尊敬している兄との別れ。
謎の配信が話題になる少し前のお話
テレビや面接などで耳にする質問。
あなたの尊敬している人物は誰ですか?
もし質問をされたなら、僕は真っ先に兄です。と答えるだろう。
僕の兄 柏木 海斗 は格好良くて尊敬出来る自慢の兄
だった。何も変わらない面白みもない同じ様な毎日を繰り返していた。僕 浜辺賢人(当時18歳) の日常は一瞬にして崩れ落ちていく。
そんな出来事が起きたのはいつもの様に母さんと夜ご飯を食べていた時の事だった。
母さんのスマホから電話を知らせる、通知音が鳴り響く。
「リンリンリン リンリンリン リンリンリン」
少しダサい通知音だったのを覚えている。
机に置いてあったスマホを手に取り、誰かと話し出す母さん、次第に顔色が悪くなるのが分かった。
電話を終える頃には涙目になりながら、僕の方へと向かってくる。
母さんに何かあったのだろうか…心配になった僕は母さんに声をかける
「かぁ「お兄ちゃんが重たい病気になったって…手術したとしても助から…ない…って…」
僕の声掛けに嵩張るように母さんは泣きながら僕に伝えてくる。僕は母さんが何を言っているのか理解ができなかった。
月に1回、第三日曜日に兄と必ず会うという決まりがある。これは僕達兄弟が決めたルールだった。
僕が15歳の時に両親は離婚
兄は父さんの方へ僕は母さんの方へと僕達兄弟は離れ離れになった。
兄は僕よりも6つも歳が上だ。
いつも兄さんは僕の事を心配してくれていた、
たまにウザいと感じることもあったけどね。
そんな兄と別れ際に一緒に考えたルール
それが月に1回、第三日曜日に会おうだった。
昨日は第三日曜日、僕は兄と会っていた。
僕の話を聞いて、元気そうに笑う兄が、病気になったなんて信じられなかった。いや、信じたくなかったんだと思う。
そこからはバタバタだった。
僕の記憶も脳が拒絶反応を起こしているのかあまり覚えていない。
でも鮮明に覚えていることがある
兄が亡くなる二週間前に家族や親戚、一人一人と話がしたいと僕達家族にお願いをしてきた。
僕はこれが兄と話す最後の瞬間なのだと悟った。
1番最初は僕からだった、両親が病室から出ていくのを見送った後に兄は口を開く
「俺が居なくなってからの物や服は全部お前にやる
俺が居なくなっても引きずんじゃねぇぞ。」
といつもの明るい笑顔を見せてくれた。
その後は最近の出来事や悩み事 色んな話を兄と楽しく話していった。
まだまだ話したいけれどここに居るのは
僕だけじゃない、僕の次は母さんの番だ。
母さんを呼びに行こうと椅子から立ち上がり扉に向う。兄に背を向け、涙を堪えながら扉に手を掛けようとしたその時
「後、俺のパソコンのデータ処分しといてくれ」
この一言が兄 柏木 海斗の最後の遺言だった。
兄に注意されていた
俺が居なくても引きずるんじゃねぇぞは
正直無理だった。
「ごめん。兄さん、立ち直るのに3年かかった。」
僕は兄が残したパソコンに向かってそう呟くのだった。
誤字脱字あったらごめんなさい。