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魔界の城に流れる時間は、人間界とはどこか違っていた。久しく感じていなかった「平穏」に、少し戸惑いがあったが、日が経つにつれ、慣れていっているのが分かる。
執務を終えた後の書庫、夕餉を囲む静かな食堂、そしてキーラによるささやかな茶会――
私は月明かりの差す廊下を歩きながら、この平穏がいつまでも続けばいいとすら思った。
コツ、コツ、
向こうから魔族が歩いてくるのが見える。ザルバスの配下だろう。
コツ、コツ、
すれ違い様、私は、彼が私の方を睨み付けているのに気づいた。その一瞬、感じたのは露骨な敵意。相手の手がわずかに剣の柄へ伸びる仕草。
私は目を細めた。
しかし、その後なにか起こるわけではなく、男は静かに通りすぎていった。
「はぁ……」
あの程度で敵意を隠せていると思っているのだろうか。面倒なやつがこの城にもいるようだ。
私はそのまま、部屋へ戻り、剣を磨いていると、今度は昨日からしつこく感じていた魔族の気配にいい加減イライラしてきた。私は少し息をはくと、一瞬の間に、隠していた短剣をその気配のする方へ投げ飛ばした。それはグサリと部屋の角へ刺さった。
「出てこい。そこにいるのは分かってる」
すると、目の前に顔を隠した黒づくめの魔族が現れた。それは、私の前に跪き、深々と頭を下げる。
「失礼いたしました。主様よりイリス様をお守りするように申しつかっております。どうかお許しください」
「……護衛か?」
思わず、わずかに眉をひそめた。
「はい。最近、城内で不穏な動きがあると報告がありました。念のため、しばらくの間、私が……」
「遠慮する。
私は“自分の身は自分で守る”と約束した」
「ですが、ザルバス様のご意向も……」
「なら、ザルバスに直接言う」
その魔族は、一瞬たじろぎ、私が部屋を出ていくのを静かに見守っていた。
◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇
私は、ザルバスの執務室へ直行する。
部屋では、ザルバスが報告書に目を通していた。
「また来てくれたのか、イリス」
「……護衛をつけてくれているらしいが、結構だ。」
ザルバスは、まぁ、ばれるよな、とくすりと笑う。
「君が頑固なのは承知している。それでも、この城が必ずしも安全とは限らないだろう。戦いの前に面倒事になるのはごめんだ。」
「そんなことはわかってる。」
イリスは拳を握る。
「だからまだ私は、お前たちが信用できないんだ」
ザルバスは一瞬、静かにこちらを見つめる。
「分かった。だが何かあれば、必ずすぐ俺を呼ぶんだ。お前の体はもう一人のものじゃないぞ、イリス」
ドアの外に戻ったが、何故かモヤモヤする。私はすぐに部屋に戻り、眠りについた。
だがその夜、彼女の寝室の窓辺で、見知らぬ魔族の影が、じっと静かに彼女を見つめていた──。




