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第6話:ダンジョン実習と「高周波」

 王立魔導学院のカリキュラムには、退屈な座学だけでなく、実戦形式の実地訓練も含まれている。

 その最たるものが、学園の敷地内――その地下深くに広がる古代遺跡を利用した「ダンジョン実習」だ。


 古代文明の遺産である地下迷宮。

 そこには魔力溜まりから自然発生したモンスターが徘徊しており、生徒たちはパーティを組んで浅い階層を探索し、魔石を持ち帰ることが課題となっている。


 だが。

 その実習のスタート地点である地下1階のエントランスホールで、一人の男が深く絶望していた。


「……最悪だ」


 ヴィンセント・ヴォン・ヴァルディアである。

 彼は湿った石壁に手を突き、エンジニアとしての倫理観を激しく揺さぶられていた。


(換気設備なし。酸素濃度は推定19%前後。粉塵濃度は基準値を大幅に超過。足場は未舗装でスリップ転倒のリスク大。おまけに照明は壁の松明だけ? 照度が圧倒的に足りていない。こんな環境で作業(実習)をさせるだと? 労働安全衛生法違反で即刻操業停止レベルだぞ)


 彼にとって、ダンジョンは冒険の場ではない。

 無数の「労働災害(労災)」が待ち受ける、悪夢のブラック現場だった。


「……装備(PPE)が必要だ」


 彼は溜息をつき、持参した鞄からアイテムを取り出した。

 まずは、活性炭フィルターを内蔵した特製の「防塵マスク」。

 次に、暗視補正機能(レンズを磨いただけだが)つきの「遮光ゴーグル」。

 そして、両耳にはシリコンで型取りした自作の「ノイズキャンセリング耳栓」をねじ込む。


 黒のロングコートに、顔を覆うガスマスクとゴーグル。

 その姿は、もはや貴族令息には見えなかった。

 バイオハザードな現場に突入する特殊部隊か、あるいは地獄の底から這い上がってきた死神そのものだ。


 だが、その異様な姿は、周囲の生徒たちには全く別の意味を持って映っていた。


「見ろ……ヴィンセント様だ」

「あのお姿……毒ガスエリアへの単独突入装備か? いや、違う。もっと恐ろしい『何か』から、我々を守るために力を封印しているのかもしれない……」

「彼の周りだけ、空気が重い。……これが『魔王』のオーラか」


 生徒たちは遠巻きに彼を見つめ、恐怖と尊敬の入り混じった視線を送る。

 そして、そんな彼の周囲を、ガチガチに武装した白銀の集団が取り囲んでいた。


 バルバラ・フォン・クロイツ率いる生徒会騎士団――改め、非公認ファンクラブ「黒の騎士団」である。


「総員、警戒せよ! ダンジョンの不浄な空気ごときで、ヴィンセント様の気管支を汚させるな!」

「「「ハッ!!」」」

「前方クリア! 後方クリア! ヴィンセント様の歩行ルート上の小石を排除しました!」


 彼女たちは、頼んでもいないのに勝手にヴィンセントを護衛していた。

 前後左右を完璧に固める「VIP防衛フォーメーション」。

 彼女たちの目には狂信的な光が宿っており、ヴィンセントに近づこうとする羽虫すら切り捨てんばかりの殺気を放っている。


(……邪魔だ)


 ヴィンセントはマスクの下で盛大に顔をしかめた。

 ただ歩くだけなのに、なぜこんな大名行列のような騒ぎになるのか。

 これでは目立って仕方がないし、何より狭い通路で彼女たちの鎧がカチャカチャと鳴る音が耳障りだ。


「行くぞ。さっさと終わらせる」


 ヴィンセントが歩き出すと、黒の騎士団がザッ! と進路を確保し、その後ろを一般生徒たちが金魚の糞のように恐る恐るついていく。

 それは実習というより、魔王軍による地下帝国の侵攻そのものだった。


 ***


 地下3階。

 巨大な空洞エリア――通称「大広間」に到着した時、異変は起きた。

 本来ならゴブリンやスライム程度の雑魚しか出ないはずの場所に、異常な熱気と硫黄の臭いが充満していたのだ。


 ズズズズ……。

 地響きと共に、暗闇の奥から巨大な影が現れた。


 全長十メートルを超える巨体。

 鋼鉄をも砕く強靭な顎。

 そして、全身を覆う紅蓮の鱗。


「ド、ドラゴンだ!!」


 誰かが悲鳴を上げた。

 レッドドラゴン。

 地下20階層以下に生息するはずの、中ボス級の災害指定モンスターである。

 パニックが広がった。


 引率の教師たちですら、顔面蒼白で足がすくんでいる。彼らの魔法では、レッドドラゴンの鱗に傷一つつけられない。

 ドラゴンが、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 ブレスだ。

 この閉鎖空間で吐かれれば、全員が蒸し焼きになる。


 絶望が支配する中。

 そのドラゴンの前に、一人の男が進み出た。


「ヴィンセント様!?」


 バルバラが叫ぶ。

 ヴィンセントは、逃げるどころか、不機嫌そうにドラゴンを睨みつけていた。


(……うるさい)


 彼の怒りの矛先は、ドラゴンの「武力」ではなく、「音圧」に向けられていた。


 グォォォォォォォォォォォ!!!!!


 ドラゴンの咆哮が、石壁に反響して襲いかかってきた直後だったからだ。

 推定120デシベルオーバー。ジェット機のエンジン音並みの大音響。

 しかも洞窟内での多重反響効果リバーブにより、音圧は減衰することなく増幅され、鼓膜を物理的に叩く衝撃波と化していた。


(鼓膜が破れるだろうが! 騒音規制法を知らんのか、この爬虫類は!)


 聴覚過敏のヴィンセントにとって、この無駄にデカい鳴き声は、物理的な暴力以上の拷問だった。

 耳栓をしていても脳幹に響く重低音。


(許さん。即時、退去してもらう)


 彼は懐に手を突っ込んだ。


「ヴィンセント様! お下がりください! 奴は危険です! 私が盾になります!」


 バルバラが剣を抜いて前に立とうとするが、ヴィンセントはそれを手で制した。

 「邪魔だ(射線が通らない)」という意味だったが、バルバラは「私の後ろにいろ、私が守ってやる」というジェスチャーだと解釈し、顔を真っ赤にして後退った。


 ヴィンセントが取り出したのは、一つの「小さな黒い箱」だった。

 『超音波式害獣撃退ブザー(改)』。


 元々は、この貞操逆転世界で男の必需品とされる「痴漢撃退ブザー」だ。

 だが、市販品の「ピピピピ」という音量では、痴漢どころか野良犬も追い払えないと感じたヴィンセントが、内部構造を根本から作り変えた代物である。


(対象は爬虫類系か。なら、可聴域の上限は人間より遥かに高いはずだ。20kHzから60kHzのスイープ波を、最大出力で叩き込む)


 ヴィンセントは、ドラゴンの巨大な顔を見上げた。

 ドラゴンは、眼下の小さな人間が逃げもしないことに苛立ち、大きく口を開けた。

 ブレスを吐く寸前。


「静かにしろ」


 ヴィンセントは、無表情でボタンを押した。


 カチッ。


 ――キィィィィィィィィィン!!!!(※人間には聞こえません)


 瞬間。

 世界の時が止まったかのようだった。


 ヴィンセントのブザーから放たれたのは、人間には知覚できない「超高周波の音響兵器」。

 指向性スピーカーによって一点に収束された見えない音の刃が、ドラゴンの敏感な聴覚器官を直撃し、脳神経を直接揺さぶった。


「――ッ!?」


 ドラゴンのブレスが、喉の奥で不発に終わった。

 巨体がビクリと痙攣する。


「ギ、ギャアアアアアアアアッ!?」


 ドラゴンが絶叫した。

 ヴィンセントは、ブザーの側面にあるダイヤルを回し、周波数をランダム変調ランダム・モジュレーションさせる。

 予測不能なリズムで脳を叩く、精神破壊シークエンスだ。


 ドラゴンが地面に崩れ落ち、のたうち回り始めた。

 自分の鋭い爪で耳を塞ごうともがき苦しむ、その異様な光景に、生徒たちは息を呑む。


 やがて、ドラゴンの精神的限界が訪れた。

 巨竜は這いつくばり、ヴィンセントに背を向けて、脱兎のごとくダンジョンの奥へと逃げ去っていった。

 まるで、恐ろしい天敵に出会った小動物のように。


「……ふぅ。やっと静かになった」


 ヴィンセントはブザーのスイッチを切り、ポケットにしまった。

 彼は満足げに頷き、踵を返した。


「帰るぞ。ここは環境が悪すぎる」


 彼が振り返った瞬間。

 そこにいた生徒、教師、そして黒の騎士団の全員が、石像のように固まっていた。


「……あ、ありえない」

「魔法の光もなかったのに……」

「ただ睨んだだけで……あのレッドドラゴンが、恐怖で発狂して逃げ出した……!?」


 誤解の連鎖サスガ・エンジンが、最高出力で回転を始める。


「『覇気』だ……」

「王者の風格だけで、生物としての格の違いを見せつけたんだ!」


 バルバラが、感極まって膝をついた。


「ヴィンセント様……! なんという慈悲! 愚かな獣すらも殺さず、ただ『威圧』のみで退けるとは! 貴方様こそが、真の生物の頂点!」


「「「ヴィンセント様! 万歳!! 我らが魔王に栄光あれ!!」」」


 ワァァァァァァァァ!!


 ダンジョン内が、狂乱に近い歓声に包まれた。


(……うるさい。本当にうるさい)


 ヴィンセントは耳栓を深くねじ込んだ。


 ***


 その騒ぎを、ダンジョンの天井付近、暗がりのはりの上から見下ろしている影があった。

 伝統的なメイド服に身を包み、手には投擲用のナイフを持った銀髪の少女。

 セシリアである。


「…………」


 彼女の冷ややかな、感情のない瞳が、ヴィンセントの背中を捉える。


(……確認したわ。資料通り、漆黒の外套コートに身を包んだターゲット)

(ドラゴンを一喝で退ける覇気。……噂以上の怪物ね。正面からの戦闘は自殺行為だわ)


 彼女は、ある組織から依頼を受けた暗殺者だ。

 依頼主は、先日ヴィンセントに断罪され失脚したガットン男爵の残党か、あるいは新興勢力の台頭を恐れた保守派の貴族か。


(弱点が見当たらない。……なら、最も無防備になる瞬間を狙うしかない)


 セシリアは音もなく闇に溶けた。

 彼女はまだ、このターゲットを知らない。

 ただの「仕留めるべき獲物」として認識している。


(今夜、確実に首を貰う)


 彼女はまだ知らない。

 そのターゲットの寝室が、現代科学の粋を集めた「自律型掃除機ルンバ」によって、侵入者をゴミとして処理する鉄壁の要塞と化していることを。


 次回、第7話。

 「暗殺メイドと『殺戮ルンバ』」。

 ついにセシリア襲来。

 ヴィンセントの安眠を守るため、改造ルンバMk-IIIが、深夜の戦場を駆ける!

 「ゴミを検知しました。排除モードに移行します」

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