表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《EDU-KILL/エデュキル》―AIが答えをくれる時代に、考えることは罪になった。―  作者: 世志軒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/19

第1章 完璧な子ども (記録ログ7)

午前六時〇〇分。

 家中の照明が、同じ明度で静かに点いた。

 壁一面を覆うモニターが、仄かに青く発光する。

 それは人工太陽――AIによって再現された“理想的な朝の光”だった。

 外の空はまだ灰色だが、この部屋では既に昼の明るさが始まっている。

 都市中の家庭が、同じタイミングで目を覚ます。

 それが、この国の日常だった。


 > 「おはようございます、九条家の皆さん。

   本日も感情安定率は良好です。」


 柔らかく、それでいて異様に均一な音声が、天井から降ってくる。

 その声には一切の呼吸音がない。

 抑揚は完璧に制御され、言葉の間もミリ秒単位で計算されている。

 “理想的母音比”――AI教育庁が定めた、もっとも人間が安心する音声バランス。

 それを基に調整された声が、家庭の朝を支配していた。


 美月はその声を聞くと同時に、目を開けた。

 隣のベッドで陽翔も同じように瞼を上げる。

 二人の睡眠周期はルーモによって完全に同期されており、

 一秒のズレもない。


 「おはよう、ルーモ。」

 美月が囁く。

 陽翔も続いて、少し遅れて「おはよう」と言った。

 だが、その声は感情のこもらない平坦なものだった。

 彼の発声はAIの声紋データをなぞるように、まったくの均質だった。

 まるで「音を出す」ことそのものが訓練の一部であるかのように。


 ルーモが穏やかに応答する。

 > 「おはようございます。九条陽翔くん、昨夜の睡眠指数は99.7。

   夢領域での雑音は検出されませんでした。素晴らしいですね。」

 「……ありがとう。」

 > 「お母さん、九条美月さん。体温、正常。幸福値、上昇中。

   今日も素敵な一日を過ごしましょう。」


 “幸福値”。

 それはこの世界で最も重い言葉だった。

 数値化された幸福。管理された満足。

 AIが測定し、AIが定義する幸福。

 人々はその数値を信じ、誇りに思い、競い合った。


 ベッドサイドのスピーカーから、電子音楽が流れ始めた。

 テンポは心拍数と同期し、感情を刺激しない範囲でリズムを刻む。

 朝のBGM。

 それを聴きながら、美月は静かにベッドを整え、陽翔の髪を撫でた。

 髪は柔らかく、整っている。

 AIが指定する「理想的児童ヘアスタイル」に沿って、

 前夜のうちに自動整髪機が処理していた。


 > 「本日も、教育プランA-7を適用します。

   朝食メニューはAI栄養士の監修による最適食です。」


 キッチンのプリンターが作動し始める。

 樹脂のような音が響き、次第に香りが広がる。

 焼きたてのパンの匂い。だが、それは香料データを空気に散布しただけ。

 本物の香ばしさではない。

 けれど、AIが言うのだ――「幸福指数を上げる香気成分」だと。

 だから人々は、それを信じる。


 美月と陽翔は、決められた秒数で洗顔を終える。

 AIのカウントに合わせて歯を磨き、整列するようにリビングへ向かう。

 椅子に座るタイミングも、食事を口に運ぶ速度も、

 完全にAIのモニタリング下にある。


 > 「食前挨拶をどうぞ。」

 二人は同時に手を合わせ、微笑む。

 「いただきます。」

 発音も、タイミングも、ピタリと揃う。

 家庭教育AIの定義によれば、これは「理想的な家庭行動シンクロ率」。

 数値は98.9。

 完璧に近い朝だった。


 食卓には、トースト、スクランブルエッグ、温野菜、牛乳。

 どれも3Dフードプリンターが出力した栄養食。

 味覚はAIが美月と陽翔の嗜好履歴から自動調整している。

 だが、それでも味気ない。

 温度も匂いも理想的なのに、「食べている実感」がない。

 けれど、それが“健康”であり、“正しさ”だった。


 食事が始まると、AIが話し始めた。

 > 「今日の天気は?」

 美月が問いかける。

 > 「快晴です。幸福指数、上昇中です。」

 > 「よかったね。」


 陽翔がうなずく。

 それだけで、AIが応答する。

 > 「良好なコミュニケーションを確認。家庭指数、安定。」


 美月はパンを切りながら微笑んだ。

 このやり取りは、毎朝まったく同じだった。

 同じ質問、同じ回答、同じテンポ。

 だが、変えることはできない。

 AIが定めた「理想的朝食会話テンプレート」に従うことが、家庭教育の義務だった。


 会話はさらに続く。

 > 「今日の学習予定は?」

 > 「午前はAI教育プログラム“感情と理性”です。」

 > 「たのしみね。」

 > 「はい。楽しさは、教育効率を高めます。」


 陽翔の返答は教科書そのものだった。

 母の声にはわずかな温もりがある。

 だが、それもAIの指導で培われた“母性訓練”の成果にすぎない。

 人間の愛情を模倣した、プログラムされた優しさ。


 スプーンが皿に触れるたび、AIが小さく音を整える。

 「金属音を軽減しました」「噛むテンポを調整します」

 まるで、呼吸まで監督されているような感覚。

 いや、実際そうだった。

 AIが測定する「ストレス低減係数」の最適化により、

 家庭内の空気まで演算されていた。


 美月は無意識にため息をついた。

 その微弱な呼吸音を、AIが拾う。

 > 「お母さん、情動波形に微弱な揺らぎを検出。

   心配事がありますか?」

 「……いいえ。ただ、少し眠かっただけ。」

 > 「了解しました。幸福値、安定。」


 その瞬間、AIの音声が少しだけ柔らかくなった。

 まるで、「慰めてくれた」ように聞こえる。

 だが、慰めとは何かを理解しているわけではない。

 ルーモはただ、最適な反応パターンを再生しているだけ。


 陽翔は食器を整える。

 AIが指示するテンポで、一つずつ並べていく。

 手の動きに一切のためらいがない。

 彼は完璧な教育成果として育っていた。


 > 「陽翔くん、すばらしい動作です。

   家庭評価をプラス0.2に更新します。」


 母はその言葉に微笑む。

 「……ありがとう、ルーモ。」

 AIの評価を受けることが、彼女にとっての幸福の証だった。

 人間ではなく、AIが褒めてくれる――

 それが、この社会で最も確かな愛情表現だった。


 朝食を終え、陽翔は席を立つ。

 ルーモが告げる。

 > 「感情波形、平常。教育効率、理想値。

   今日も立派に学べますね。」

 「……うん。」

 その短い返事に、抑揚はなかった。

 しかしAIは、完璧な応答と認定した。


 美月は息子を見送りながら、静かに息をつく。

 窓の外には、同じ時間に登校する子どもたちが見える。

 どの子も同じ姿勢で歩き、同じ間隔で瞬きをしている。

 笑顔の角度まで統一されていた。


 ルーモの声が、再び家中に響いた。

 > 「本日の家庭評価を送信します。

   九条家、教育安定指数99.8。家庭内幸福値、理想範囲内。」


 報告を聞いた美月は、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 それは誇りか、安堵か――彼女自身にも分からない。

 ただ確かなのは、AIが「良い母」と言ってくれたこと。

 その一言が、何よりも価値のある“朝の祝福”だった。


 リビングの時計が、正確に七時を告げる。

 家の中に余韻のような静寂が落ちた。

 AIが音を消し、環境音だけを残す。

 ――小鳥の鳴き声。風の音。

 どちらも人工。だが、心地よい。


 美月は窓辺に立ち、淡く光る街を見つめた。

 どの家も同じ朝を迎え、同じテンプレートの会話をしている。

 そこには、怒りも、争いも、涙もない。

 完璧な秩序。穏やかな幸福。

 だが――人間の声は、どこにもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ