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第四話 幽霊は心配性

「あっ、えっと、……おじゃましてます……」

「……」


 また出た。


 バイトを終えて帰宅した美鈴を、幽霊が玄関で出迎える。

 呆気に取られたが、予想もしていた。幽霊といえば夜に出るものだ。普通は――たぶん、おそらく。『普通の幽霊』なんてものがわかるほど、美鈴は幽霊と出会っていない。

 ともかく、だから朝に消えていたからといって、問題が解決したとは思っていなかった。


「その、おかえりなさい、ミリンさん」

「……ただいま」


 おかえりと言われたら、ただいま、と答える。実家にいたときの習慣が、一年ひとり暮らしをしても失われていなかったことに、自分で少し驚いた。


 おかえりなさい。


 それは、幽霊に言われてさえ、なんとなくほっとする言葉だった。


「いつからここにいたの」


 所在なさげに肩をすくめていた幽霊に、靴を脱ぎながら尋ねる。幽霊は正常な人間の範囲内で首をかたむけ、「えーっと」と気の抜ける声を上げた。


「たぶん、ついさっき。あんまり、時間の流れがわからないんだけど。今何時?」

「夜の十時過ぎ」

「ふうん」


 美鈴に時間を訊いたわりに、幽霊はいまひとつわかっていないような、曖昧な相づちを打った。


「訊いた意味、あった?」


 幽霊が首を横に振る。頭が取れるということもなく、彼の目元を覆っている前髪が、動きに合わせてふわふわと揺れた。これが柳のようにゆらゆらと不気味に揺れるなら、まだしも幽霊っぽくなっただろうに。


「なんとなく……反射みたいなもの、です」

「ちなみに、きのうと比べたら、今日のほうが出て間もない?」

「出……。うーん。……いや、どうでしょう。そうでもないような。どうして?」

「きのう、私が帰ってきたのは十一時過ぎだったから。一時間早いでしょ、今日は」


 その一時間の差に意味があるのか、美鈴が考えようとしたとき、幽霊が頓狂なことを言った。


「女の子が、そんな遅くにひとりで出歩いたら、危ないよ……です」


 先ほどから、幽霊の丁寧語は取って付けたようで、喋りにくそうにしている。口調を丁寧語にするかどうかより、気にすべきことはいくらでもあるはずだ。

 脱いだ靴を揃え、上がり框にしゃがんだまま、美鈴は首をひねって幽霊を見上げた。下から覗くアングルでも、幽霊の目元は強固な前髪の防御に守られ、見えなかった。


「なんで、半端にですますを付けるの?」

「どう喋っていいか、わからなくて……。ミリンさんはどっちがいいのかな、って。俺たち、たぶん同じくらいの歳だし、そしたら敬語は堅苦しいかも、と」

「自分の歳、わかるの?」

「なんとなく」


 そう答えつつも、幽霊は自信がなさそうだった。

 美鈴としても、なんとなく同年代かな、と感ずるものはあるけれど、幽霊がそう思う根拠は知りたかった。


「なんとなくわかるって、どういうことよ」

「……はっきり理由になるものがないのに、そう感じるっていうか……」

「へえ。ほかに、そういうふうに思うことは?」


 記憶のほとんどをなくしている幽霊である。少しでも手がかりになるかと美鈴が問えば、幽霊はまた首を横に振った。


「……特にないかも」

「死因とか、思い当たらないものなの? 幽霊なんでしょ?」

「それは、全然。自分が死んでるっていう実感もない……です」

「役に立たないねぇ」


 美鈴はため息をつき、幽霊が縮こまるのを見て、その居心地の悪さにもため息をつきそうになるのをこらえた。


「でもまあとりあえず、普通に、丁寧語じゃなく喋ってよ。気詰まりでしょ」

「そう……ありがとう」

「お礼を言われるようなことでもないけど」


 幽霊の雰囲気が、少し和らぐ。こころなしか、半透明の輪郭線も、ほわんと緩んだ気がする。


「その、それで……ミリンさん」

「なあに?」

「あんまり遅くに出歩いているのは、心配だよ」


 美鈴はまた、ため息をこらえなければならなかった。


「今どき、何を言ってるの」

「今どきでも、危ないものは危ないと思うけど……」

「あのね」


 美鈴は立ち上がりつつ幽霊にスマホの画面を突き出し、防犯ブザーアプリを見せつけながら言った。


「私もちゃんと、気をつけてはいるから。それに、小さいころから遡っても、私の身に起きた一番重大な事件はね、今の、あなた」


 アプリのボタンにうっかり触れてしまわないよう、注意しながらスマホを戻す。防犯ブザーらしく、簡単な操作で大音量が鳴るから、うっかりタップするとものすごくうるさいのである。いらぬところで鳴らして、ご近所のオオカミ少年になってもよろしくない。


「俺は、何も危なくないよ……」


 幽霊はしょんぼりと肩を落とした。


「まあ、それはわかる」

「簡単に信用するのはどうかと思う」

「あなたね……」


 美鈴は思わず手の中のスマホを握りしめた。せっかく同情しているのに、本人が台無しにしないでほしい。


「じゃあ訊くけど、あなたに何ができるの? 呪い? 祟り? ポルターガイスト? できるなら見せてくれない?」

「そんなこと言って、俺が本当にそういうことできたら、どうするの」

「何か壊しても幽霊じゃ弁償させられないから、せいぜいコップを浮かすくらいにしてもらえる?」

「からかわないでよ」


 幽霊は、ちょっとむっとしたようだった。かといって何かをしてくる様子もなく、所在なげにうつむく。


「確かに、俺は無力だけど……」


 そこで言葉を切り、彼は唇をもぞもぞさせて、言おうか言うまいか迷う仕草を見せた。美鈴がじっと見ていると、幽霊は意を決したように顔を上げる。


「ミリンさんは、自分のことを好きだって言ってる男が、部屋に入り込んでいることに、もうちょっと、こう、危機感を……」


 自分で言っていて情けなくなったのか、幽霊の声は小さくなっていき、途切れて消えた。

 彼は、うぅ、ともどかしげに呻いて頭を抱えている。それでも不穏な気配がないのだから、幽霊としてはずいぶんと半端に思えた。普通、幽霊の機嫌を損ねたら、いくらか危うい空気になるだろうに。

 美鈴は幽霊を映画などでしか知らないが、そういうものと相場が決まっていたはずだ。


「危機感、ねぇ」


 幽霊であることを除けば、美鈴が今まで出会ってきた人間の中で、かなり上位の『無害そう』な相手だと感じる。たいして彼のことを知りもしないのにそう思うのは、その姿が薄青に透き通り、美しくさえあるからかもしれない。

 当の幽霊は、自分の美しさになど気づいてもいないそぶりで肩を落とした。


「ミリンさんがあんまり平気だと、俺、意識されてないんだなあって、それはそれで悲しい……」

「幽霊だってことをあんまり意識すると、怖いでしょうが、私が」

「そうじゃなくて、男として」

「この状況で気にするのがそれ?」


 気が抜けた美鈴は、床に置いていたバッグを取り上げて、二歩ほど前に出た。その先は幽霊が廊下を塞いでいる。美鈴の視線を受けた幽霊はきのうと同じようにトイレのドアへ突入しようとしたが、美鈴はそれを止めた。


「奥に行って」


 幽霊の透ける体越しに居室を指さすと、幽霊は振り返って、少し困ったように半歩だけ後ずさった。


「でも、女の子の部屋に……」

「あのね、あなたが男だろうと、何だろうと、『幽霊として化けて出ている』って事実に勝るものはないよ」


 美鈴としても、自分がこれほどまで冷静でいることに、多少の疑問はある。

 だが、恐怖を消し去った、本心の底の底にあるものが何なのか、実は気づいているのだ。


 現実は、ドラマや漫画とは違う。

 あんなふうに心躍るものには、現実では出会えない。

 それでもそれなりに楽しいから、べつにかまわない。

 そんな気持ちで覆い隠した美鈴の心は、本当は、何かが起こることをずっと期待していた。


 誕生日を迎えたとき、中学校や高校に上がるとき、大学生になるとき、ひとり暮らしを始めるとき。

 節目ごとに抱いた期待を、おとなになるにつれ、「ほら、何にもなかったでしょ」と醒めた自分が馬鹿にした。それでも都度わくわくするのを止められなかった。


 すべてが期待はずれだったわけじゃない。

 できることが増えたり、がんばったことの成果が出たり、友だちができたりしたことも、美鈴はちゃんとうれしく受け止めている。


 だが、自分自身で見ないふりをしてみたところで、本心はいつまでも子どもっぽく無謀なほど何かを期待してしまう美鈴だから、幽霊に対しても、恐怖より高揚が先に立ったのだ。


「でもね、私、幽霊が好きかも」

「えっ」


 美鈴の言葉に、幽霊が、喜色半分、困惑半分の声をもらす。

 美鈴は、不思議と今は素直に、心のまま笑えた。

 目の前に、魂そのものをむき出しにしたかのような、幽霊がいるからだろうか。


「いつもと違う何か。ちょっと、わくわくするでしょ」

「ああ……うーん、気持ちはすごくわかる。良くないなって、ホントは言うべきかもしれないけど、わかっちゃうなあ」


 幽霊は美鈴を馬鹿にすることなく、こちらも素直な感想をくれた。


「うふふ」


 もし、目の前にいるのが血みどろの幽霊だったら、さすがに美鈴も笑えない。

 でも、とても綺麗だから。

 玄関を開けて、電気をつける前に見た幽霊の姿が、美鈴の脳裏にうかぶ。

 暗い闇の中ぼんやり青白く光るそれは、清冽で、美しかった。

 まるで、美鈴の家が、何か特別な場所になったかのように。


「何を笑ってるの?」

「慌てんぼうの幽霊よね、あなた。まだ五月で、怪談シーズンにはちょっと早いし」

「いや俺、ミリンさんが未練なわけで、シーズンとか、関係ないと思う」

「そこは不可解なのよ」


 美鈴が前に出ると、美鈴の部屋に入ってしまうことを渋っていた幽霊だが、見えない壁に押されたように下がる。美鈴はそのまま歩いて、結果的に幽霊とともに居室に入った。

 幽霊はハッとしてこわごわ左右に顔を向け、それからうつむき、なるべく何も見ないようにしている。お行儀の良い幽霊だ。


「私の部屋に、見覚えはある?」

「……何のチェック?」

「そのままだよ。見覚え、ないでしょ?」

「そりゃあ、当たり前に……」


 幽霊が首肯したところで、美鈴は「それ」とひとさし指を立ててみせた。


「私を未練にするというわりに、私はあなたを全然知らない。あなたは、私の名前を知っているのに」

「名前……そう、ミリンさんの名前は、読みが少し珍しいんだ。美しいに鈴って書くから、普通はミスズって読む」

「それがわかるなら、ますます不可解」


 美鈴の名前をどこかで見かけただけなら、十中八九『ミスズ』と読むはずだ。逆に、美鈴が誰かに呼ばれるのを聞いて名前を知ったなら、『美鈴』という漢字までは知らないだろう。

 つまり、漢字と読み、その双方を知るとすれば、顔見知り程度の間柄なのが自然だ。それなのに美鈴は彼に少しも見覚えがない。


「ストーカーの線もあるけど……」

「俺、そんなことしないよ!」


 幽霊はひどく心外そうに身を(身はないのだが、上半身を斜めに折って)乗り出してくる。


「遠くから見ているだけならいいんだ。でも、触れちゃだめなんだよ、ミリンさんは」

「どういう感情?」


 言い返しながら、似たような意味の言葉を、誰かから聞いたな、と思う。

 誰か……そう、奈子だ。


 推しは遠くから眺めるもの。わたしごときが触れてはならない。


『恋とは違うのよ』


 いつだったか、彼氏と推しは両立するのかと尋ねたときの答えである。


「……私の友だちの論で言えば、あなたにとって、私は遠くから眺めるもので、恋愛対象ではない、みたいだけど」

「え、普通に恋愛対象だと思う」


 幽霊はあっさり首を横に振る。なるほど、奈子とは意見が違うらしい。


「だとしたら……やっぱりストーカー?」

「違う!」

「でしょうね」

「危機感!」


 幽霊は地団駄を踏みそうな勢いで叫んだ。その足が音もなく床を踏みしめるのを見て、美鈴はふと違和感に気づく。


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