オディル・ラクロワとして
それは、ある日の午後の事。
三年前に家から独立する為に立ち上げた商店での片付け作業中、王城からの使者を名乗る男がやって来て、馬車に押し込まれた。服装は急ぎだからそのままでいいらしい。作業の邪魔にならんように腰の辺りをベルトの代わりに平紐で絞った紺色の膝丈ワンピースと、茶色の編み上げブーツと言う貴族令嬢としてはあり得ない格好なんだが。念の為、いつもの黒コートを羽織った。
臨時休業の看板をドアノブに吊るし、戸締りも忘れずに行う。
事前に、王太子や宰相、各大臣達と何かあった時用の打ち合わせはしていたが、現実になると思うと頭痛がして来る。
こんなバカが国のトップとか……他国に知られたら白い目で見られる。
穏便に済ますには、まず自分が糾弾されなくてはならないとか、罰ゲームかよ。
ため息を吐いてから、常に首から下げていたペンダントを取り出して魔力を流す。この世界では、魔法の使い手は少ないが存在しない訳ではないので持っていても珍しくはない。
『聞こえますか?』
『ああ、聞こえるよ。例の計画どうやら本気だったようだね』
名乗らない応答に気を悪くする事もなく、若い男性の声で返事が返って来る。その返事の声音は呆れていたが。
このペンダントは、特定の相手と念話で話をする為の魔法具だ。念話はペンダントがなくとも使用出来るが、この世界では道具もなしに念話の使用は不可能なので、手間だが周囲に馴染む為にこうして道具を使っている。
ペンダントを渡して来た相手は『私からの信頼だと思ってくれ』と非常にいい笑顔で言っていたが、これから起きる事を考えると御両親への信頼は消えるだろう。
『今回の全協力者には通達済み。用意は全て済んだよ』
非常に手際が良い。余りの手際の良さに、背筋にちょっと悪寒が走った。使者が王城を出たと同時に手配したとしても、早過ぎる。
『では、打ち合わせ通りに行こう』
『分かりました』
その言葉を最後に念話は途切れた。ペンダントを服の下に戻し、馬車の窓から空を眺める。
いい天気ね。夕方には流血沙汰になりそうだけど。
これからやって来る茶番にため息を吐いた。
自分の現在の名前は『オディル・ラクロワ』。伯爵家令嬢(次女)。十八歳。
一年前に何故か王太子婚約者候補に選出され、現在最有力候補。理由は商店の経営を一人でこなしているからだと。迷惑な。
三年前に家から独立――実質追い出しが確定した――に備えて、化粧品取扱店に細々と作って売っていたら『店を作りなよ』と勧められ、商店を開業。以後は屋敷ではなくここで生活をしている。家族仲は良くない(ただひたすら無視されただけで、記憶を取り戻した過程が思い出せない)から出られて個人的にも大喜び。
取扱商品は主に基礎化粧品。たまに作るお菓子も受けはいい。材料は領地の野山から自分で採集し、自分で育てている。準備資金は、十九歳に成ったら家を出ろと言われた際に渡された手切れ金から捻出した。準備資金分は既に取り戻している。返せと言われたら叩き付けて返せるぞ。
色々と順風満帆だったが、家を出てすぐに貴族籍を抜かなかった事が悔やまれる。抜けば王太子妃候補に選ばれなかったと言うのに。
脳裏に浮かぶのは、いくつか前の転生時に発覚した『被守護の加護』だ。まさかだけど、これが原因で選ばれたんじゃないよね?
王太子本人に家を出ろと言われているから無理だと言っても取り合ってもらえず、散々無視して来たくせに両親と姉は戻れと喚く。散々無視しておいて、どう言う思考をしているんだか。しかも、嫌がらせまでして来るし。
その実家からの嫌がらせも、『実家から嫌がらせを受けているんです。これ以上の商売は厳しいかも』と客の何人かに相談すると、ピタリと止まったが。客の何人かは上級貴族だったから動いてくれたのかもね。
いつものように探す九人はこの世界にいない。残念。
ため息しか漏れない過去を思い出していると、御者が馬車のドアを開けた。王城に到着したらしい。御者の手を借りずに降りると、見知った顔がやって来た。顔が引き攣るよりも先に、コートの上からスカートの端を摘まんで礼を取る。視界の隅で御者も慌てて礼を取っている。
「お久しぶりです、殿下」
「ああ。三日振りだね。それと、顔は上げていいよ」
許可が下りたので顔を上げる。そこには、大変いい笑顔のジスラン王太子がいた。
自分の婚約者候補だけど、腹に一物どころか十物位有りそうなあの笑顔がどうも苦手なんだよなぁ。この王太子も、自分の本性に気付いている人間にしかあの笑顔は向けないらしいんだけどね。
美男子と称えられる王子の笑顔を向けられても嬉しいと思えない辺り、男嫌いの悪化度がよく判る。
ルビーのような赤い髪とアメジストのような紫色の瞳を持ち、整った容姿と合わせて、誰が呼んだか『宝石王子』の二つ名が良く似合う。
内面はオニキス並みの黒さだけどね。
知らないって幸せだね。羨ましい。
王太子が令嬢だったら顔を赤らめそうな笑顔を向けて近づいて来る。しかし、自分はその笑顔を向けられて、妙な寒気を感じる。御者はどこかに去った。
「よく見ると顔が動いているから、君は本当に見ていて飽きないね」
「申し訳ありません。顔に出ていましたか」
やばい。思考が顔に出ていたらしい。背中に冷や汗をかいて来たぞ。
「ははは。別に良いよ。――さぁ、手早く終わらせに行こうか」
朗らかに笑い、一瞬、黒い笑みを浮かべ、王太子は自分の手を掴み、何を!? と突っ込みたい台詞を呟いた。
突っ込まないのは『何を』の内容を自分も知っているからだ。
手を引かれ、大人しくあとをついて行く。婚約者候補同士だからこの光景に不自然なところはなさそうだけど、今後何か起きる人間が見たら『連行されている』と呟いただろう。自分もエスコートされている感がない。
「しかし、父上と母上も困った事をしてくれる。何故こんな事を思いついたのか、尋問みたいものだ」
「……そうですね」
尋問と書いて訊ねてと聞こえたのは何故だろうか。返答に困ったので沈黙を挟んでしまった。
「大丈夫だよ、オディル嬢。道化は道化らしく散って貰うだけだから」
にっこりと笑顔を向けて来るんだけど、台詞の後半部分が怖すぎる。笑顔も心なしか怖い。
王太子の、慰めているのか、怖れさせるのか、どちらが目的か分からない台詞を聞きながら、茶番の舞台へと向かうのだった。
王太子に手を引かれて到着した部屋は、謁見などにも使用する小広間だった。
五段高い位置に椅子が二席置いて有る。自分から見て、左の椅子には金髪に紫色の瞳を持ったやや小太りな国王が、右の椅子に赤い髪に青い瞳を持つ王妃が座っている。ジャラジャラと大量に宝飾を身に着けているが重くないのか?
国王は瞳の色と(よく見れば)顔立ちは息子に似ている。その息子は父親と違い、やや背が高めでスッキリとした体型なので、一見すると血の繋がりが有るのかと疑ってしまう程に似ていない。髪の色と所々の容姿の造作は王妃譲りなのだろう。余所行きの笑顔は王妃似だしね。
既に宰相や各大臣――事前に打ち合わせをした面々が全員、揃っている。皆胃痛を我慢しているかのような顔をしている。つまり、これから何が起きるのか、全員知っている。
宰相と視線が合った。目が死んでいる。これは予想通りの流れになりそう。
「陛下、妃殿下、オディル嬢を連れ、ただいま戻りました」
王太子が帰着挨拶をすると王と王妃が鷹揚に答える。自分は一歩下がった位置に立ち、挨拶をしてから一礼する。
「面を上げよ、ラクロワ嬢。面倒事は早々に片づけると決めていてな。早速だが、要件に入らせて貰う」
許可が下りたので、顔を上げて王と視線を合わせると、どことなく邪悪な笑みを浮かべていた。隣の王妃は扇子で口元を隠しているが、斜めの位置から各大臣達に見られている事に気付いていないらしい。なお、見えている大臣達の目は死んでいる。どうやら、王と同じ笑みを浮かべているらしい。
似たもの夫婦だね。
「オディル・ラクロワ伯爵令嬢。其方を、息子の婚約者候補から外させて貰う」
阿呆な感想を抱いていたら、打ち合わせで予想していた通りの事を宣言し、妃の口元が見えなかった残り大臣達の目が死んだ。
ここまで予想通りの言動を取る国王ってどうなんだろう?
「判りました。受諾致します」
打ち合わせ通りに受諾し『あと一年経ったら家を出ろと言われていたからいいですよ(意訳)』と言えば、王と王妃は何故か鼻白む。
不審に思われるよりも先に、発言の許可を取り、理由を尋ねる。
すると、『王太子妃候補でありながら国庫横領の犯罪に手を染めるとは』とワザとらしく嘆きながら、言い出した。隣の王妃も嘆かわしいと呟きながら、嘆く演技をしている。
「申し訳ありませんが、身に覚えが有りません。証拠の提示を――」
「王である余が、自らの目で証拠の確認をした。余を疑うのか!」
打ち合わせ通りの台詞を言えば、王に途中でぶった切られた。更に怒っている演技まで始めた。
ここまで予想通りの流れになると、頭が痛いな。
目が死んでいる宰相以下大臣達に目配せをすると、頷きが返って来た。
『これ以上長引かせる必要はないから、話を振って良いよ』
隣の王太子からも、言って良しと、念話で許可が下りた。
財務大臣に、声をかけて話を振る。無視された王が首を傾げているが、発言される前に財務大臣に発言する。
「財務大臣、ただの婚約者候補の身で、どのようにしたら国庫の横領を行えると思いますか?」
「ラクロワ嬢の場合ですと、ジスラン殿下の協力がなければ不可能でしょうな。殿下、そのような協力をした記憶はございますか?」
「有る訳ないだろう」
財務大臣に問われて、王太子はキッパリと否定し、王と王妃に一つの報告をする。
「オディル嬢の冤罪を解く為に一つ、陛下に報告が有ります」
「何の報告だ?」
不快感を露にして王は息子に問う。
「国庫の用途不明金が見つかりました」
「だからそれが――」
「はい。それは全て陛下と王妃殿下のサインが入った領収書でした」
王の反論を封じ込めるように王太子が言えば、王はピタリと動きを止めた。隣の王妃は肩をびくつかせた。
王太子が財務大臣の顔を見て頷く。財務大臣は手を叩いて自身の秘書官を呼び出す。呼ばれた秘書官は書類の山が積まれたカートを押してやって来た。
事前に聞いていたが、何枚有るんだ? あの書類の山。あれ全部が領収書と調査書類だと言われても信じられない。
「陛下、妃殿下。こちらが用途不明金の領収書になります。国庫が正しく使用されたか調べるのが私の役目になりますので、ご説明を」
「……い、いや、待て。余の代筆の可能性も有るぞ!」
「そそ、そうですわよ!」
王と王妃の見苦しい弁明が響く。しかし、
「おや、特務諜報師団の調査結果と聞き及んでおりますが、疑われるのですか?」
王太子の反論を聞き、揃って顔色を悪くした。
王族の影の諜報員と言われる、特務諜報師団まで動かしたのか。この師団は王ではなく『国への忠誠心の高い』人物がなる諜報機関で、その証言は基本的に採用される。過去、王族が犯した犯罪もここが調べ、集めた証拠がそのまま採用されて断罪に至った事も有る。
その事を知らない王ではない。
宰相が更に合図をすると、複数の秘書官(宰相専属)が先ほどの秘書官と同じように、書類が山のように積まれたカートを押して入室して来た。
……おいおい、たった二人でどれだけ横領したんだよ。
秘書官が足を止めると、宰相と、財務大臣以外の大臣達が追加証拠を提示し、微に入り細を穿つように説明を始めた。逃げられないと悟った罪人夫婦は肩を落とし、俯いて説明を聞いている。
提出した覚えのない書類が出回り、不正を疑われた事で、宰相や大臣達も怒っているんだろう。
仕える王に濡れ衣を着せられるとか、普通は思わないもんね。濡れ衣を着せるこの二人が馬鹿なだけなんだが。
「さて、陛下、王妃殿下。横領した国庫金を何に使用されたのか、お伺いしたいのですが」
宰相はそこで言葉を一度切って、王太子を見る。王太子は黒いオーラを纏いながら頷いた。
「ああ、宰相。それに関して調べたのは私だ。故に、私が教えよう」
「「!?」」
王と王妃は顔を上げて、目を見開いて息子をガン見した。分かりやすいまでに、非常に驚いている。
何に使用したのか、バレないとでも思ったのか?
「陛下は愛人の方々に個人資産を使い果たしたからです。後宮復活計画も立てていたようですが、諦めて下さい」
だらだらと滝のように脂汗を流す王。隣の王妃がすごい目で睨んでいる。そう言えば、浮気撲滅派だったね。
「王妃殿下は、陛下に内緒で宝飾品類と贅沢品購入の為に個人資産を使い果たしたからです」
だらだらと滝のように脂汗を流す王妃。隣の王がすごい目で睨んでいる。王は宝飾品類は重いから嫌いなのだ。
「そして、御二方は個人資産を使い果たし、不正な書類を作って国庫の横領をしていました。最近財務大臣に国庫の計算が合わないと相談され、横領の事実がバレると御二方は判断した。別のところから金を準備して国庫に入れれば横領の事実は隠せると考え、目を付けたのがオディル嬢が経営する商店の売上金です。彼女に濡れ衣を着せて売上金を含む個人資産を取り上げ、国庫に入れて不正を隠す。私の両親が立てたとは思えない程に、大雑把で杜撰過ぎる計画で、非常に残念です」
そう締め括った王太子は、非常に良い笑顔を浮かべ、肩を震わせて笑い出した。
「一ヶ月も前に発覚したお二人の計画ですが、ここまでこちらが予測した通りの流れになると――非常に愉快な茶番でしたよ」
一ヶ月前にバレてましたよと言われて、罪人夫婦は愕然とし、相手の掌の上で踊っていたと知り、揃って肩を落とした。
王太子が宰相に合図を送る。頷いた宰相は、懐から出した書類を二人に提出した。書類を読んだ二人の顔は真っ蒼になった。
「さて、陛下。今後の身の振りについてですが、王自ら国庫横領をしていた情報が他国に漏れると私まで白い目で見られ、国の財政状況について不審に思われかねません。退位した上で、愛人の方々と一緒に隠居されてはどうでしょうか。罪人隔離用の無人孤島を紹介いたしますのでご安心下さい」
息子に引退しろと言われて、書類を握り込んだ王は顔を真っ赤にして王太子を睨んだ。睨まれた本人は笑顔を浮かべたままだ。威圧が飛んで来ても変わらない。それはそうだろう。王が握っている書類は、退位を承諾する宣誓書だからね。
陛下、睨んでも効いていないから諦めろや。
それと王子。良い保養地と読んで『罪人隔離用の無人孤島』の単語を当てるのは止めて欲しい。
「次に、王妃殿下。今回の横領の件について手紙でご実家に連絡致しました。先日頂いた、返信の手紙には『いつ戻って来ても良いと伝えてくれ』と書かれてありました。これを機に、一度里帰りされては如何でしょうか?」
マジかよ。王妃は他国の王女だったんだけど、いいのか?
でも、あそこの国の王――王妃の兄は贅沢を好き好まない人だったな。そんな人が『貴方の妹さんが宝飾品と贅沢品購入に個人資産を使い果たして、国庫にまで手を出しました。更に息子の婚約者候補に濡れ衣を着せて金を奪い取ろうとしました(意訳)』と書かれた手紙を受け取ったら激怒するだろう。帰ったら贅沢暮らしとは無縁の幽閉生活は確実だね。
兄にバレたと知った王妃の顔が真っ青を通り越して白くなって行く。王と同じ内容の書類が手から床に滑り落ちた。
しかし、杜撰な計画を立てるような面の皮が厚い夫婦は諦めなかった。
必死に否定して、最後の悪足掻きを始めた。
「よ、余に愛人などおらぬ! ジスラン、出鱈目な事を言うでない!!」
王の否定の叫びに、再起動した王妃も叫ぶ。
「そそ、そうです! 兄上の名前を使って母を脅すとは、何を考えているのですか!」
唾を飛ばして叫ぶ二人は実に醜い。
夫婦以外の全員が嘆きのため息を吐いた。素直に認めれば傷は浅かっただろうに。
「ラクロワ嬢。陛下に件の調査結果の報告を行ってくれ」
「はい、分かりました」
ここまでずっと蚊帳の外だった自分に宰相から声がかかる。何の報告だと、王がビビっている。
濡れ衣を着せられるのだからちょっとやり返したいと、立候補して集めた情報を開陳する。
「陛下の愛人となっている女性は現時点で十六名。内訳は、伯爵夫人五名、子爵夫人三名、男爵夫人五名、平民女性三名になります。この内子供を出産した貴族籍の愛人は六名、平民女性一名。誕生した子供は二十三名。この内、男児は十七名、女児は六名。貴族籍の男児は十六名、女児は五名、合計二十一名。平民籍男女ともに一名ずつとなります。愛人女性のお名前は、アンナ様、アリアンヌ様、オーレリア様、ブランディーヌ様、カーラ様、シャンタル様、コリーヌ様、デジレ様、エリーズ様、ウラリー様、イフィジェニー様、ジュスティーヌ様、リュシー様、マリーヌ様、ニコレット様、ゼナイド様――」
「もういい、止めろぉっ!!」
王が頭を抱えて叫んだ。
人数多いもんね。子供も沢山いるし。
大臣達と秘書官達は余りにも愛人が多くいる事を知り、顎が外れる勢いで口を開けて愕然としている。それは王妃も同じだった。
王子も珍しい事に、引き攣った顔をしている。
唯一、愛人の人数を知っていた宰相でさえも、王の隠し子の多さに驚いている。隠し子の数は知らなかったか。
しかも、十六人いる愛人の内、十三名は貴族籍の既婚者。つまり、十三人もの夫人と不倫をしていた事になる。
表沙汰にしたら、確実に大騒動になるね。
小広間に沈黙が下りる。しかし、個人的にはこの茶番を早々に終わらせたいので、沈黙を破って宰相にとある事を尋ねる。
「宰相、離宮に招待した方々は、今何をなさっておりますか?」
「え!?」
誰が招待されたか言っていないが、王には分かったらしい。椅子の上で、ぴょこんっと、器用に跳びはねて驚いた。
「あ、ああ。そうだったな。……陛下、愛人の女性は全員離宮に招いておりますので、確認に行かれては如何ですか? 」
顔色がコロコロと変わって忙しいおじさんだ。宰相の勧めに王は再び青い顔をして項垂れた。
宰相の言葉は地獄への誘い文句に等しいからね。行ったら刃物が出て来る騒動に発展しかねないだろう。
浮気撲滅派の王妃も混ざりそうだけど、未だに愕然として固まっている。
そんな状態の王妃を正気に戻す――またの名を地獄に突き落とす――為に王太子は未開封の手紙を懐から取り出した。カートの傍で未だに控えている秘書官の一人を呼び寄せて手紙を渡す。手紙は王妃の手に渡った。
手紙の封にはとある国の国印が押されており、それを見た王妃は力が抜けたのか、椅子の背もたれに倒れるように寄り掛かった。顔は絶望一色に染まっている。
「王妃殿下。兄君からの手紙ですが、お読みになられないのですか」
「くぅ……」
言外に読めと、息子に言われ呻いた王妃は震える手で手紙を開封して読み、肩を落として項垂れた。
手紙を取り出した本人の言を信じるのなら、手紙の送り主は王妃の兄――つまりは国王からの手紙である。その内容は不明だが、王妃を絶望させるに十分な事が書かれてあったのだろう。
一方、短時間で実の両親を打ちのめした息子は非常に満足そうな顔をしている。若干黒いオーラが滲み出ているが、今は目を瞑ろう。もう少しで国の膿が排除出来るのだから。
揃って項垂れている両親を楽しそうに見ていた王太子だったが、不意に表情を引き締めた。
「陛下、王妃殿下。いつまで項垂れているおつもりですか。御二方の計画に巻き込まれた、オディル嬢への謝罪が残っております」
「「うっ」」
期待はしていなかったが、謝罪する気なかったか。しかし、惜しいな。謝罪されなかった事を理由に『今後安心して経営出来ない』と言って、店を畳んで、国から出ようかと計画していたのに。
言葉に詰まる両親を見やり、更に告げる。
「特に、王妃殿下。オディル嬢への謝罪した時の状況の報告をして欲しいと、かの国の王から、私が依頼を受けました。濡れ衣を着せておきながら謝罪すら拒むのなら、我が国の法に則り、極刑を含む、処罰を下しても構わないと許可も頂いております」
「え!?」
王妃が驚いている。それもそうか。自分に謝罪しないと、最悪極刑と言う処罰が下されるのだ。
仮に謝罪をせず、国に逃げ帰っても、待っているのはキレた兄王からのお説教だろう。幽閉で済めばいいが、『犯罪を犯した出戻り王女』を守ってくれる存在がいるか怪しい。幽閉されたあとも生きていられるか怪しい。『これまでの事を恥じて』か、『漸く気付いた事の重大さに気付いて』などの、対外的な理由の元、自害が求められる、あるいは毒を盛られる可能性は十分にある。
息子に逃げ道を潰されたと悟った王妃だが、何かに気付いて自分の名を呼んだ。
「ラクロワ嬢! 私が貴女の商店で取り扱われている化粧品を、定期購入しているのは知っていますね!」
「はい、存じております」
これは事実だ。素直に肯定を返すと、王妃はニヤリと笑った。
「顧客に頭を下げさせるのは、商人としてどう思いますの!」
商人? 商店経営しているだけの貴族令嬢なんだけど、商人扱いされていたのか。
ちょっと驚いたが、今後の予定を話しておこう。
「商人を名乗った覚えはありませんが、今は置いておきましょう。実は、今回金銭目的で濡れ衣を着せられましたので、今後安心して経営出来ないと判断し、店を畳もうかと考えておりました。ですので、頭を下げて頂かなくてもいいかと」
今後も似たような事が起きないとも限りませんのでと、付け加えて返せば、王妃の動きが止まった。
自分が取り扱っている化粧品って、結構人気が有るのよ。店を畳むかもと、ポロリと愚痴を零すと、実家からの嫌がらせを止めてくれる位に。
王妃も言っていた通り『王族も購入する程の品質』と認められたので、提携先の店に持って行くと即売り切れる。ちなみに輸出は出来ていない。他国に売るなら自分に売ってと、購入者に止められるから。他国の王族に、お土産として持って行く事すら出来ない。お土産に持って行くのなら売ってよと、他の商人に泣きつかれるから。
そして、自分は『頭下げなくてもいいよ。王と王妃が原因で店畳むから(意訳)』と言った。これは、頭を下げないと店を畳むのは止めませんとも取れる。
自分の発言は予想外だったのか、世帯持ちの男性陣が、ぐりんと、首を動かして王妃をガン見した。
その動きだけで、其々の奥方から何か言われているなと、推測出来る。
王妃は口をパクパクと動かす。何か言おうとし、声が出ないのだろう。
それはいつの間にか顔を上げていた隣の国王も同じだった。そう言えば、愛人達への土産として王も購入していたっけか。
夫婦揃って顧客だったが、閉店すれば縁は切れる。自分はある程度稼いだから問題はないが、今まで購入していた人達はどう思うんだろうね。顧客の二人が原因で店を畳みますとか、原因になった二人は絶対恨まれるだろう。例え王と王妃であっても。
王太子はワザとらしく、驚いた顔を作って王と王妃に尋ねる。
「おや? ご存じないのですか? 彼女が提供している化粧品は、派閥を超えて愛用されております。彼女に何かあったら派閥を超えて手を組む程の結束力となっています。その彼女が国から去る原因となったら、どうなるか想像出来ますか?」
王太子が言った通り、派閥を超えて化粧品は愛されているので、国内の上位貴族のほとんどが自分の味方と言う状態なのだ。奥方の機嫌が簡単に取れる化粧品は有難いと、感謝される事も多い。
更に、最近王子から『他国や商人達から輸入希望の打診が多いから、化粧品生産を国家事業化して生産量を増やしたい。人手はこっちで提供するから協力して欲しい(意訳)』と相談を受けている。
何とも恐ろしい事に、自分が作った化粧品で『貴族の派閥間争いがほぼなくなった』だけでなく、『国家事業化すれば輸出商品になり国庫が潤う』と言う想像以上に規模の大きい話に膨れ上がっていた。
細々経営を目指していたのに、どこをどう間違えたのか。本当に謎である。
漸く、喧嘩を売った相手を間違えた事に気付いた王と王妃は退位を認める宣誓書にサインし、自分に頭を下げて謝罪をして来た。まぁ、謝罪を拒んで国内のほとんどの上位貴族を敵に回したくないってのが本音かもしれないが。
体感的に二時間もたっていないが、顔を上げた二人の顔は揃って十歳以上老け込んでいた。
王は最後に、ジスラン王太子の国王即位を承認する書類にサインをする。
現時刻をもって、自分の隣にいる青年は王太子から国王に身分を変えたが、ここにいる人員以外の人間に今日の事を知らせるのは当分先になるだろう。王代わりの事情なんて話せないし、話したくもない。
第一、誰がこんな代替わりの裏事情を聞いて信じると言うのだ。
宰相が近衛兵を呼ぶ。すっかり忘れていた離宮への連行か。
やって来た近衛兵は、老け込んだ王と王妃の姿を見て驚くが、宰相の『お疲れのようなので北の離宮にお連れしろ』の言葉を額面通りに信じて二人を連れて行った。
先王夫婦がいなくなり、小広間に残された自分達は、やっと全て終わったと、安堵の息を漏らした。数人の若手大臣に至ってはその場に座り込み、宰相から注意を受けている。
「この程度で、何と言う体たらくだ」
「宰相。王自ら犯罪を犯すなど、滅多にない事例なのだ。神経をすり減らすのは当然であろう。私も少し気を張り過ぎて疲れた」
「……そのようには見えませんでしたが? むしろ、楽しそうに虐めているように見えましたぞ」
「ははは。何の事だい?」
宰相から胡乱な視線を貰い、王太子――いや、新国王は笑ってとぼける。狐と狸の化かし合いのような会話が暫し続いた。周りの大臣と秘書官達は笑って眺めている。
今回の茶番で、国の上層部は良い意味で一体感と結束を得たようだ。
一方的に巻き込まれた自分は今後どうするかを考えたが、なるようにしかならないので考えるのを止めた。腹黒王相手では、要求を拒んだところで自分に利益はなさそうだしね。
化粧品のレシピを公開して、自分はどこかに隠居を決め込むのがいいかも。
そこまで考え、そう言えばと思い出し、宰相に尋ねる。
訊ねる内容は『横領に手を貸したものの処罰』についてだ。
大量に横領書類を作っていたのだ。あの量はとてもではないが一人では作れない。話は聞いていないが協力者がいると思われる。
その協力者の特定はどうなっているのか?
「ラクロワ嬢。既に特定済みだから心配は無用だ」
「茶番が始まる前に言った筈だよ? 用意は既に済んだ、とね」
背中に冷たいものを感じる。
用意は済んだと言うのは、愛人が揃え終わっただけじゃなかったのか。
手際良過ぎんでしょ。それだけ、今回の茶番劇に怒っているとも取れるのだが。
最後に妙な気疲れを感じ、全員で小広間をあとにした。
その後。小ホールにて『王と王妃の逆断罪茶番劇終了慰労会』が開かれた。ちょっとした立食パーティである。
「勝利の美酒が上手い!」「我らは不正に勝ったのだ!」
ガハハハハッ、と肩を組んで笑い合うのは、一ヶ月前まで非常に仲が悪かった防衛大臣と財務大臣だ。
敵の敵は味方とはよく言ったもので、共通の敵を見つけた二人はこの一ヶ月間で蟠りをなくし仲良くやっている。それは他の大臣達も同じで、かつていがみ合っていたが今は仲良く酒を飲みかわしている。
そもそも、いがみ合いの原因が先王夫妻の不正書類だったのだ。原因が消えて今後も起きないのであれば、仲良くなるのは当然か。
その姿を見て、小広間に呼ばれず、今後の説明の為に慰労会に呼ばれた閣僚や騎士団長達が仰天している。
気持ちは分かる。顔を合わせればいがみ合っていた二人が肩を組んでいるとか、何が起きた!? と騒がれても不思議ではない。
この光景を見せる為だけに、小広間にいなかった人物達を呼んだんだろうけど。
全員が集まったところで、新国王による事情説明が始まった。
先王夫婦の国庫横領の犯罪と自分にかけられた冤罪を知って、呼ばれた閣僚達と騎士団長達は騒然とし、自分に視線が集まった。憐みがこもっているが我慢だ。
その後の処遇まで聞き、全員が疲れた顔をした。
近衛騎士団長だけ『それで陛下達は老け込んでいたのか』と納得しながら呟いている。部下から報告を受けていたか。
宰相が『新国王誕生の前祝』と音頭を取り乾杯する。既に出来上がっている奴がいるとか、野暮な事は言わん。
自分は葡萄ジュースを飲みながら料理を食べ進める。周囲は戦友となった大臣同士でワイワイと酒を飲んでいる。料理をガッツリ食べているのは自分だけだが誰も気にしない。あの後、帰る事が出来なかったので、平民じみた服装のままだ。登城するに相応しくない格好だが、事情を知った周囲は気にしない。
周囲、と言うか、閣僚や騎士団長達から来るのは、憐みのこもった視線だけ。
ここにいる顔ぶれは、自分が家から出て行けと言われた事を知っている。これを理由に王太子妃候補の辞退を試みた事も有る。
なので、自分に向けられる視線には、『可哀想』とか、『苦労人だね』と言ったものが含まれる事が多かった。そこに憐みが加わるだけなので、今更気にもならない。
料理の一つを口に運ぶ。焼いた薄切り肉に赤茶のソースがかけただけの一品だ。見た目は『ローストポークの赤ワインソースがけ』に見えるのだが。
……美味しくないなぁ、これ。
王城に卸される食品だから安い筈がない。だが、肉は焼きすぎなのかパサパサしている。ソースには、肉を焼いた際に出た肉汁を使用しているのだろうけど、妙にコッテリしている。それと、ワインは使っているんだろうけど、最後に入れたのか、アルコール特有の苦みを感じる。
何て言うか、色々と勿体ない料理だ。他の料理も似たり寄ったりである。
まぁ、貴重なものだからと言う理由で『香辛料塗れの目と舌と鼻と胃に痛い肉料理』が出されないだけマシだ。あれは色んな意味で酷い。何しろ、体臭まで変化する程に酷いのだ。
たまにであるが、男性に『女性用の香水は何故獣臭のようなものなのか』と、聞かれた事が有り、香辛料塗れの料理が原因だと答えた事が有る。尋ねて来た男性は、大抵は愕然とする。
理由は分からなくもない。
高級品の香辛料をたっぷりと使った料理が出せるか否かで、その家の財政状況が分かると言われるのだ。かつて自分も『辛い料理がどれほど苦手でも眉一つ動かさずに食べ切るのが淑女の嗜み』と言われた事が有る。この嗜みはどこの家でも同じだ。
なので、見栄を張る為に妻や娘の体臭を臭くさせていると、香水臭い原因は香辛料塗れの料理を出すように命じた自分だと、知るから大抵の男性は愕然とする。
これを機に香辛料少なめの料理を出してあげなさい。妻と娘はきっと喜ぶぞ。ここまで言うと肩を落として頷く。
お土産として菓子包みを渡して帰らせるまでがいつもの過程だ。
料理からデザートに切り替えようかと思って、デザートが並ぶテーブルを見る。しかし、硬いチーズの蜂蜜がけと砂糖が塗されたぼそぼそとした食感のパンが並んでいたので視線を料理に戻す。
この世界、フランス風なのに料理とお菓子が美味しくないんだよね。
だからこそ、自分が作る家庭料理や家庭的なお菓子が異様にウケるのだ。
料理とお菓子関係で鬱な事を思い出していると、新国王が王城の総料理長を従えてやって来た。直ぐに近くのテーブルに皿とフォークを置いて向き合う。
「陛下」
「まだ、殿下でいいよ。陛下の呼称は即位の儀を終えてからにしてくれ」
令嬢が顔を赤らめそうな微笑と一緒に言われては頷くしかない。
「では、改めまして。殿下、如何いたしましたか?」
呼称を変えて改めて用件を尋ねる。王の後ろに挑戦者のような顔をした総料理長がいる時点で何となく察しは付くが。
「既に察しは付いているだろうが、料理長が感想を教えて欲しいと言っていてね」
「はい。今日こそ貴女から合格点を頂きたい」
苦笑する王、キリッっとした顔の総料理長。
個人的な話だが、この料理長って苦手なんだよね。王が王太子時代に(依頼を受けて)差し入れで多めに持って行ったお菓子を分けてあげたら、見事にライバル視された。料理も同じ理由でライバル視されている。これ以降、何かと意見を欲しがるのだ。
で、何か言わなきゃならないから、余り美味しくない料理を食べまくるようになった。この手のパーティーで料理を食べる事に集中するのは非常に良くないが、総料理長が自分の意見を欲しがっている事は何故か有名な話になっているので、誰も止めない。
王城の料理レベルが少しずつだが向上しているのも理由の一つかもしれないが。
今回も、大量のダメ出しをして総料理長に膝を突かせた。周囲は誰も気にしない。だって、いつもの事だから。
王は顔を背け、肩を震わせ、声を漏らさないように耐えている。この男はいつもこうやって笑いを耐えていたね。
このあとも和やかな時間が流れ、夜更けになる前に慰労会はお開きとなった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
気分転換で書き始め、プロットに沿って書いていましたが、あれこれ追加した方が良いなと予定よりも長い話になりました。
後半もこの後に投稿しますので、お読みいただけたら幸いです。