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第九話 幽霊と友だちになってしまったら

「出たな、幽霊」

「えっ、あれっ、ミリンさん、今日俺、そんなに遅くに来ちゃった?」

「今、二十二時五十二分。今日はバイトがないから、学校終わって、七時くらいには帰ってるの」

「そうなんだ……えっと、こんばんは」


 バイトのない金曜日、夕食と風呂を先に済ませ、居室から廊下へのドアを開け放ち、部屋全体と廊下が見渡せる位置に座っていた美鈴は、ついに幽霊出現の瞬間に立ち会った。

 ちょうど、廊下の端、居室の入り口あたりに、前触れなくすうっと現れた幽霊は、部屋が明るいことに驚いたように振り返り、すぐに美鈴を見つけた。


「こんばんは」


 折り目正しい挨拶をする幽霊に、美鈴も答え、彼を手招く。幽霊は、背が高く、相応に足も長いくせに、ちょこちょこという擬音が似合う歩幅で寄ってきた。


「きのうより一時間遅いってことは、出現時刻はバラバラなのかな」

「さあ……」


 自分のことなのに、幽霊はどうでもよさそうにぼんやりと首をかしげた。


「ちょっと」


 幽霊が透けていなければ、つつくくらいはした。


「何を他人事なのよ。こっちはちょっとでも成仏の手がかりにならないか、考えてるのに」


 幽霊は首をゆるく振って、美鈴の隣に腰を下ろした。コンパクトに膝を抱えて、顔を美鈴に向ける。


「俺、ミリンさんが幸せになるのを見届けるって、決めたから」

「それ、手段と目的が入れ替わってるじゃない」

「ミリンさんが幸せになるまで成仏しない」

「目的が違いますけど!」


 突っ込んだ美鈴に、幽霊が楽しそうに笑う。それがあまりに無邪気で、笑っている場合じゃないのよ、と言えなくなった。


「幸せって何よ」

「うーん。ミリンさん、恋はしないんだよね」

「しないって決めてるわけじゃあ、ないけど……」


 美鈴には、恋というものがいまいちよくわからない。

 ドラマや漫画で描かれているものは、少なくとも誇張だとは思う。でも、現実の恋がどんなものかと言われたら、それはそれで答えられない。

 元彼とは、恋をしようとして、できなかった。


「何がどうなって恋をするかしないかなんて、わからないでしょ」


 体を放り出すように、すぐ後ろのベッドに寄りかかる。美鈴が寄りかかったはずみで、枕元で充電器に繋いでいたスマホが跳ねたのが見えた。


「あっ、そうだ」


 美鈴はスマホを充電器から外してローテーブルに乗せ、鞄からペンケースを出して、そこからプラスチック片を取り出す。幽霊もローテーブルににじり寄ってきた。


「下半分が帰ってきて、よかったね、ミリンさん」


 幽霊は当たり前のようにそう言った。まるで、ヤタガラスの下半分が見つかったのを、はじめから知っていたかのようだ。

 でも見ればわかることか、と美鈴は気にしなかった。


「うまくくっつくかなあ」


 美鈴は、このために買ってきたプラスチック用の接着剤をローテーブルに並べ、スマホからストラップを取り外した。普段、工作などやらないから、ただ元の通りくっつけるだけといっても、いまいち具合がわからない。


「大事にしようっていう、ミリンさんの気持ちは伝わるよ」

「そういう、霊的な何かの話は置いといて」


 気持ちが伝わっても、うまく直せなかったら、せっかく欠片を拾ってもらった意味がない。

 強力接着剤のパッケージ裏の説明をざっと読み、小さなチューブを手に取って、そろりと蓋を開ける。化学反応型接着剤、という文字が、やたら強そうな印象を与えてきた。複雑なことではなく、空気中の水分と反応して硬化するらしい。


「強力接着剤って、手に着いたらけっこう大変だよねぇ」

「ちょっと黙ってて」


 ほんの小さなプラスチック片をくっつけるのに、たいした量はいらない。美鈴は慎重にチューブを押し、一滴に満たないほどの接着剤をヤタガラスの下半分の断面に押しつけ、上半分の断面を合わせてすり合わせるように馴染ませた。

 そのまま、そっとローテーブルの上に置く。きれいにふたつに割れていたおかげか、くっつけると、よく見なければ罅も見えないくらい元通りになった。


「くっついた?」


 横から、にゅっと顔を出してきた幽霊に、息をつきながらうなずく。


「このまま丸一日置いておくみたい」


 接着剤の説明書きを思い出しながら、ストラップをローテーブルの真ん中あたり、うっかり手や何かを引っかけても落とさないところまで滑らせる。


「いいなあ」


 美鈴が接着剤をどこに片づけようか考えていると、不意に幽霊がうらやましそうな声を上げた。


「何が?」

「あのヤタガラス。ミリンさんに大事にしてもらえて、うらやましい」

「ええ……その気持ちは、わかるけど、わからない」


 幽霊は、本人いわく幽霊になって身軽なせいか、素直すぎる。


「どっちなの、それ」

「大事にしてほしい気持ちはわかるけど、ストラップを自分と比べる気持ちはわからない」

「今の俺って、ミリンさんにとっては、あのヤタガラスと同列くらいじゃない?」


 至極当たり前のように、幽霊が自分とヤタガラスを交互に指さす。美鈴もその指を追ってふたつを見比べ、首を横に振った。


「一応、あなたのことは、モノよりかは人間寄りに思ってるよ」

「そう? でも、俺と恋をしようとは、思わないでしょ」

「……うーん……」


 正直に言うなら、できるような気はしている。透けているとはいえ、仕草も、言葉も、生きている人間と変わらない幽霊と接していて、むしろ、人間ではないもの扱いをするほうが、美鈴には難しいように思えた。


 奈子を思い浮かべる。

 彼女いわく、画面の向こうの人間や、はたまたアニメや漫画のキャラクターに恋する人は珍しくなく、三次元のZ軸は、恋心に必ずしもいる要素ではないらしい。

 美鈴は、自分とは縁遠い人々だと思ってきたが、今は、わかると思えた。

 少なくとも、幽霊を友だちと思うことはできる。その感情が、恋に転じないとも言えない。


「恋をするかはともかくとして、あなたのこと、体が透けているだけの、普通の人間と変わりないかも、って、思う」

「そう? 人間が人間らしくあるのは、知能とは言うけど、体がなくても、頭……脳があればいいのかな」


 美鈴は、つい幽霊の頭部に目をやった。


「……あなたの脳、頭のところスケスケで、あるようには見えないけど……」

「あるよ!」

「冗談だよ」


 頭を透かして脳みそが見えていたら、さぞ不気味だったろう。


「脳みそが見えてるモノとは、お友だちになりたくないかな……」

「俺は見えてないから、友だちになれる?」

「なれるよ」


 美鈴が答えると、幽霊が不意にきょとんとした。


「え?」


 美鈴は、幽霊の顔を正面に見て、繰り返す。


「友だちに、なれるよ。……ていうか、もう友だちじゃない?」


 高校まで、同じ教室で過ごしていれば、自然と友だちになれた。大学に入って過ごし方が変わって、どういうふうに過ごす相手なら『友だち』と言えるのか、わからなくなっていた。

 けれど、夜な夜な美鈴の部屋に現れて、他愛もない話をするこの幽霊を、美鈴は友だちだと思える。


 彼が、同じように思ってくれさえすれば。


 緊張を表に出さないよう、なるべく軽い調子を装って、幽霊の答えを待つ。幽霊は、顔の上半分が前髪に隠れていてさえ、ぱっと顔いっぱいで笑ったのだろうな、とわかるくらい、全身で喜びをあらわにした。


「俺とミリンさん、友だちだ!」

「……うん」


 そこまで喜ばれると、照れてしまう。それに、幽霊は美鈴を好きと言ったのに、友だちで喜べるのかと、少し意外にも思ったが、わざわざ口には出さなかった。


「こんなふうになってまで、新しい友だちができるなんて、本当に嬉しい」

「そうね、私も、幽霊の友だちができるとは、思ってなかったよ」


 言いながら、ふと、ひやりとしたものが美鈴の頭をよぎる。

 不気味さなどではなく、幽霊なのだ、ということを、自分の言葉で再認識させられたからだった。


 友だちになっても、相手は成仏しなければならない。

 別れのときは、必ずやってくる。それも、普通の友だちとは、全く違うかたちで。

 それを悲しいと思ってはいけない。成仏するのが、幽霊の目標のはずで、美鈴もそれを後押しすべき立場である。


(だけど私、いなくなってほしくないって、思ってる……?)


 美鈴は、気づいてしまった自分の気持ちに蓋をしようとして、無駄を悟った。

 どれほど目を逸らしても、もう無かったことにはならないのだから。

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