紫陽花とうたた寝
雨の音で目が覚めた。
鈍器で殴られたように痛む頭は、昨夜のアルコールのせいだろうか。薄暗い室内には生気を失った空き缶と、期間限定と書か
れたスナック菓子が散乱している。
『またか』
私は重たい体を持ち上げて、冷たくなった下着に手を伸ばす。まだ朦朧とした頭をどうにか動かそうと、冷たい水を流し込む。冷えた脳に痛みが走
り、昨夜の出来事が徐々に正気を取り戻していく。
流行病の影響で寝静まる路地を起こすように、私達は歩いていた。彼はバイト先で出会った二個下の後輩だ。サラサラとした髪が特徴的で、笑うと
クシャクシャになる顔が年下らしく、可愛らしく思えた。今日は中止になった歓迎会を二人で開こうと誘われ、二件ほど安い居酒屋をハシゴした。
まだ二十時を過ぎた辺りだが、千鳥足になる程に私達は出来上がっていた。気持ちよくなった私は、特に疑うこともなく自宅とは反対側の電車に乗
り、コンビニで必要なものを買い揃えた。
流行りの歌を二人で口ずさみ彼の家へ向かう。知らぬ間に握られた手に気がついた頃には、
既に家の前に着いていた。
見慣れた自転車を横目に、彼は慣れた手つきで鍵を開けた。初めて見る彼の部屋。なのにどこか懐かしい。感じたことのある嫌な予感が脳を走る。
「散らかっててごめんね」と案内された部屋は綺麗に整頓され、ふわっと生乾きの匂いがした。
『女が手を加えた部屋』。嫌な予感は的中した。いや、実は前から分かっていたのかもしれない。たまに変わる匂いや、身長の割にサドルの低い自
転車、整備されたキッチン。彼には恋人がいる、予想が確信に変わった瞬間に、先程まで回っていたアルコールが一瞬のうちに消えさった。何故か
焦った私は、慌てた手つきでコンビニ袋を漁ると、一番アルコールの強いお酒を手に取り、体に流し込んだ。窓の外に咲く紫陽花は雨風に揺れていた。
全てを思い出してしまう前にそっとタバコの火を消し、洗面所へ向かう。毛先の広がった二本の歯ブラシは、よそ者の私に目もくれず静かに並んで
いた。複雑な感情を洗い流すように淡々と顔を洗うと、彼の眠る部屋へ戻った。雨の音と彼の寝息だけが聞こえる室内は、とても心地が良かった。
今後、私も彼も同じ罪を背負う事になるだろう。ほんのり暖かな彼の頬に触れて、優しくキスをすると、起こさぬように薄暗い部屋を後にした。
外は、生ぬるい風が頬を掠め、埃臭い雨の匂いがした。玄関に置いてあった彼のビニール傘を手に取り、顔色を変えた街に溶けていく。
所々に咲く紫陽花は今日も雨風に揺られていた。いつかこの傘も必要じゃ無くなる日が来るだろうか。それまでこの傘は預かっていよう。
彼と口ずさんだ曲を聴きながら、また歩き出した。
次は雨上がりに逢いましょう。