第2話 無限に広がる暗黒の宇宙に浮かぶ地球
大学の卒業が近づくころになると、わたしも凡人なりに、それまでの精進が一つの形になり始めていた。初心者のころには見えていなかったものが見えるようになり、構築や戦略、プレイングについての引き出しも格段に増えていた。できることが増えて、より正しい選択肢を選ぶことができれば、勝てるようにもなってくる。店舗大会では上位入賞の常連になり──しかし、それでもなお、チダにはとても敵いそうにはなかった。
そして、引っ越しを控えたあの日、学生時代で最後のの店舗大会を迎えることになる。その日の大会はゲームデーと呼ばれる種類のもので、『CHAMPION』の文字が記された非売品のプレイマットが優勝賞品だった。年に数度だけあるゲームデーにおいて、その勝者の証のほとんどは、例によってチダにガメられていた。きょうばかりは勝ってやるぞと、わたしはいつもに増して気合を入れていた。
わたしは予選のスイスラウンドを順調に勝ち進んだ。環境読みはズバリと当たり、持ち込んだデッキは、想定される全てのデッキ相手の回答を持っていた。
無数ともいえるカードプールの中から自分が選んだカードを使い、互いに競い合い、相手が考えたデッキを打ち倒す! ──これほど楽しいこと、夢中になれることが、果たしてこの先の人生に存在するのだろうかと、わたしは思わず考えていた。
カードゲームの外の世界と比べてみよう。すなわち、自分のこれまでの人生に自由というものがあっただろうか? そしてこれからの人生に自由というものがありえるだろうか? ──過去にも未来にも、そんなものはない。自由を獲得するためには、あらゆるものが不足している。学力や知能、人脈、実家の資産、地理的条件……とにかく、様々な制約があり、その中でなんとか少しでもましな方へと身体を寄せようとしてもがいているのだから、人生というのは不自由そのものだ。もしも人間は自由だとのたまう輩がいたら、そいつは嘘つきであるか、他人を搾取する階級にあるというだけだろう。
そして一方で、カードゲームの中の世界には、外の世界とは異なり、自由があった。デッキ構築において、わたしはあらゆる選択をとることができる。プレイングにおいて、ルールに適うすべての行動をとることができる。そこにあるのは、究極の自己表現だ。──なんというパラドクスだ! 有限のカードと定められた総合ルールの中にある世界の方が、それ以外のすべての世界よりも自由を感じられるというのは……しかし、これこそがわたしの偽らざる本心だった。
いうなれば、カードゲームというのは、無限に広がる暗黒の宇宙に浮かぶ地球だ。そのほんの小さな惑星の、薄っぺらい大気の中でだけ、わたしは息ができる。そこでしか息ができない。それにくわえて、地球の外の世界に住むタコ型宇宙人とは、会話もできずに、殺されたり殺したりすることしかできないが、地球に住む地球人同士ならば、話すことができる、気持ちが通じ合うこともある……。
さて、大会の決勝ラウンドの最終戦、奇しくも──いや、必然的に、対戦相手はチダだった。
指定された席に着く。優勝をかけて争うその卓につけるのは、参加者のうちでたった二人だけ。わたしとチダの二人だけ。
「なあ」と試合開始前に、チダはおもむろに話しかけてきた。「きみが初めてこの店にきて、初めて参加した大会で、最初に当たったのはおれだったよな。覚えてるか?」
試合で熱くなっていたわたしの頭の中が、真空になった。
「──覚えているさ!」
「おれも覚えているよ。……きみがいなくなると、寂しくなるな」
途端、わたしの頭の中に、そして胸の中に、それまでのすべてが去来した。あの時から、今に至るまでの、すべて。
終わらないでくれ、とわたしは願った。もう、いまこの時以上のものは何も望まないから、全てが止まってくれと思った。先に進みたくない、他になにも欲しくはない、この満ち足りた場所から去りたくなんてない──
決勝戦、勝ったのはチダだった。
勝者の証のプレイマットはチダの手に渡り、しかし彼は、その優勝賞品を、餞別としてわたしに譲った。
こうして、わたしの青春の日々は幕を閉じた。