第4話:公爵令嬢のプライドと「安全装置」
学園の廊下を歩くヴィンセントの足取りは、鉛のように重かった。
入学から数日が経過したが、彼が切望する「平穏で目立たない学園生活」は、光の速さで崩壊しつつあったからだ。
(……視線が痛い)
すれ違う生徒たちが、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。
そして遠巻きに、ヒソヒソと噂話をするのだ。
「見ろ、あの方がヴィンセント様だ」
「入学式で学園長を黙らせ、中庭で剣聖レジーナを一撃で沈めたっていう……」
「聞いたか? レジーナ様、あの日以来『ヴィンセント様の犬になりたい』ってうわ言のように呟いてるらしいぞ」
「なんて恐ろしい支配力……まさに魔王だわ」
(誤解だ。全部、誤解だ)
ヴィンセントは心の中で叫んだ。
マイクを切ったのはハウリングがうるさかったからだし、レジーナを吹き飛ばしたのは扇風機の風量設定をミスったからだ。
決して、彼女を屈服させて犬にした覚えはない。むしろ、翌日から毎朝、寮の部屋の前に「狩りたての魔獣の生肉」が置かれていることに恐怖しているくらいだ。
(あの女、俺を餌付けするつもりか? 衛生管理という概念がないのか?)
ヴィンセントは深くため息をつき、次の授業――『魔道具史概論』の教室へと向かった。
だが、その道は物理的に塞がれていた。
「お待ちなさい、ヴィンセント・ヴォン・ヴァルディア!」
鈴を転がすような、しかし棘のある声が響いた。
ヴィンセントが顔を上げると、そこには典型的な「お嬢様」が立っていた。
黄金の髪を完璧な縦ロールに巻き、宝石を散りばめた扇子を優雅に揺らす美少女。
制服の上からでも分かる華奢な体躯と、不釣り合いなほど勝ち気な瞳。
彼女の後ろには、同じく高慢そうな取り巻きの令嬢たちが控えている。
ヒルダ・フォン・ローゼンバーグ。
この国でも五指に入る名門、ローゼンバーグ公爵家の令嬢である。
(……うわ、配線が面倒くさそうなタイプだ)
ヴィンセントの第一印象はそれだった。
関わるとロクなことにならない。エラーログが大量に吐き出される未来が見える。
彼は無視して横を通り抜けようとしたが、ヒルダが扇子を広げて通せんぼをした。
「無視するとはいい度胸ですわね。……噂は聞いていますわよ? レジーナさんを卑怯な手で誑かし、下僕にしたとか」
「してない(勝手についてくるだけだ)」
「お黙りなさい! 男の分際で、生意気な口を!」
ヒルダは柳眉を逆立てた。
彼女は「古い価値観」の信奉者だ。
女は強く、男は愛されるべき愛玩動物。だというのに、ヴィンセントの態度はあまりに可愛げがなく、そして不気味なほど堂々としている。それが彼女のプライドを逆撫でした。
「貴方のような勘違いをした野良犬には、きちんとした『躾』が必要ですわね。……これを出しなさい」
彼女が指を鳴らすと、取り巻きの一人が恭しく黒い箱を差し出した。
ヒルダが箱を開ける。
そこに入っていたのは、黒革のベルトに、複雑な魔術回路が刻まれた銀の金具がついた物体。
――『隷属の首輪』。
装着した者の魔力を強制的に封じ、主人の命令に逆らえなくする、国宝級の拘束魔道具である。
「光栄に思いなさい。これは我が家に代々伝わる由緒ある品。これを着けて、私の靴を舐めることから教え込んで差し上げますわ!」
ヒルダはサディスティックな笑みを浮かべ、首輪を手に取った。
周囲の生徒たちが息を呑む。
公爵家の権力と、抵抗不可能な魔道具。ヴィンセントの運命は尽きたかに見えた。
だが。
ヴィンセントの顔色は、別の意味で青ざめていた。
(おい……マジかよ、あれ)
彼の「エンジニア・アイ」が、首輪の構造を一瞬でスキャンしていた。
確かに強力な魔道具だ。だが、メンテナンス状態が最悪だった。
(回路が腐食して、絶縁被膜が剥がれかけている。それに、魔力のリミッター(安全装置)が経年劣化で機能していない。あんな状態で起動したら……)
ヴィンセントの脳内で、シミュレーション結果が弾き出される。
――装着時の魔力同調の瞬間、過電流が発生。首輪が熱暴走を起こし、装着者の首ごと爆発する。
(PL法(製造物責任法)違反どころの騒ぎじゃないぞ! 殺人兵器だ!)
ヴィンセントは戦慄した。
あんな欠陥品を、この少女は平然と持ち歩き、他人に着けようとしているのか?
安全管理意識の欠如にも程がある。
「さあ、おとなしく首を差し出しなさい!」
ヒルダが一歩踏み出し、首輪をヴィンセントの首に伸ばす。
彼女の手には、起動用のリモコンが握られている。あのボタンを押せば、回路が通電する。
「やめろ!!」
ヴィンセントが叫んだ。
それは、自分の身を守るためではない。「労働災害」を防ぐための、現場監督としての叫びだった。
だが、ヒルダはそれを「怯え」と勘違いし、嗜虐的な笑みを深める。
「あら、怖いの? でも無駄よ、これは絶対的な――」
「危ないと言っているんだ、素人がッ!」
ヴィンセントの手が動いた。
腰のベルトから、愛用のニッパーを引き抜く。
その速度は、レジーナの剣撃すら見切った(風で吹き飛ばした)彼にとっては、あくびが出るほど遅い世界だった。
カッ!
銀閃が走る。
ヴィンセントのニッパーが、ヒルダの手にある首輪の「魔力制御ユニット」の配線を、正確無比に切断した。
パチンッ。
乾いた音が響く。
その瞬間だった。
ボンッ!!
ヒルダの反対の手に握られていた「起動リモコン」が、可愛らしい音を立てて破裂した。
首輪側の回路を切断されたことで、行き場を失った待機魔力が逆流し、リモコン側でショートしたのだ。
白い煙がモクモクと上がり、ヒルダの顔を包む。
「きゃあああああ!?」
ヒルダは悲鳴を上げ、尻餅をついた。
爆発と言っても、爆竹程度のもので、怪我はない。
だが、彼女にとっては「自分の絶対的な武器が、一瞬で破壊された」という事実は、核爆発にも等しい衝撃だった。
煙が晴れる。
そこには、ニッパーを構えたまま、仁王立ちするヴィンセントの姿があった。
彼は、黒いススで少し汚れたヒルダを見下ろし、心底呆れたように吐き捨てた。
「安全装置も確認せずに運用するな。回路がショート寸前だったぞ。……死ぬ気か?」
ヴィンセントは、「(装着した俺が)死ぬ気か」と言いたかった。
あるいは、「(爆発事故を起こして)死ぬ気か」という安全教育的な叱責だった。
しかし。
腰を抜かして震えるヒルダの目には、その言葉と光景は、全く別の意味を持って映っていた。
(こ、国宝級の魔道具を……ニッパー一本で無力化した!?)
(しかも、私の攻撃魔法を反射して、手元のリモコンだけを爆破した……!?)
圧倒的な技術力。圧倒的な魔力制御。
そして、あの冷たい瞳。
「死ぬ気か?」という言葉は、彼女にとってこう変換された。
――『次、俺に牙を剥いたら、爆発するのはリモコンではなく、お前の頭だぞ』
「ひっ……!」
ヒルダの全身が、ガタガタと震え出した。
プライドも、高慢さも、粉々に砕け散った。
目の前にいるのは「豚貴族」ではない。
人の形をした、触れてはいけない「禁忌」だ。
恐怖。
生物としての根源的な生存本能が、彼女の理性を凌駕した。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさいぃぃ……!」
彼女は涙目で謝罪の言葉を繰り返す。
そして。
限界を超えた緊張が緩んだ瞬間、彼女の下腹部に温かい感覚が広がった。
じわり。
純白のタイツの股間部分が、恥ずかしい色に染まっていく。
床に、小さな水溜りができた。
「あ……」
ヒルダは自分の失態に気づき、顔を真っ赤にしてフリーズした。
公爵令嬢としての矜持。社交界の華としての尊厳。
それらが全て、ヴィンセントという「魔王」の前で決壊したのだ。
周囲の生徒たちも、あまりの光景に言葉を失っている。
あの高慢なヒルダ様が、睨まれただけで腰を抜かし、あろうことか失禁して泣いている。
誰もヴィンセントを責めない。
いや、責められない。「彼を怒らせたら、次は自分がこうなる」という恐怖が勝ったからだ。
「……はぁ」
ヴィンセントは、再び深くため息をついた。
彼はヒルダの足元の水溜まりを見て、「あーあ、可哀想に。爆発音にびっくりしたんだな」と同情した。
そして、これ以上ここにいると、彼女がさらにパニック(二次災害)を起こすと判断した。
「次はちゃんと整備しておけ。……行くぞ」
彼はそれだけ言い残し、ヒルダに背を向けて歩き出した。
その背中は、「弱者には興味がない」と語る孤高の王のそれだった。
残されたヒルダは、濡れた床に座り込んだまま、遠ざかる黒い背中を見つめていた。
恐怖で震える身体。
だが、その胸の奥底で、奇妙な感情が芽生え始めていた。
(殺されなかった……)
あれほどの力を持ちながら、彼は私を見逃した。
それどころか、「整備しておけ」とアドバイスまでくれた。
あんなに酷いことをした私に、慈悲を……?
ドクン。
恐怖色に染まっていた心臓が、別のリズムで跳ねた。
それは、「わからせられた」者特有の、歪んだ依存心の萌芽だった。
「ヴィンセント……様……」
彼女の呟きは、廊下の喧騒にかき消された。
だが、その瞳に宿った光は、レジーナのそれと酷似していた。
こうして、ヴィンセントは意図せずして二人目の「高位貴族」を陥落させた。
平穏な学園生活は、ますます遠のくばかりである。
次回、第5話。
「黒の騎士団結成と『嘘の現実化』」。
領地の不正を暴くため、ヴィンセントがついたハッタリが、なぜか現実になる!?
「全てお見通しだ(Ctrl+F検索)」




