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第三話 本当の恋とは

「奈子たちは、冷凍唐揚げの食べ比べやったんだっけ」

「そうそう。揚げずに、レンジとトースターでね。トースターでもカリカリになるもんだね」

「岡田先輩が、業務用を買って大変だったって言ってたよね。あれ結局どうしたの?」


 奈子の彼氏は、ひとつ上の先輩で、岡田千尋という。奈子が一年後期に取った何かの講義で、グループワークを通じて親しくなったと聞いた。


「まだヒロくんの冷凍庫に残ってる」


 何か面白いエピソードでもあるのか、奈子は「ククク」と喉で笑いながら答えた。


「何だかんだすぐ食べちゃうだろうと思ってたんだけどさ、唐揚げ食べ比べして飽きちゃったものだから、あれから一度も触ってないの」


 追加したという海老の天ぷらをおいしそうに口におさめて飲み込んでから、奈子はさらに続けた。


「それでこのあいだ、ふたりでアイスをいっぱい買い込んだんだけどさ、唐揚げのせいで冷凍庫に入らなくて、全部その日に食べる羽目に」

「……青春だねぇ」


 笑えばいいのか呆れたらいいのか迷い、美鈴は無難な返しを選んだ。少しうらやましいが、自分がそうしたいかと訊かれたら、たぶんうなずかない。


 奈子の彼氏は、ちょっと変わっている。

 奈子が『推し』に入れあげても鷹揚に受け止め、推しが関係するイベントとデートの日程を調整し、奈子が抽選に外れた泣き言をもらせばひと晩じゅう付き合う。


 それでいて、彼氏自身は奈子の『推し』にとんと興味はなくて、その漫画自体にもうとく、奈子の好きなキャラクターを取り違えるくらいだ。


 よくそれで付き合いが続くなあ、と不思議に思うこともあるが、唐揚げの話などを聞けば、ふたりはこのままずっと一緒にいるんじゃないかなあ、とも思う。


「で、ミリンは何で朝元気なかったのよ?」

「あー」


 すっかり忘れていた。

 美鈴の脳裏に幽霊の姿がうかぶ。それは少ししょんぼりしていて、忘れられていたことを嘆いているかのようだ。


「……まあ、何となく、夢見が悪くて」


 結局、幽霊が出て、とは言えなかった。

 美鈴が真面目に言えば、奈子は意地悪くからかったりしないとわかっている。けれど、美鈴もまだ受け止めかねている存在について、誰かと話をする気力がないのだ。


「……元彼のことかと思った」


 少し空いた間が、奈子の遠慮を表していた。

 彼女のそういう、意味の伝わる間合いの取り方が、美鈴にはありがたい。相手の意図を推し量らないといけなかったら、とても疲れてしまう。


「それは正直、あんまり気にしてないんだよね」


 少なくとも、美鈴自身はそう思っている。


『付き合っててもつまんない』


 別れぎわの元彼の言葉が、ふとしたときに思い浮かんでしまうのは、べつに、彼のことがまだ気になるからじゃない。

 ただ、それが美鈴という人間を表しているかのようで、誰といても「実はつまらないと思っているんじゃないか」と気になってしまう。


 元彼にそういうふうに言われたことを、美鈴は誰にも、奈子にも、明かしてはいない。


「ミリンに未練がないのが、意外なような……」


 奈子が言うのに、美鈴はどきっとした。

 やはり、未練は持つのが普通なのだろうか。

 だが、さつまいもの天ぷらを飲み込んだ奈子は、次いでししとうに狙いを定めながら言った。


「未練がなくて、安心したような」

「安心?」


 思わず聞き返すと、奈子は眉を寄せ、思いがけず難しい顔を作った。

 いったん視線を落とし、「あー」と呻きながらまた目を上げる。


「わたしさ、ミリンの元彼、あんま好きじゃなくて」

「うん……何となく、そうじゃないかなとは思ってたよ」

「ごめんね」

「あやまることじゃないでしょ?」


 自由人に分類されるだろう奈子に、美鈴の元彼が合わないのは、感覚でわかる。

 美鈴の元彼は、わかりやすい「らしさ」が好きだった。

 彼女「らしさ」とか、お付き合い「らしさ」とか、そういうものだ。

 たとえば、花火を見に行くなら美鈴には浴衣を着てほしがったし、そもそも、女子なら着るものだと考えていた。


 男の子と付き合うのが初めてだった美鈴には、そのわかりやすさはありがたかった。

 でも奈子には、そういう型にはまった考え方は窮屈なのだと思う。


「わたしに彼氏の話とか、しづらかったでしょ?」


 奈子が謝罪の理由を申し訳なさそうに口にする。美鈴は気にしたことがないところだった。


「でも、特に話したいことも、そんなになかったよ。奈子たちみたいに、面白エピソードがあるわけじゃなし」

「面白エピソードって何よぉ」


 奈子は一瞬だけ頬をふくらませてみせ、それからふっとその空気を口から抜いた。


「ミリンの元彼ってさ、好きなのはミリンじゃなくて、『彼女』なら誰でもいい、って感じがしてたんだよね」

「そう……なのかな」

「彼女っぽいことをしてくれるなら、ミリンじゃなくても良かったんじゃないかな。好きなのは、ミリンじゃなくて『彼女のいる自分』って感じ」

「それは……どうだろう」


 美鈴はまた、『付き合っててもつまんない』という言葉を思い浮かべていた。

 もし奈子の言うことが本当なら、元彼はそう言わなかったんじゃないか。

 少なくとも、美鈴に何かしらしてほしいことがあって、けれど美鈴がそれに応えられなかったから、彼に「つまらない」と思わせたのは間違いない。


「『彼女のいる自分』が好きだったら、その彼女を振ったりしないんじゃない?」

「でも、もう新しい彼女がいるんでしょ、ミリンの元彼」

「うん……」


 美鈴が彼氏と別れたのは、ゴールデンウィークの直前だった。つまり約二週間前。

 でも、連休に何の予定もない時点で、なんとなくわかってはいたのだ。


 元彼が今の彼女といつから親しかったのか、美鈴はよく知らない。元彼とは学部が違うから、同じ大学にいても、一緒にいない時間はいくらもある。高校のころまでの、大学キャンパスに比べたらずっと狭い校舎で、一日中近い距離にいた生徒同士とは、まさに世界が違う。


『ずっと、今が続けばいいのに』


 二年と少し前、高校卒業が近づくにつれ、美鈴はよくそんなふうに思っていた。


 オープンキャンパスに足を運んだりして大学生活を垣間見、小中高と続いてきた、狭い教室で、決まった席で、友だちと朝から夕までともに過ごす時間は、もう終わるのだという実感が、身に迫ってきたころだ。


「けど、別れてそんなにショックじゃないって時点で、私も人のこと言えないし」


 彼氏といたときに、高校の終わりごろのような、切実な気持ちは抱かなかった。一緒にいて楽しいとは思っても、その時間がずっと続いてほしいと感じたことはない。次はどんなことをしたらいいんだろう、とは考えた。


 付き合っていたとき、それは小さな違和感として、美鈴にずっとつきまとっていた。


 恋愛って、こんなものでいいんだっけ。


 答えは、今もまだわからない。


「ミリンは真面目すぎるんだよ。あっさり別れてケロっとしてる子なんて、いっぱいいるよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。告白されて付き合ったけど、何か違うってなったり」


 何か違う。


 その『何か』が何なのか、違うとはどういうことか、美鈴にはいまいちピンとこなくて、苦手な話題だ。


「ん……私も、そうなのかな」

「それはミリンにしかわからないけど、別れたからって、ショックを受けなきゃいけないわけじゃないでしょ」


 でも、そう言う奈子は、もし岡田先輩と別れることになったら、しばらくは落ち込むのだと思う。


「うん……」


 腑に落ちないものを感じながら、美鈴は曖昧にうなずいた。


「あんまり気にせず、次の相手でも見つけなよ。さっきの佐藤先輩とか」

「その人、絶対人気あるでしょ。わざわざ面倒なところに突っ込んでいく気力はないなあ」


 美鈴は半笑いでため息をついて、「次の相手かあ」とつぶやく。

 頭には、昨日の幽霊が思い浮かんだ。


『ミリンさんが好きです』


 それ以外のことは何ひとつ憶えていないのだという幽霊。

 混乱を極めた美鈴がふて寝を決め込むと、今日の朝にはいなくなっていた。


『……困らせて、ごめん』


 背を向けて掛け布団を頭から被った美鈴に、最後にぽつりと落ちてきた謝罪は、ひどく悲しげだった。

 美鈴がうっかり、どうしてあげたらいいんだろう、と考えてしまうくらいに。

 朝起きて、いないことを確かめたときは夢かと思った。キッチンの台に放り出された塩の袋で、たぶん夢じゃないんだと思い直した。


 彼は無事成仏したのだろうか。


「はあ……」

「ミリン、大丈夫?」


 深いため息をつくと、奈子が本気で心配そうにする。


「恋、かあ……」

「そんなに深刻に考えなくても」


 出汁がかかったご飯を口に入れながら、奈子は言う。美鈴だって、あの幽霊が出なければ、ここまで考え込んだりしなかった。


 死んでもなお憶えているくらい、重大な感情。

 幽霊のそういう気持ちこそ、本当の恋というものだろう。


 自分には縁遠そうだな、と、美鈴は思った。胸の奥をすっと冷やした一瞬のむなしさには、気づかなかったふりをした。


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