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第5話:黒の騎士団結成と「嘘の現実化」

 学園での生活が始まって一週間。

 王立魔導学院におけるヴィンセント・ヴォン・ヴァルディアの立ち位置は、劇的かつ不可逆的な変化を遂げていた。


 もはや、彼を「豚貴族」と呼ぶ者は一人もいない。

 彼が廊下を歩けば、生徒たちはモーゼの十戒のごとく左右に割れ、壁際に整列して頭を垂れる。

 その視線に含まれているのは、かつてのような嘲笑ではない。純度100%の、混じりっけなしの「畏怖」だ。


「おい、目を合わせるな。魂ごと『解析スキャン』されるぞ」

「ヒルダ様を見ろ。あの日以来、ヴィンセント様の姿を見るたびに頬を赤らめて震えていらっしゃる……完全に『屈服』した顔だ」

「剣聖レジーナ様など、毎朝寮の前に『狩りたての魔獣の生肉』を供えているらしいぞ。あれは忠誠の証か?」


 数々の伝説――マイク切断による「静寂の粛清」、不可視の衝撃波による「剣聖撃破」、そして公爵令嬢ヒルダを一睨みで失禁させた「眼光の支配」。

 これらにより、ヴィンセントは学園の裏番長、あるいは「触れてはいけない魔王」として君臨していた。


 だが。

 当の本人の精神状態は、魔王の余裕とは程遠い場所にあった。


「……計算が合わない。バグだらけだ」


 学生寮の最上階、特別室。

 ヴィンセントは、黒檀の執務机の上で頭を抱えていた。

 目の前には、実家であるヴァルディア領から送られてきた、羊皮紙の束が山のように積まれている。

 領地経営の月次報告書である。


(なんだこの数字は。スパゲッティコードより酷い)


 ヴィンセントはイライラと貧乏揺すりを始めた。

 彼は「無駄」と「不正」が大嫌いだ。

 最適化されていないシステム、冗長な処理、そしてリソースの横領。これらはエンジニアにとって、見過ごすことのできない生理的な不快要因エラーである。


「公共事業費が前年比200%増? 堤防の修繕にミスリル銀でも埋め込んだのか? それに、この『使途不明金』という項目。雑費で数千万ゴールドも計上する馬鹿がいるか」


 報告書をめくるたびに、彼の眉間のシワが深くなっていく。

 誰かが意図的にシステムに穴を開け、リソース(税金)を吸い上げている。

 典型的な「バックドア」の兆候だ。


「……監査デバッグが必要だな」


 ヴィンセントは低い声で呟くと、備え付けのベルを鳴らした。

 すぐに、学園から配属された初老の執事(まだヴィンセントの恐ろしさを知らない、数少ない人間の一人だ)がおずおずと入室してくる。


「お、お呼びでございましょうか、ヴィンセント様……」

「領地の代官、ガットンを呼べ。……緊急ミーティングだ」


 ヴィンセントの声は、絶対零度まで冷え切っていた。

 それは単に、杜撰な決算書を見せられたことによる「プロ意識の欠如への怒り」だった。

 だが、執事にはそう聞こえない。

 その声は、主君が裏切り者に対して下す、慈悲なき「死刑宣告」のように響いたのだ。


「は、はいッ! 直ちに手配いたします!」


 執事は転がるように部屋を出ていった。

 ヴィンセントは冷めた紅茶を一口啜り、再び書類に目を落とした。

 

 修正してやる。

 この腐ったシステム(領地)を、俺の手で最適化してやる。

 それが、最強のエンジニアによる「領地改革伝説」の幕開けになるとは知らずに。


 ***


 数時間後。

 学園の貴賓用応接室。

 重厚な革張りのソファに、一人の男が座っていた。

 ヴァルディア領の財務を一手に引き受ける代官、ガットン男爵である。


(チッ、クソガキが。呼び出しだと? 調子に乗りおって)


 ガットンは、長年にわたり領地の税金を横領し、私腹を肥やしてきた。

 前当主は病気で役立たず。次期当主のヴィンセントは、無能な放蕩息子だと信じきっていた。

 

 ガチャリ。

 扉が開いた。

 

 室内の空気が、一瞬で凍りついた。

 黒のロングコートを翻し、ヴィンセントが入室してきたからだ。

 無言。無表情。

 その瞳は、ガットンを「人間」として見ていない。まるでバグだらけの「欠陥プログラム」を見るような、冷徹な評価の眼差しだ。


「座れ」

「は、はい」


 ガットンは気圧されて座り直した。

 なんだ、この威圧感は。目の前にいるのは、本当にあの「豚貴族」なのか?


「ガットン。時間は金だ。単刀直入に聞く。この決算書の数字……合っていないな?」


 ズバリと核心を突かれた。ガットンの心臓が跳ねる。

 だが、彼は百戦錬磨の詐欺師だ。表情には出さない。


「は、はは……何を仰いますか。これは『複式簿記』という高度な計算式を用いておりまして。若様には少々難解かもしれませんが、全て適正に処理されておりますぞ」


「……そうか」


 ヴィンセントは無表情のまま頷いた。

 そして。

 人差し指で、トントン、トントンと、テーブルを一定のリズムで叩き始めた。


(複式簿記だと? 笑わせるな。貸借対照表の左右が一致していない。減価償却費の計上も……。面倒くさいな、一から計算するのは)


 ヴィンセントの脳内CPUが高速回転する。

 全ての数字を精査(grep)すれば、横領の証拠を見つけることは可能だ。

 だが、もっと効率的なアルゴリズムがある。


(前世のイメージを同期シンクロさせる。……視覚情報をバイナリとして処理しろ)


 ヴィンセントは、目を閉じて脳内で仮想のディスプレイを展開した。

 膨大なデータの海から、特定のパターンを抽出する――エンジニアとしての「検索スキル」だ。


「検索(Ctrl+F)……。対象『ガットン』、キーワード『不正資産』」


 ヴィンセントは小声で、無意識の癖を漏らした。

 指先が、空中で見えないキーボードを叩く動きをする。

 

 もちろん、実際に何かの機械を使っているわけではない。

 ただの思考整理のポーズ。

 だが、その瞬間。

 ガットンの精神メンタルが崩壊した。


「ひぃぃぃッ!?」


 彼の目には、ヴィンセントの背後に巨大な「神の目」が浮かび上がり、自分の過去の悪行、隠し場所、パスワードに至るまで、全てをデジタルにスキャンされている幻覚が見えたのだ。


「や、やめてくれ! 見ないでくれぇぇ!!」


 ガットンはソファから転げ落ち、床に頭を擦り付けた。


「わ、分かりました! 認めます! 裏帳簿は……屋敷の地下、ワインセラーの三番目の棚の奥です! 暗証番号は『4649』です! 横領した金貨五千万枚もそこに隠してあります!」


 ヴィンセントは呆気にとられた。

 ペラペラと喋りやがった。

 セキュリティ意識が低すぎる。パスワードが「よろしく(4649)」? 舐めているのか。


「(……まあいい。これで監査の手間が省けた)」


 ヴィンセントは安堵のため息をついた。

 だが、その様子を、部屋の外で聞いていた者たちがいた。


 生徒会長、バルバラ・フォン・クロイツとその配下の騎士たちである。


「聞いたか……? ヴィンセント様は、ここ王都にいながらにして、数百キロ離れた領地の隠し金庫の中身を透視したというの!?」

「『検索コントロール・エフ』……あれは古代語で『神の全知』を意味する言葉に違いないわ……!」


 扉がババン! と開かれた。

 雪崩れ込んできたのは、銀髪を厳格に結い上げ、白銀の甲冑を纏った美女、バルバラ生徒会長と、二十名の精鋭騎士たちだった。


「ヴィンセント様! 我々は、もうひらかれました!」


 バルバラはヴィンセントの前で片膝をつき、恭しく頭を垂れた。

 それに続き、二十名の騎士全員が、ザッ! と音を揃えて跪く。


「貴方様は違った! 悪役の汚名を着てまで、たった一人で巨悪ガットンを暴き、断罪された! その『全てを見通す神の目』と『妥協なき正義』……これこそが、我々が求めていた真の王(指導者)の姿!」


「いや、俺はただ帳簿の数字を……」


「ご謙遜を! 貴方様の『検索』の御業、しかと目撃いたしました! 我ら生徒会騎士団は、この瞬間より、ヴィンセント・ヴォン・ヴァルディア個人に忠誠を誓う『黒の騎士団ブラック・ナイツ』となります!」


「「「我らが王、ヴィンセント様に栄光あれ!!」」」


 オオオオオオッ!!

 騎士たちの雄叫びが応接室を揺らした。


(……待て待て待て。なんでそうなる)


 ヴィンセントは顔を引きつらせた。

 彼はただ、赤字を解消したかっただけだ。

 なぜ、学園最強の武装勢力が、俺の私兵になっている?


「却下だ。解散しろ。俺は忙しいんだ」


「ああ……やはり孤高の王。安易な馴れ合いを拒絶される、その厳しさも尊い……!」

「勝手についていきます! 我々は影となり、貴方様の覇道を支える剣となります!」


(……話が通じねぇ。バグだ。仕様バグだ)


 ヴィンセントは諦めた。

 彼は大きなため息をつき、ガットンを指差した。


「……そこの産業廃棄物を処理しろ。あと、俺の邪魔だけはするな」


「ハッ! 直ちに!!」


 ***


 その夜。

 ヴィンセントは疲れ果ててベッドに入った。

 今日は疲れた。だが、成果はあった。横領金が戻れば、領地の設備投資ができる。

 彼はエンジニアとしての満足感と共に、泥のように眠った。

 

 この時、まだヴィンセントの部屋にはメイドはいない。

 学園から派遣された給仕が置いた紅茶が、机の上で静かに冷めていた。


 一方、ヴァルディア領。

 ヴィンセントの情報を元に急行した『黒の騎士団』の精鋭たちが、ガットンの隠し金庫を開けていた。


「ありました! 裏帳簿と、横領された金貨です!」

「やはりヴィンセント様の仰った通りだ……位置も、パスワードも、完璧に一致している」


 そして、部下の一人が、金庫の奥から「奇妙な物体」を発見した。

 黒い箱に、ガラスのレンズがついた機械。

 実はこれは、ヴィンセントが子供の頃に試作して失敗し、ゴミとして地下倉庫に放置していた「失敗作の魔導カメラ」である。


「隊長! これを!」

「……なんと。これは古代の伝説にある『千里眼のオーブ』か!?」


 バルバラが震える手でそれを受け取る。


「そうか……ヴィンセント様は、これを使って世界中を監視しているのか。だからこそ、ガットンの悪事も手に取るように分かったのだ」

「我々は、とんでもないお方に仕えることになったのですね……」


 自分たちの主は、世界の全てを見通す「神の目」を持っている。

 その誤解は、やがてヴィンセントを「情報戦の覇者」として世界に知らしめることになる。


 ヴィンセントの寝息だけが、平和に響いていた。


 次回、第6話。

 「ダンジョン実習と『高周波』」。

 ついに始まるダンジョン攻略。

 (※天井裏には、暗殺者セシリアが息を潜めて彼を狙っているが、ヴィンセントはまだ気づいていない)

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