第7話:暗殺メイドと「殺戮ルンバ」
深夜2時。
月明かりさえ届かない闇夜に、一つの影が音もなく走っていた。
場所は王立魔導学院、男子寮。
その最上階にある特別室の窓辺に、影は蜘蛛のように貼り付いた。
銀色の髪を夜風になびかせた少女。
伝統的な黒のメイド服に身を包んでいるが、その太腿のガーターベルトには、掃除用具ではなく投擲用のナイフが仕込まれている。
セシリア(17歳)。
裏社会で「銀閃」の異名を持つ、凄腕の暗殺者である。
(……警備がザルね)
彼女は冷ややかな瞳で周囲を見回した。
寮の周囲には、バルバラ率いる「黒の騎士団」が交代で張り込みを行っている。
だが、彼女たちの意識は「外敵の排除」に向きすぎており、足元の死角がお留守だった。プロの暗殺者であるセシリアにとって、彼女たちの目を盗むことなど赤子の手を捻るより容易い。
(ターゲットは、ヴィンセント・ヴォン・ヴァルディア)
彼女の脳裏に、昼間の光景が蘇る。
ダンジョンの奥深くで、レッドドラゴンを一睨みで退けた、あの圧倒的な「覇気」。
正面から戦えば、勝率は限りなくゼロに近いだろう。
だが、どんな怪物も、寝ている間は無防備な肉の塊。
依頼主――ガットン男爵の縁者である保守派貴族――からのオーダーは、「事故に見せかけた抹殺」。
寝込みを襲い、毒針で心臓を止める。それで終わりだ。
セシリアは音もなく窓の鍵を解錠し、室内に滑り込んだ。
着地音はゼロ。呼吸すら止めた「完全隠密状態」。
部屋の中は、静まり返っていた。
その中央にあるキングサイズのベッドで、ターゲットであるヴィンセントが規則正しい寝息を立てている。
(……隙だらけ)
セシリアは内心で嘲笑した。
魔王と恐れられる男が、結界魔法の一つも張らずに無防備に寝ているとは。
彼女はナイフを抜き、忍び足でベッドに近づいた。
その時だった。
ブォン……。
足元から、微かな駆動音が響いた。
セシリアは反射的に飛び退いた。
床に何かがいる。
暗闇の中、ベッドの下から「それ」は現れた。
平べったい円盤状の黒い物体。表面には赤いランプが一つ、不気味に明滅している。
『――ゴミを検知しました』
「!?」
セシリアが身構えるより早く、黒い円盤が加速した。
ゴキブリのような初速で、セシリアの足元に滑り込んでくる。
(魔獣!? いや、ゴーレム!?)
セシリアはナイフを振り下ろした。鋼鉄すら貫く刺突。
だが、円盤はその攻撃を予測していたかのように、キュッ! と直角に軌道を変えて回避した。
驚愕するセシリアを他所に、円盤――ヴィンセントが開発した『自律型掃除ロボット・ルンバMk-III』は、戦闘モードに移行していた。
このMk-IIIは、ヴィンセントが「ホコリ一つないクリーンルームで寝たい」という執念で作り上げた最高傑作だ。
家具を吸い込もうとして自壊したMk-I、駆動音がうるさすぎて安眠を妨害したMk-II。それら失敗作のログを反映し、最新のライダーセンサーと消音魔法を組み込んだ実戦配備モデル。
そして今、高性能センサーは、セシリアを「巨大なゴミ(異物)」として認識していた。
『吸引レベル、最大(MAX)。排除を開始します』
キィィィィィィン!!
高周波モーターが唸りを上げた。
ヴィンセントが前世のダイソン技術と、この世界の風魔法を融合させて開発した「ハイパー・サイクロン・エンジン」。
その吸引力は、市販の掃除機の100倍。ブラックホールの擬似再現である。
ズオオオオオオオオオオッ!!
猛烈な気流が発生した。
セシリアの足元に、局所的な竜巻が生まれる。
「きゃああっ!?」
足が床に吸い付けられて動かない。
それどころか、強烈な吸引力が彼女の「服」に襲いかかった。
ビリビリビリッ!!
音を立てて、メイド服の裾がルンバの吸入口に引きずり込まれる。
戦闘用に強化された特注の繊維が、紙屑のように吸い込まれていく。
「な、なんなのこれ!? 放して!!」
ルンバは容赦なく彼女の足元にまとわりつき、スカートを、ペチコートを、そして黒のストッキングを剥ぎ取っていく。
『異物のサイズが規定値を超過しています。回転ブラシ出力を上げます』
ガガガガガガッ!
吸入口にある「ミスリル製回転ブラシ」が起動した。
それは本来、カーペットの奥のダニを掻き出すための機能だが、今はセシリアの柔肌を容赦なく責め立てる拷問器具と化していた。
「ひゃうッ! くすぐった……いや、痛い! やめてぇぇ!!」
もはや抵抗不可能。
ルンバは彼女の体の上を這い回り、残った衣服を次々と吸い込んでいく。
(強い……! これが……ヴィンセント様の使役魔獣……!)
彼女の目には、この薄っぺらい円盤が、あらゆる攻撃を無効化し、対象を裸にして捕食する「古代の触手魔獣」に見えていた。
数分後。
そこには、下着姿でボロ雑巾のように床に転がり、涙目で震える「元」凄腕暗殺者の姿があった。
ルンバは彼女の横で、「ピーッ」と電子音を鳴らして停止した。
『ダストボックスが満杯です。ゴミを捨ててください』
***
「……うるさいな」
ベッドの上で、ヴィンセントが目を覚ました。
睡眠のゴールデンタイムを妨害された怒りは、海よりも深い。
「おい、Mk-III。静音モードに設定したはずだろ。何のエラーだ」
彼は上半身を起こし、サイドテーブルのランプを点けた。
薄明かりの中に浮かび上がったのは、床に散乱する布切れと、下着姿で蹲る銀髪の美少女。
「……は?」
ヴィンセントは思考停止した。
なぜ部屋に半裸の女が? バグか?
彼はルンバを持ち上げ、背面の液晶パネルを確認した。
ERROR: 04 - LARGE OBJECT DETECTED
ACTION: REMOVE OBSTACLE
「ああ、なるほど。大型のゴミ(障害物)を巻き込んだのか」
ヴィンセントは納得した。
Mk-Iの時もカーテンを食って止まったが、Mk-IIIでもまだ大型異物の自動検知・排出アルゴリズムに課題があるらしい。後でソースコードを見直さねば。
「(……ん? そもそもこいつは誰だ?)」
ヴィンセントは、震えているセシリアを見下ろした。
彼女の手に握られたナイフ。絶望と恐怖の瞳。
状況証拠からして、暗殺者の類だろう。
だが、今の彼にとって重要なのは、彼女の殺意ではない。
「……汚いな」
ヴィンセントは眉をひそめた。
セシリアの体には、ルンバが集めた数日分のホコリやゴミが付着していた。
潔癖症気味の彼にとって、寝室に汚れた人間がいることは耐え難いストレスだった。
「ゴミまみれじゃないか。……とりあえず、洗ってこい」
彼は「風呂に入って汚れを落としてから出直せ(さもなくば立ち去れ)」という意味で言った。
ヴィンセントはブツブツ文句を言いながら、ルンバのブラシに絡まった糸くずを引き千切った。
その姿。
侵入者を前にしても全く動じず、淡々と「掃除用具のメンテナンス」をする姿。
そして、「汚い」「洗え」という冷酷な命令。
セシリアの脳内で、劇的な解釈変更が起きた。
(この方は……私が殺しに来たことなど、気にも留めていない)
(それどころか、私の命を取らず、『汚いから身を清めよ』と慈悲を与えてくださった……!)
(圧倒的な強者。そして、機械魔獣すら手懐ける支配力……)
ドクン。
暗殺者としてのプライドが砕け散った跡地に、新しい感情が芽生えた。
「……はい」
セシリアは、震える声で答えた。
「仰せのままに、マスター。……直ちに身を清め、貴方様の所有物として相応しい姿になります」
「は?(何を言ってるんだ?)」
「命を救っていただいたこの身、今日から貴方様の『道具』として捧げます。……マスターの魔獣に剥かれたこの肌、貴方様に見られるのなら……悪くありません」
セシリアは頬を赤らめ、潤んだ瞳でヴィンセントを見上げた。
(……面倒くさいことになった)
ヴィンセントは天を仰いだ。
ルンバがゴミ(暗殺者)を拾ってきたせいで、なぜか新しいメイドが増えた。
しかも、目が完全にイッている。
「……採用するかは保留だ。とりあえず服を着ろ。あと、そのナイフは危ないからしまえ(労働安全衛生的な意味で)」
「はい♡ マスターの優しさに、濡れてしまいそうです……!」
「(……話を聞けよ)」
こうして。
ヴィンセントの私生活に、最強の暗殺メイド・セシリアが加わった。
彼の安眠は、永遠に失われたのだった。
***
翌朝。食堂。
ヴィンセントの背後に無言で控える銀髪のメイド。
その完璧な給仕と、ヴィンセントを見る熱っぽい視線に、レジーナとヒルダが同時に反応した。
「……新たなライバル出現ね」
「あのメイド、ただ者ではありませんわ。……隙あらばヴィンセント様の食べ残しを回収しようとしています」
女たちの火花が散る中、ヴィンセントはただ一人、冷めたトーストを齧りながら考えていた。
(トースターの出力調整、まだ甘いな……)
次回、第8話。
「古代タブレットと『管理者権限』」。
授業で出された解読不能の古代遺物。それは前世のメーカー製タブレットだった!?
「パスワード? 『0000』だろ」




