヴィンセント閣下。君は……君は、人類の至宝じゃ。その『石板』を、どうか君に託したい」
「は?(なんで?)」
「我々凡人には扱えん。それは、王(管理者)である君だけが持つことを許された『神の台帳』じゃよ」
教授は深々と頭を下げた。
周囲の生徒たちも、一斉に拍手喝采を送る。
「ヴィンセント様、万歳!!」
「世界の管理者、万歳!!」
(……まあ、いいか。これがあれば暇つぶしになるし、地図も便利だ)
ヴィンセントは、タブレットを懐(内ポケット)にしまった。
その動作すらも、「世界の運命を懐に収めた」ように見えて、女生徒たちのハートを射抜いた。
こうして。
ヴィンセントは、学園の魔王から、世界の命運を握る「管理者」へとクラスチェンジを果たした。
彼が懐に手を入れるたびに、周囲の人々が「世界が書き換えられる!?」と戦慄する日々が始まったのである。
***
その日の放課後。
ヴィンセントは寮の自室に戻り、早速タブレットの解析を続けていた。
傍らには、専属メイドとなったセシリアが、完璧な手つきで紅茶を淹れている。
「マスター。本日のスケジュールですが……」
「後にしてくれ。今、OSのアップデート中だ」
ヴィンセントは画面に釘付けだった。
Wi-Fiはないが、ローカルに残っていたパッチファイルを適用しているのだ。
「……OS? また新しい魔法用語ですか?」
「ああ。システムの根幹を司る魂みたいなもんだ」
セシリアはゴクリと喉を鳴らした。
主人は、部屋にいながらにして、魂の領域に干渉している。
やはり、このお方は底が知れない。
「そういえば、マスター。……例の件、片付けておきました」
セシリアが、何気ない口調で言った。
「例の件?」
「はい。私に暗殺を依頼した『害虫』です。……先ほど、実家ごと『清掃(お仕置き)』してきました」
彼女はニッコリと微笑んだ。
その笑顔は、天使のように美しく、そして悪魔のように残酷だった。
「……は?」
ヴィンセントは顔を上げた。
セシリアのエプロンには、一滴の返り血もついていない。
だが、その瞳の奥には、仕事を完遂したプロフェッショナルの冷徹な光が宿っていた。
(清掃……? まさか、本当に掃除したのか? ああ、そうか。ガットンの屋敷の掃除を手伝ってきたのか。偉いな)
ヴィンセントは、エンジニア特有の都合のいい解釈をした。
「清掃」=「ハウスクリーニング」。
まさか、「一族郎党を全員捕縛し、パンツ一枚で木に逆さ吊りにする『公開処刑(お仕置き)』」だとは夢にも思わなかった。
「そうか。ご苦労だったな。……報酬は弾んでやれよ(ガットンの遺産から)」
「! 勿体無きお言葉……! 報酬など不要です。貴方様の敵を排除することこそ、私にとって最高の至福ですので……♡」
セシリアは頬を染め、身悶えした。
ヴィンセントは「掃除が好きなんだな、奇特な奴だ」と思い込み、再びタブレットに視線を戻した。
彼の知らないところで、王国の保守派貴族が一つ、あまりの恥辱に夜逃げ同然で姿を消していた。
次回、第9話。
「毒見と『ストロー浄水器』」。
敵対派閥の残党が、最後の手段「毒殺」に出る。
だが、ヴィンセントの携帯用ストローは、猛毒すらも「飲料水」に変える!
「味が変だな。フィルター通すか」




