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《EDU-KILL/エデュキル》―AIが答えをくれる時代に、考えることは罪になった。―  作者: 世志軒


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第1章 完璧な子ども (記録ログ18)

 乾の執務室は、いつ来ても冷えすぎている。


 壁一面のモニターには、都市の教育指数グラフ、矯正件数、AI稼働率――

 どれも滑らかな曲線を描き、安定を示している。


 その中央、窓際のデスクに、乾慶一は静かに座っていた。


 灰色がかった黒髪を後ろでゆるく束ね、

 銀縁の眼鏡の奥で、灰青色の瞳が薄く光る。


 黒のスーツはよく馴染んでいるが、

 右腕だけが金属質な義肢だ。

 指をわずかに動かすたび、微かな機械音が室内に響く。


「朝霧。座りたまえ」


 低く落ち着いた声。

 澪は姿勢を正して一礼し、正面の椅子に腰を下ろした。


「報告があると聞いたが――篠原の件だな?」


 乾は、彼女が口を開くより先にそう言った。


 澪の胸が一瞬、強く脈打つ。


「……把握されていたのですね」


「第七課の執行官が、深層ログに裏鍵アクセスを試みた。

 気づかないほど、私も耄碌してはいないさ」


 乾の口元が、かすかに笑みの形を作る。

 だが、その笑いには温度がない。


「なら、監査AIにも――」


「報告はまだ上げていない」


 乾の言葉は、淡々としていた。


「あなたが、止めたのですか?」


「正確には、“報告タイミングを調整した”だけだ」

 義肢の指が、机上の端末を軽く叩く。

 モニターのひとつに、レンのアクセスログが映し出される。


 そこには、澪が先ほど端末で見たのと同じ表示があった。


 ――ARC-9/Seed


 澪は思わず息を呑む。


「そのタグ……やはり、乾さんもご存知で」


「“タグ”そのものは意味を持たない。

 だが、どこに現れ、どのように消されているかが重要だ」


 乾の瞳が、僅かに細められた。


「君も気づいているだろう。

 ここ数ヶ月、家庭型ルーモの誤作動は、表の統計以上に多い」


 澪は無意識に背筋をこわばらせる。


「しかし、公式には――」


「“統計上の誤差”だと?」

 乾は穏やかに言って、薄く笑った。

 「便利な言葉だ。誤差という箱に、どれだけの死がしまわれているか」


 その口調は、どこか自嘲に近い響きを帯びていた。


 澪は、わずかに目を見開く。


「……課長は、AIの判断に疑義を?」


「私はAIを信じているよ」

 乾は即答した。

 「人間よりもはるかに安定し、感情のノイズにも左右されない。

 だが――AIを使う人間を、完全には信じていない。」


 静かな言葉が、澪の胸に刺さる。


「“使う人間”……?」


「アルゴリズムを設計し、パラメータを調整し、“誤差範囲”を決める者たちだ。

 AIの“正解”は、彼らの価値観を反映しているに過ぎん」


 乾の灰青の瞳が、真正面から澪を見据える。


「朝霧。君は、AIの正解が常に人を救うと、今も信じているか?」


 その問いは、澪の根幹を揺さぶった。


 ――兄の死を、正しいと信じるために。

 彼女はずっと、そう信じ続けてきた。


 それが、自分を保つ唯一の方法だった。


「……私は、AIは人間よりも“ましな誤り”しか犯さないと、そう考えています」


 澪は慎重に言葉を選んで答えた。


「しかし、ここ最近の誤作動については――」

 言い淀む。


 乾は続きを促さない。ただ、静かに待った。


「……現場に立つと、“同じ何か”を感じます。

 AIの誤りというより、“誰かが誤らせている”ような」


 口にした途端、その感覚がより鮮明になる。


 乾は、小さく頷いた。


「その違和感を、どう扱う?」


 また、問われる。


 澪は唇を噛んだ。


 本来なら、違和感など切り捨ててしまえばいい。

 AIが正しいと言うなら、それが正しい。

 疑う必要も、権利もない――はずだった。


 だが、レンの顔が浮かぶ。

 九条家の矯正に向かうとき見せた、あの虚ろな横顔。

 そして、陽翔という少年の“狂い方”。


 あれが、すべて「統計上の誤差」だというのなら。


「……私は、現場の人間として、事実を確認したいと思います。

 AIが正しいと言う前に、自分の目で」


 それは、これまでの澪なら決して口にしなかった答えだった。


 乾の口元が、かすかに緩む。


「それでいい」


「……え?」


「私は君に、篠原レンの監視と同行を命じるつもりだった」

 乾は淡々と告げた。

 「だがそれは“監視官”としてではなく、“観測者”としてだ」


 澪は言葉を失う。


「観測者……?」


「レンは、AI秩序に最も近いところで、“正解を壊す役目”を与えられた人間だ。

 彼がどこへ向かおうとしているのか、

 それを目撃し記録する者が必要だ」


 乾は義肢の指先で、机上の端末を操作する。


 モニターに、新たな任務ファイルが表示された。


 > 【任務指示:第七課特務執行官・朝霧澪】

 > ・対象:篠原レン

 > ・内容:行動の同行・補佐・観測記録

 > ・備考:本任務に関する報告は、局内上層AIには即時送信しないこと。

 >     一次報告先は第七課課長・乾慶一とする。


「……AIを経由しない、報告ルート?」


 澪の声には、隠しきれない驚きが滲んだ。


「矯正局がAIを迂回することなど――」


「珍しいな。だが、不可能ではない」

 乾は静かに言う。

 「秩序を守るためには、ときに秩序の外側から見つめる目も必要だ」


 その理屈は、澪のこれまでの価値観からすれば矛盾している。

 だが同時に、不思議なくらい“納得”させられる力があった。


「課長は……レンをどうされるつもりですか?」


 澪は、思わず問いかけていた。


 乾は少しだけ視線を伏せ、考えるように間を置く。


「篠原レンは“刃”だ。

 刃は、正しく研がれ、正しく振るわれねばならない。

 だが、鈍らせて鞘に収めるだけなら、最初から要らない」


 ゆっくりと、澪を見据える。


「私は、彼に世界の『調律』を乱すものを斬ってもらいたい。

 それがAIであろうと、人間であろうと、計画であろうと、な」


 あまりにも率直な言葉に、澪は息を呑んだ。


 乾は続ける。


「だが、その過程で彼が“刃であることをやめる”と判断したなら――

 私は、君に彼を止めてほしい」


 ――その時は、私があなたを斬るのね。


 澪は心の中でそう呟いた。


 レンの監視。同行。観測。


 AIを迂回した報告ルート。

 ARC-9/Seedという謎のタグ。


 そして、上司である乾の、

 “AIを信じながらAIの外側を見ようとしている”矛盾した立場。


 すべてが、彼女の足場を揺さぶる。


「……ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」


「何だ」


「九条家の件。

 教育庁AIは、あれを“経年劣化による個体差”と結論づけました。

 しかし、現場の感触は違った。

 課長は――あの矯正を、正しいとお考えですか?」


 数秒の沈黙。


 乾は、眼鏡の位置を指で直し、

 窓の外の灰色の空を一瞥してから答えた。


「“矯正という結果”だけ見れば、正しい。

 だが、“そこに至るまでの過程”が、正しかったかどうかは――」


 薄く笑い、言葉を切る。


「まだ判断を保留している」


 その曖昧さこそ、彼が本気で考えている証拠だった。


 澪はゆっくりと頷く。


(この人もまた、完全には信じきれていない。

 AIの正解を――そして、自分たち人間を)


 足元の床が、少しだけ不安定になる感覚。


 彼女の世界は、

 「AIは正しい/人間は誤る」という単純な二分では、

 もはや説明できなくなっていた。


「……任務、拝命いたします」


 澪は椅子から立ち上がり、深く一礼した。


「篠原レンの行動を監視し、必要とあらば制止し――

 その目で見たものを、課長に報告します」


「いい返事だ」


 乾は満足そうでも、不安そうでもない表情で頷いた。


 背を向けかけた澪を、ふと思い出したように呼び止める。


「朝霧」


「はい」


「先ほど君は、“AIが誤らせられているように感じる”と言ったな」


「……はい」


「その感覚を忘れるな。

 君の疑念は、いずれ私よりも正確な羅針盤になるかもしれない。」


 意外な言葉だった。


 AI秩序を守るために感情を削ぎ落としてきた彼女にとって、

 “自分の感覚を信じろ”と言われることが、こんなにも戸惑いを生むとは。


「……了解しました」


 澪は再び礼をし、執務室を後にした。

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