榎本侑希という男
俺が通っている千葉県立汐崎高校は海浜幕張駅から徒歩二十分、花見川から少し近い位置に所在している。
全校生徒七百二十人の自称“進学校”と流布している普通科高等学校だ。
今年で創立三十周年目だから比較的新しい方だろう。
汐崎高校へ通うには、俺が住んでるマンションを出て、JR東日本京葉線の新習志野駅で、電車に乗り、幕張豊砂駅を通過して、海浜幕張駅で降りる。
そして、そこから高校までは徒歩。
家を出てから高校まで、だいたい四十分かかる。
マンションを出て、俺は習志野秋津郵便局を通り過ぎて少し歩き、新習志野駅の北口に着いた。
持っているSuicaで改札口を抜け、ホームで電車を待つ。
ニ、三分待つと電車がホームに着いて、それに乗り込んだ。
満員電車ではないにしろ、車内はそれなりに混んでいた。
適当に空いているスペースを確保して、鞄からワイヤレスイヤホンを取り出し耳につけた。
一人で電車に乗っている時は音楽を聴く習慣を一年前からずっと行っている。
音楽でも聴かないと、人混みの騒音で絶対イライラしてしまう。
隣でイビキなんかかかれたら最悪だ。
その日は変なおじさんのイビキの夢を見るだろう。
クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』を聴いていると、電車は幕張豊砂駅に到着した。
駅のホームを見ていると友達の榎本侑希がこちらに向かって手を振ってきた。
こいつは周囲の目とかを気にしないで生きているのだろうか。
それとも、ただの馬鹿か。
どっちにしろ、侑希が能天気なのには変わりない。
それでいて、高身長なイケメンなのがなんか腹立つ。
自動ドアが開くと、侑希は真っ直ぐ俺の方に近づいてきた。
俺はイヤホンを外して、侑希の方に体を向けた。
「おっす、絋汰。寝坊はしなかったみたいだな」
「俺は優秀な部員だからな。それに、早起きすれば金や彼女が手に入るかもしれないだろ」
「ただの下心丸出しクズ野郎じゃないか。彼女なんか作ったことないくせに」
「そういうこと言ってるとモテなくなるぞ」
「なってみたいねぇ。年中無休でモテまくってるから」
「モテるっていうのはとんでもなくブラックなんだな。いつかやらかしてリストラされちまえ」
ハハっと侑希が笑った。
やっぱうざいな、こいつ。
侑希がモテるのは事実で、現に高一のバレンタインで紙袋から溢れるくらいの量のチョコを貰っていた。
整った容姿に運動神経もよく、おまけに元気で優しい。
漫画とかによく出てくるモテ男の特徴と同じ。
だから俺はこの榎本侑希という男を漫画のキャラクターだと思っている。
しかし、神様は完璧な人間を作らない。
侑希は表面上は優しいイケメンだが、本当はただのエロガキだ。
よく部室で「俺のクラス、巨乳がいなくてつまらなーい」と他の部員たちにぼやいている。
俺には巨乳の何が良いのか分からないが、侑希は巨乳こそ至宝だと思っているらしい。
侑希が男子から嫌われていないのは、こういう一面があるからだ。
「今日は美桜ちゃんと一緒じゃないのか」
「俺の妹と同じこと言ってんな。もしかして、周囲の人間にはいつも一緒にいるように見えるのか」
「見えるな。何なら、一部の生徒は付き合ってるかもって噂してるぞ」
「彼女が欲しいと思ったことはあるが、美桜ではないな」
「えー、なんで。美桜ちゃん可愛いじゃん」
侑希の言う通り美桜は可愛い女子の部類に入ると思う。
少しギャル風の華やかな顔立ちや、明るく社交的な性格は男子生徒から高い評価を得ている。
しかし、俺は美桜との付き合いが長いので、そういう目で見たことはない。
それに、俺は顔で人は選ばない。
『包容力』
これに限る。
「長く付き合っていく人を顔で選ぶのは、三流のやることだ。一流は包容力で選ぶんだよ」
「言ってること大して変わんねーだろ。要は顔か胸かの違いだろ?」
「さすがエロガキ様。巨乳マニアなだけある」
朝からとても上品な会話をしていると、目的地である海浜幕張駅に電車が停止した。
侑希と電車を降りて、改札口を抜け、駅の構内を出た。
後はひたすら歩くだけだ。
「しかし、絋汰とクラス離れたの嫌だなぁ。俺、おーるうぇいず寂しいよ」
「こんな甘えん坊と離れられて、ちょー嬉しい。っていうか、もう五月だぞ。一体いつの話してるんだよ」
今日は五月一日月曜日。
二年生が始まったので四月六日なので、もう一ヶ月近く経っている。
一年の時、俺とクラスが一緒だった侑希は二年のクラス替え発表の時、俺とクラスが違うのを知って発狂していた。
俺は2−1で侑希は2−2。
隣のクラスなので、会いに行こうと思えば会えるのだが。
「悲しみに時間は関係ないね。絋汰が側にいないと俺死にそう」
「俺の代わりにたくさんの可愛い女子が側にいるだろ。そいつらに慰めてもらえ」
「お、もしかして女子にモテてる俺に嫉妬してるの?」
「嫉妬?そんな軽くないな。憎悪だよ。ぞ、う、お」
侑希とは毎回こんな感じだ。
内容のない下らない会話。
でも、俺はそれが大好きだし、侑希とは本心に近いところで喋れるから変に気を遣わなくて済む。
だから、侑希とは友達になれた。
「インターハイの予選、誰選ばれるんだろうな」
ハイテク通りを歩いていると、侑希が真面目な質問をしてきた。
それは俺も気になっている。
ーー全国高等学校総合体育大会、通称インターハイ。
俺が所属しているバドミントン部は県予選が六月四日から始まる。
出場できる選手は各高校最大七名で、そろそろメンバー発表があってもおかしくはない。
侑希は誰が選ばれるのか知りたくてしょうがないのだと思う。
「去年シングルス県四位だった真瀬先輩は確実として、後は山田先輩、松永先輩、杉山先輩、瑛志、俺、そしてお前なんじゃない?」
「だろうな〜。でも最近校内戦負けてばっかだから、ちょっとヤバいかも」
「なんか侑希、最近雑魚くなったよな。この前、俺ボコボコにした気がする」
「そこは普通大丈夫って言って友を励ますところだろ。このブサイク!」
「最後のは、股間にスマッシュ打ってくださいってことだな。OK、任せとけ」
話に夢中になって気づいたら、汐崎高校に着いていた。
まだ七時手前だが、ちらほらと生徒がいる。
おそらく俺たちと同じく朝練があるか、ブラックで有名な生徒会かのどちらかだろう。
どっちにしろ、朝早くの活動とは大変なものだ。
正門を通り、体育館へ直行する。
体育館の中にバドミントン部の部室があるので、そこで準備をするのだ。
「おはざいます」
部室に入った侑希がその場にいた部員に挨拶した。
俺も続けて、おはようございますと挨拶をする。
すぐに他の部員から挨拶が返ってきた。
「メンバーに選ばれるためにも、気合入れないとな」
自分に喝を入れ、朝練の準備をした。