零章‐①「終始」
途中グロ表現ありです。読む前にご注意ください。
それは、まるで呆れるほどの晴天の出来事だった。
僕は学校の屋上から笑顔で飛び降りた。
狂気に思われがちだが、そこに至るまで少し回想を挟もう。
—————————僕、出口には親がいない。物心がついた時には父も母も居なかったと先生から聞かされた。だけど、僕を拾ってくれる親戚も居なかった。だから今まで一人で暮らしてきたんだと思っている。だだっ広いくせして閑散とした一つ屋根の家の中で。
僕の通う小鳥遊小学校は1クラス30人程度のごく普通の学校だった。
だからなのか、学校でも僕は入学してからしばらくしないうちにクラスで真っ先にいじめられた。「親知らず」と揶揄われては、教室に入るたびに笑いが起った。それくらいならよかった。常識のない僕には、それが皮肉だとしても友達に注目される方が嬉しかったから。誰からも相手されなかった僕には、それが救いだったから。
だけど、それでも僕をかばった教師が居た。その教師は正義感の強い男の先生だった。此國先生と呼ばれてみんなからも慕われていた。だけど、それを皮切りに彼はクラスメイトから非難されるようになった。幸い、彼は上の学年のクラスの担任だったから直接的な攻撃には至らなかったけど、僕の生い立ちを知ったからか僕は先生の家に何度か泊めてもらう日々が続いた。それから一年くらいして僕は4年生になった。此國先生は僕たちのクラスを担任することになった。彼は一年間ずっと笑顔を絶やさなかった。だから忘れている子も多かった。先生が僕をいじめからかばったことに。
だけど、一人の生徒が口を開いた。その子はいじめの主犯の近くにいた火立というクラスメイトだ。だからだろうか。こいつが喋る前から悪寒がした。
「先生。どうして先生は出口なんかをかくまっているんですか?」
それは先生と僕の2人だけの秘密のはずだ!どうしてこいつが知っているんだ!
頭よりも先に体が動いた。危険だと思い、彼の口を押えようと牙を向きかけた。
「出口君!やめるんだ!」
先生が僕を止めた。その言葉が無いと僕は理性を忘れてそのまま彼の首を絞め殺していたかもしれない。
「先生と出口君の関係について私から話すことは何もない。君たちにクラスメイトの子どもたち全員と仲良くしろだなんて言わない。ただ、誰かを攻撃してはダメだ!もっと人に優しくなれる、そんな思いやりのある人間にクラス全員がなってほしい!先生はそう考えているよ」
その言葉で周りの子どもの反感は制止された。火立は悔しそうな目で僕を見つめる。その目には涙がにじんでいたようにも見えた。
それからも先生との日々は続いた。話すことと言えば、今日の学校はどうだったかとか、何か困ったことは無いかだとか、晩飯は美味しいかといった本当に何気ない会話をしていた。僕に両親が居たら、こんな生活が当たり前のようにあったんだろうなと、一人ベッドで泣き寝入り日もあった。
僕は悔しかった。自分がいじめに対して無力であることも、先生にかばってもらわないと何もできない自分にも。もっと強くなりたいと、僕は一つ決意をした。
次の日、先生と一緒にいつものように登校し、いつものように別れ、いつものように授業を受けた。
そして放課後、僕はいじめの主犯グループに直接勝負を申し込んだ。
『もういじめはやめてほしい。だから、僕と油川で1対1の勝負をしてくれないか?勝ったらお互いに何でも一つ言うことを聞くという約束で』
このような文面を添えて、彼らのグループに携帯でメールを送った。結果、彼らは承諾した。待ち合わせ場所の体育館裏で僕が待っていると、リーダーの油川が現れた。彼は自慢の筋肉があるが、僕も将来の自衛のために運動はしていた。だから、1対1勝てるかもしれないと思っていた。
だけど、彼らは一人じゃなかった。挙句、美術室から取ってきたのかカッターナイフという凶悪な武器まで携えて、油川はそれを見ておびえた僕の前で笑っていた。大勢の中には火立も刃をこちらに向けて好機だと思ったか満面の笑顔で僕を狙ってきていた。
その時だった。僕の前に此國先生が現れた。僕が放課後に先生に会わなかったからか、ずっと探してくれていたようだ。息が切れているなか、僕をかばった。
「先生、傷が!」
僕をかばって盾になった先生は代わりに切り傷を受けた。10箇所ほど傷を受けて、子どもの僕から見ても大人の先生の傷は深いように見えた。
生徒の方もこれはまずいと思ったのか、一目散に逃げて行った。
「なあ、出口君。君は何も気にするんじゃない。これは僕が勝手にやったことだ。ここで逃げずにいじめっ子と戦おうとしていたんだろう?偉いなぁ、自分で決めたことだ。道を踏み外さないなら、先生は責めないよ。ただ、もっと平和的な道もあったんだよ。だから、これからそれについて先生と一緒に考えよう」
「先生…、そんなことより、怪我が…」
「あぁ、これか?これなら大丈夫さ。ちょっと保健室で休めば、きっと治る。きっと…」
そう言い残して、先生はぐったりと倒れてしまった。何度呼び掛けても彼は返事をしない。僕は無我夢中で職員室に向かって別の先生を呼んだ。結果的に、此國先生を無事救急車で搬送することができた。
その後、僕が罪悪感に苛まれながら家路につこうとした直後だった。
「おい親知らず。ツラ貸せよ」
そうして、先ほどの続きなのか隠れて尾行していたいじめグループは教師がいなくなったのを見計らって路地裏に引き込んだ。そうして、口も聞けなくなるほどに袋叩きに遭った。満足した彼らは約束のことなどとうに忘れて帰っていった。
僕は涙一つすら流せないまま、独り帰った。その脳裏には恐怖だけが残っていた。なぜ人はあんな非道いことができるのか。なぜ人はあんなにも平気で人を傷つけるのか。なぜ人は人から大切なものを奪っていくのか。わからない分からない解らない。僕はその時、人生に疲れを抱いた。
多分、あの痛みがあったからこそ僕が死ぬことを決意したとき、あれ以上の苦痛はないと確信していたのだろう。
もう疲れていたんだ。楽になってしまおう。そう考えてネットで調べたのが投身自殺だった。うまく成功すれば痛みも感じることなく、そのままあの世に行くことができるらしい。
僕はわくわくしていた。もうあの苦しみと永遠のお別れができるんだと。生憎、僕は失うものはない。此國先生も本当の親じゃない。心のどこかでは僕のことを憎んでいるはずだ。
そう信じることができたから、僕は屋上のフェンスから足を離した。
その瞬間、今まで感じたことのない浮遊感に襲われた。宙で一回転すらできた。その時、知らない男の顔が浮かんだ。
「これが僕のお父さん…?」
直観的にそう感じた。だけど、もう居ない。だから忘れることにした。
そして、仰向けになって空を飛んでいた僕はもうじき地面につく。心なしか時間がゆっくり進むように感じた。その時、ヘルメットを被った男の人が車から降りて僕の方に走り寄ってきた。
僕を受け止めようと飛び込んで手を伸ばしたが、それも間に合わず僕は地面に全身を強打した。
刹那、グチャッと肉の破裂するような音とともに血が飛び散るのが耳に届いた。
僕は死んでしまったのだろう。そう無意識の中で悟る。
目を開けると、空が見えた。呆れるほど青い空だった。そして重い体を起こすと、大勢の人がこちらを見ている。僕は理解できなかった。というより、理解するのに時間がかかった。いや、これも建前だろう。理解したくなかったんだ。「自分が死んでいないこと」を。
それどころか、体に傷も見当たらない。訳が分からず地面を見渡すと大量の血が周りにこびりついていた。
いよいよ訳が分からなくなったが周りの人たちは恐怖と好奇の目でこちらを見つめる。大半は携帯を使って写真を撮っていた。何がなんだかよくわからず、ただただ不可思議に恐怖するしかなかった。
そうしていると、一人の男が近づいた。そしてメガホンを片手にこう言い放ち大衆を抑える。
「皆さん、私は警察です。彼の写真を今すぐ消してください。もし従われない場合、現行犯として逮捕します」
その場にいた人間はみな慌てふためき、携帯をいじる。写真を削除しているのだろう。
そして、彼は僕に近づいてこう言った。僕は、彼の言葉の意味を全く理解できなかった。しかし、この言葉が僕のこれから始まる『存在するはずのない』人生を大きく動かすことになろうとは1寸たりとも考えていなかった。
「君、不死の身体を持っているんだね。協力してほしいことがあるんだ」