天上の庭
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修正後連載形式に編集しました。今後はこちらで更新する予定です。
そして、君たちは世界の片隅で引きこもることを選んだ。
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01
僕は購買で買い求めた焼き蕎麦パンと、ボトル入りの緑茶を手に非常口から外に出ると、踊り場へと足を踏み入れた。この踊り場は、外部の非常階段に続く狭い空間なのだが、僕のお気に入りの場所だ。なぜなら、ドーム状の天蓋から曲線を描く側壁は全てガラス張りとなっており、大変見晴らしがいい。
真夜中の十二時を少し過ぎた今、天上には瞬かない星空が広がっていた。同様に、僕の足元にも。これは、決して比喩ではなく、本物の星空が視界の半球を覆っている。さらには、少し手摺から身を乗り出せば、強化ガラス越しではあるけれど、僕が生まれた惑星を見ることが出来るのだ。
というのも、僕が従事している仕事は、宇宙空間に建設された『宇宙空間における太陽エネルギーを無線により地上へ供給するための衛星郡及び当該衛星に関わる宇宙施設並びに当該太陽エネルギー供給に関わる地上施設を用いたエネルギー供給機構』、通称アマテラスシステムのうち、神州列島上空に建設された静止衛星郡のひとつ”カグラ”における関連機器の整備であり、それに伴って、現在の僕の生活空間が宇宙にあるからだ。
そして、この場所はカグラ内では唯一(本当は禁止されているけれども、常に鍵が解放されているという意味で)僕が出入りできて、且つ、宇宙空間を眺めることが出来る場所なのである。
残念なことに昼間は(というよりも太陽光が差し込む間)は、宇宙線や有害な太陽光線の影響から、防護服の着用が義務づけられているため、館内用の防護服の支給がされていない僕は立ち入ることができないのだけれども(一応、有害光線を遮断する特殊加工したガラス張りになっているのだが、念には念をということらしい)。
そのため、僕がこの場所に訪れることができるのは、夕出または夜勤のときだけだ(とはいっても、昼夜といった時刻の概念が無くなる宇宙空間では、仕事の始まる時間はあまり関係ない)。今月の僕のシフトは夕出で、ここ一週間ほど、僕はたいていこの場所で”夜食”を取っていた。
僕は手摺に近寄り体重を預けるようにして、眼下を見下ろした。
非常に厚いであろうガラスの向こうには、黒い空間にぽっかりと浮かび上がる、青と白のマーブル模様の美しい惑星。流れる雲の隙間から覗くのは龍の形をした神州列島。僕の生まれた場所だ。島々全体が夜だというのに美しい光を湛え、その輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。
本土は今頃は霜が立つ季節を迎える頃だろうと、雲の流れから見当をつける。僕は列島でも北のほうの生まれだから、故郷ではもう雪が降っているかもしれない。
心の中にぼんやりと郷愁の念のようなものが浮かび上がるが、僕が大地を踏むことが出来るのは、まだまだ先のことだ。
僕はその場に座り込むと、踊り場に入るための引き戸に背を預け、ばりっと焼き蕎麦パンの袋を破いた。ボトルのお茶で流し込みながら、代わり映えのしない宇宙空間を眺める。正直に言えば、四季が移ろう国で生まれたためか、最初こそ物珍しかった宇宙空間は、あまりにも変化が乏しく、三ヶ月も経てば慣れてしまい、物足りなさすら感じるようになって来ていた。
アマテラスシステムを含む”タカマガハラ”と呼ばれる一連の宇宙施設において、それぞれの施設内では、年間通して摂氏二十度前後、相対湿度四十%と快適に保たれている。例外は、住居空間の”オヤシロ”に設備された公園や庭で、四季折々の花々が咲くように、ある程度空調を変化させているくらいだ。もっとも、繊細な宇宙設備の中で物質劣化を早めるように悪戯に四季を真似るなど愚行極まるのだが、出来るだけ”本土”に近い居住空間を設置するのも、人道的な配慮なのだ。実際、それらの公園や植物園は閉鎖的な宇宙施設の中で、とても良い憩いの空間として機能している。
しかしながら、僕の仕事場となる”カグラ”を中心とした81個の起電用衛星郡と”防人”達が詰める防衛機構”アマノイワト”には、そういう配慮をしたスペースは設けられていない。
今度の環境改善委員会では、空調を変化させるとまでは行かなくても、施設内の緑化をもう少し推進するように提案してみようか、とぼんやりと思い巡らせていれば、背中の引き戸がかすかに振動した。
反射的に背中を浮かせるよりも速く、乱暴に開かれる。僕は引きずられるように倒れこんだ。
「……江崎、何やってんの?」
恨めしく見上げた先には、短髪の青年が僕を見下ろしている。僕と同じく今年度からタカマガハラに配属された森永だ。技術系の専門学校を卒業し二年間、民間で勤務した後に徴労義務に応じた僕と、大学卒業後すぐに防衛隊の任務に就いた彼とは同じ年ということもあり、割合仲がいい友人である。
現在、僕達の国は懲役制度、もしくは徴労義務を執っている。徴労というのは、僕達は必ずしも兵隊として従事する必要はなく、何らかの形で三年間、国の管理下での労働を担う義務だ。基本的には十八歳から三十二歳までの間に、半年の研修を含む少なくとも三年間、宇宙空間施設を指す”タカマガハラ”、地上地区施設を意味する”本土”、領海底にある地熱発電設備及び管理施設及び移動人工島を含む”トコヨ”のいずれかにて労働の義務を負うのだ。
つまり、国民は防衛隊、もしくはアマテラスシステムを中心とした防衛事業の整備管理に携わる国営事業のどちらかに従事することになる(そのため、義務教育中では男女共に機械整備と選択武道が必須となっている)。
これは、資源が乏しいこの国において、鎖国を可能にした宇宙施設を中心とした太陽発電を行うアマテラスシステム及び海底施設を中心とした海洋発電を行うワダツミシステム ―――― 半永久的なエネルギー供給システムは国家事業として運用されているため、このシステムを管理維持するため多様な職種が必要とされているためだ。
特にタカマガハラとトコヨは、規模は限定されているもののそれぞれ自立した生活市場を確立しており、本土と二地区間とは物質的な交流はほとんど無い。移動手段が限られているため、人的な移動以外は制限されているのだ。だから、食料はもちろん、生活必需品までが基本的に自給され、地産地消が推奨されている。
そのため、タカマガハラとトコヨでは、一見、徴兵、徴労とは関係のない、調理師や理容師、はたまた喫茶店の給仕係りといった様々な職業に就くことができる。もちろん民間の事業者に委託されている部分も多いのだが、いかんせん、国防の最高機密に最も近い場所であり、また、最低限のインフラを確保するためにも国が担う役割は大きい。
更には、現在六十年続いている鎖国政策真っ只中の僕達の国は、半世紀以上 ――――― 冷戦を考慮しなければ、三世紀以上もの間、事実上戦争したことが無く、また僕達の国は”法律”上”軍”隊は存在していないことになっている。森永が所属しているのはあくまで”防衛”隊だ。言葉遊びみたいだけれど、防御に特化した機構であるため、他国を侵略するような戦争を起こすことは事実上不可能らしい。正直、僕はその辺のことをよくわかっていない。
僕は防衛隊とその他国営事業のどちらにするかという選択時に、国営事業であるアマテラスシステムの整備運用を希望したため、現在第一衛星”カグラ”の管理業務に配属され、森永は防衛隊を選択しその中で”カグラ”の守備部隊に配属されたらしい。
僕は床に転がったまま、手にした焼き蕎麦パンを掲げた。床においていたため、ボトルに入っていたお茶は無事だ。よかった。
「見りゃ分かるだろ。飯食ってんだよ」
森永は僕の手の中の焼き蕎麦パンに一応視線を当てたが、すぐに肩をすくめて見せた。
「俺には転がっているようにしか見えないんだが」
「お前が乱暴に開けるから、引き戸に引っ掛けられて倒れたんだよ」
「あーだから、扉が重かったのか。わりぃわりぃ」
胡乱な視線を投げかければ、森永はあっけらかんと悪びれない謝罪を口にした。普通扉が重い時点で気がつくだろう? と思うのだが、森永は防衛隊を志望したに相応しい、体育会系の粗忽な男だ。おおらかで気がいいのだが、いかんせんデリカシーが無い。僕は床についた上半身を腹筋だけ使って起こし、ずりずりと踊り場の隅に寄った。空けた僅かな空間に、森永もまた座り込む。
「狭いな」
「文句があるなら、お前が縮め」
森永の呟きに、僕は軽口を叩く。確かに、ただでさえ狭い踊り場は男二人が並んで座るだけで少々窮屈だ。しかし、大学時代に柔道を選択していた森永の体格のよさを考えると森永に原因があるといえる。身長はそう変わらないはずなのに、胸板は僕の一・五倍くらいはありそうだ。むかつく。
「で、江崎みたいなもやしっ子になれと」
人の悪い笑みを浮かべながらの森永の揶揄に僕はいささかむっと頬を膨らませる。
「俺はもやしっ子じゃねぇ。普通だ。防人を基準に考えんな」
防人とは防衛隊に所属する隊員の総称だ。日々、訓練に励んでいるため、当たり前だが体格のいい人が多い。そんな人たちと比較されても勝てる気はしないし、もう一つ言わせてもらえば、実際、僕はもやしっ子ではないと思う。進んで運動をするほうではないが、中学高校と弓道をしてきたし、専門学校時代ではテニスクラブに所属していた。
……テニスはほとんど幽霊部員だったけれど。それでも工業用機器メーカーに整備士として二年努めている間も、とりわけ運動していたわけじゃないけれど、職業柄、重たい機材を運んだりと体を使う場面が多かった。
森永もわかっているらしく、憮然とした僕の顔を見たら満足したらしい。はいはい、と鷹揚に頷いて見せた。
「お前飯は?」
「もう食ったよ。防人は食堂で配膳されるからな。今は見回り中」
そういえば、以前、防人は体が資本だということで特別に小隊の持ち回りで運営される食堂があると聞いた。ほかに国防衛星”アマノイワト”の整備なんかも全て防人の中にある技術部隊に任されていたりと、防衛隊は他の国営事業と異なり、その内部組織でのみ運営されているのだ。まぁ、国防に関わることだから当然といえば、当然なのだろう。
「サボりか」
「サボり言うな。お前を指導してんの。ここ、一応立ち入り禁止だぜ」
僕が彼の職務怠慢を指摘すれば、森永は苦笑しながら僕の頭を軽く小突いてきた。しかし、僕としてはそれにも異を唱えたい。
「この場所を俺に教えたのはお前だろうが……」
僕はあきれながら彼の過失を指摘し、焼きそばパンの最後の一欠片を口の中に放り込んでお茶で流し込んだ。しかし、森永はにやにやと笑ってごまかし、そして視線を上へと投げた。
「まぁ、この景色も今日で見納めだからな」
ふと、感傷的な声音に僕は目を見開く。
「え?お前移動すんの?どこよ?」
「アマノイワトだが」
僕の問いに、森永はさらりと答えた。”アマノイワト”は、居住施設の”オヤシロ”の次に大きな衛星で、国防の要であり、タカマガハラにおける防衛隊の本拠地でもあり、一般人の立ち入りは堅く禁止されている。もちろん、僕が足を踏み入れることは一生ないだろう。ちなみに、防人の居住空間は”アマノイワト”内にある。
森永は立ち上がると手摺から身を乗り出すように、眼下をのぞき込んだ。きっと彼のいたずら小僧のようなまなざしには、あの美しい星が映っているに違いない。
「そうか、寂しくなるな。まぁ、休みがあったときは遊ぼうや」
僕も少しだけ感傷的になる。アマノイワトには行楽施設の類がないため、アマノイワト勤務の防人でも、休みの日には”オヤシロ”まで出てくる人たちは多い。連絡してくれよな、と呟けば森永は不思議そうに僕を顧みた。
「……つか、あれ?お前、まだ聞いてないの?」
森永は背中を手摺に預け、怪訝そうな顔で僕の顔をまじまじと見つめる。
「何を?」
僕が首を傾げると、森永は顎に手を当てて、眉根にしわを寄せた。伝達経路はどうなってるんだ、とか、これだから役所仕事は、とか、ぶつぶつ言っていたが、ふむ、と思い直したように向き直る。
「アマノイワトの技術本部に欠員が出たんだ。すぐに補充が出来ない専門職だから、いっそ防人部隊外の人間を誘致しようということになって」
「うん?」
ふうん、大変だな、と頷きながら耳を傾ける僕に、森永はなんてことないように、重大な人事異動を告げた。
「お前の名前あがってたぜ?」
「は?」
思わず口を開いて、森永を見返せば彼は小さく肩をすくめる。
「まぁ、つまり、お前もこの景色が見納めだってこった」
02
アマノイワト勤務について、困惑したのは最初の一週間で、僕はすぐになじんでしまっていた。それはひとえに、技術本部の人たちが、おおらかで気がよく、異分子である僕をあっさりと受け入れてくれたためだろう。
窮屈だろうと覚悟してきたアマノイワトでの勤務は慣れるとなかなか快適だった。僕の立場は抜けた技術本部の人員補充ではあったが、正式な防衛隊員ではないため、厳密に規則に則る必要はないと説明された。
しかし、元々慎ましく生きてきたせいか、普通に生活していて規則に抵触することは特になかったりする。オヤシロにあったような大きなレジャー施設こそないものの、生活に必要な物の大半が、オヤシロよりもむしろ格安で手に入れることができ、食事さえも食堂に行けばやはり格安で配膳され、自分で作る手間が省ける。ちなみに給養員は各部隊が月ごとに持ち回りらしく、部隊の対抗意識が高いためか、互いに切磋琢磨した結果、出てくる料理はそこらの料理屋よりもかなりおいしい。あなどれない。
僕は給養員から配膳された朝食を平らげると、仕事場に向かった。
僕の仕事は、アマノイワトの中心にあるメインコンピュータ及びその周辺施設の整備管理だ。基本的に二人一組で行動する。
僕がタッグを組んでいるのは、佐久間さんという、れっきとした防衛隊所属の技術本部の人で、僕の指導員でもある。というか、技術本部もまた基本的に職業隊員で構成されており、専門家(とは言っても、この場合名のある研究者レベルだ)の協力を仰ぐことはあっても、徴兵制により徴収された隊員が所属することはないのだそうだ。
僕みたいな雇用は前代未聞らしい。ちなみに、佐久間さんは今年36になる二児のパパで、精悍な顔つきだけれど、目元が優しいため、絵本に出てくる熊のような印象の人だ。あだ名は、そのまんまクマさんだったりする。
IDカードを翳し、準備室にはいると、すでに佐久間さんが来ていた。
「おはようございます」
「おお、おはよう」
僕が挨拶をすると、佐久間さんは二カッと笑みを浮かべる。
僕らはエアシャワーを浴び体に付いた埃を飛ばすと、専用のスーツを作業着の上から身につける。髪を帽子の中に入れ、手袋をはめてマスクをつけると、この上なく怪しい不審者のできあがり、ではなく準備完了だ。
白装束に身を包み、再びエアシャワーを浴び、IDカードと掌紋と角膜、おまけに静脈の照合をしてやっと入れる秘密の部屋。
足を踏み入れた瞬間、冷たい空気がひやりと頬を掠めた。
コンピュータの稼働熱を冷却するために、随分と低く温度設定がなされているのだ。虫の羽音にも似た稼働音が幾重にも重なり合唱している。
ドーム状の天蓋は高く、そして中央に鎮座する揺りかご。それを護るように、部屋中、それこそ壁にまで這い回る野バラの蔦にも似た配線と配管、調節装置、その稼動を示す、夜光花のようなランプのきらめき。まるでハイテク化された茨の城だ。
僕は慎重に足を進め、佐久間さんと一緒に揺りかごの中をのぞき込んだ。
まるでお伽噺のオーロラ姫さながらに、そこには一人の少女が眠っている。
ただ、彼女は日の光のように輝く金髪でもなく、バラのように赤い唇でもなく、長身でもなく、スリムなスタイルでもなく、王女でもない。
黒い髪は不揃いに短く、血の気が失せた唇は青ざめている。華奢な体はまだ少女のそれで、スリムというよりもひどく頼りなく儚げだ。
そして何より、彼女は王女ではなく、女神なのだ。
細い首筋に食い込む配線は、彼女の脳に直接接続され、彼女の脳がこのメインコンピュータの処理の大部分を担っている。それによって、アマテラスシステムは正常に動くことができるのだ。
鎖国前から技術立国と誉れ高かった僕らの祖父たちは、科学技術の粋を集めて、ハイテクなハードを作り上げたけれど、それを制御するソフトを開発するには至らなかった。60年前どころか、今の技術を持ってしても、人の脳と同様の処理能力を持つコンピューターを作ろうとすれば、淡路島ほどに巨大化してしまう。
ましてやそれを宇宙空間に打ち上げるなど、正直不可能に近い。
だから40数年前、数人の研究者が名乗りを上げた。彼らは自らがその脳を”奉納”し、このシステムを完成させることを提案したのだ。様々な議論がなされる中、結局、その中から一人の女性が選ばれ、そして、巫女として神に仕えることになった。なんでも、女性が選ばれたのは、一般的に男性より左脳と脳梁が発達しているかららしい。その辺のことは正直よくわからないけれど、彼女はアマテラスのよりしろとしてこの部屋で一生を捧げた。
彼女の寿命が尽きる前、代わりとなる巫女が秘密裏に探され、そして選ばれたのが、今この場所に眠る少女だ。どういった経緯で選ばれたのかは僕の知らないことだけれど、このシステム自体の全貌を知るものは、政府のかなり上の方であること、そしてこのシステムに関わる僕ら一部のメカニックと彼女の容態を見守る医者だけだ。
ゲル状の溶媒に満たされた揺りかごの中、静かに目を閉じた少女は、まだ十代半ばにしか見えない。長いまつげが淡く発光している内部ランプの光を浴びて、柔らかそうな頬に影を落としていた。
初めてこのシステムの全貌を知らされた一週間前、佐久間さんは僕に「非人道的だと思うかい?」と訊いた。それに対して僕は「それは僕ではなくて、この姫巫女に訊くべきでしょう」と答えた。
何も知らずに護られてきた僕に、このシステムを非難する資格はないと思ったし、知った今でも、やはり僕にはどうしようもない問題だ。他に代替となる手段が提案できるのであれば、また話は別なのだろうが。
何よりも、例え、洗脳されていたとしても、彼女がこうであることを望んだのならば、今更それを否定することの方が、よっぽど酷のような気もする。
佐久間さんは僕の答えに、一旦目を見開いて、そして二カッと笑った。
その後、他の高官から前代の技官がリタイアした理由というのが、このシステムを受け入れることができずに、精神が不安定になったからだと聞いた。僕はそういう人もいるだろうな、と漠然と思ったけれど、あの美しい神州や、トコヨ、タカマガハラに生きる七千三百万人の国民たちの笑顔を護っているのならば、素晴らしいことなんじゃないかとも思うのだ。
僕はまじまじと彼女の寝顔を眺め、やぁ、こんばんは、いい夢を見ているのかい、と、心の中で挨拶をした。
ぴくり、と彼女の瞼が動く。佐久間さんは少しだけ動揺したように僕を振り返った。
「また、御目をお開けになるのだろうか」
「……みたいですよ」
僕たちが見守る中、少女はゆっくりと瞼を持ち上げた。無垢な白目に焦点が曖昧なまなざし。瞼を少し伏せ、それでも天蓋を見上げるようにゆっくりと視線を遠くに投げる。
普段は眠ったようにその瞳を閉じている彼女は、時々目を開けることがある。これは先代の巫女にはなかった仕草らしい。宇宙空間で回転することで遠心力を作り出すこのアマノイワトにおいて、この部屋の天上が地球を向いたときに、彼女はそっとその黒い瞳を覗かせるのだ。
「…………一応、先生に報告をしよう」
彼は室内に設置された通信器具を取り上げて、隣室に待機している医者に報告する。この部屋のすぐ隣では、医療技術者が常に彼女の容態を管理しているのだ。
僕は佐久間さんを横目に、壁に設置されたボタンを押した。かすかな稼動音をあげて、天蓋の鎧戸が開かれる。厚い強化ガラスの向こうには、美しい青と白のマーブルの星。
瞬くことのない星々は、本物であるはずなのにまるでプラネタリウムのそれようだ。
どこかうつろな瞳が、地球を映し出すと、少女はかすかに微笑んだように見えた。
03
明日は春分である。そして、タカマガハラに年に六日間しかない、夜が訪れる日だ。
神州上空に静止しているタカマガハラは、地上において消費されるエネルギーの大部分を供給している。しかし、静止衛星であるため、春分の日と前後の一日づつ、計三日間ほど、夜間になると太陽光を得ることができなくなるのだ。常にアマテラスの加護受けるタカマガハラも、秋分と春分の日には天道の庇護からはずれ、夜が来る。
その間には太陽光からエネルギーを供給することができずに、タカマガハラ及び地上は蓄電エネルギーによって稼働することになる。
蓄電技術が進歩し、また、海底発電所のトコヨができてから、地上は十分にエネルギーを得ることができ、節電生活をする必要がなくなったのだが、タカマガハラにおいて、その節電生活はある意味お祭りのように訪れる。
いつも煌々とした明かりで満たされた施設内の照明は落ち、黄昏のような非常灯に切り替わる。そのため、補助的な灯りとして用いられるのは提灯だったり、蝋燭だったり。
そして、必要最低限の仕事以外は大抵お休みとなる。
もちろん、僕は仕事だ。しかも今月は夜勤である。
祭りの間の仕事はいつもと少しだけ手順が異なるらしく、僕は初めての対応になる。
僕は佐久間さんと共に白装束に着替えると、アマノイワトの深淵へと踏み込んだ。
相変わらず冷たく静かな秘密基地。しかし、今日ばかりは照明が落とされている。宇宙の深淵のなか、中央には淡く燐光を放つ揺りかご、あたりの調節機器のランプが瞬き、まるで星空の中にいるかのように錯覚を起こす。
「きれいだ」
思わずこぼれた僕の感想に、佐久間さんは笑って「足下に気をつけるんだぞ」と注意を促してきた。
彼女の寝顔を眺めると、いつものように眠っている。僕は彼女の様子を情報端末に記録し、佐久間さんを振り返った。
「今日は通常整備の仕事はお休みだ。非常回路に切り替わっているかの確認を行う」
彼の言葉に僕は頷いた。今日から三日間、夜の間はタカマガハラは蓄電エネルギーによって稼働することになる。そのため、いつもと違う回路を使用しており、その切り替えの最終確認はやはり人の手で行われる。僕らはマグライト片手に、全ての調節機器が正常に動いているかを確認し、そして、一息をついた。
「…………この部屋くらいは照明をつけてもいいのでは?蓄電エネルギーは十分なのでしょう?朝になればまた太陽の恵みを受けれるんだし」
僕の素朴な疑問に、佐久間さんはゆっくりと頭を振った。
「念には念を、さ。いつ何が起こって非常エネルギーを使うことになるかわからない。節約するに越したことはないだろう」
「そんなもんですかね」
「いくら太陽光は無限だといっても、俺らが使えるエネルギーは有限だからね」
その言葉に僕は、まぁ、確かに、と納得し、頷いた。
何よりも、この星空を散歩するような仕事もまた、悪くないかな、と思った。
04
今宵ばかりは天蓋をあけることは叶わず、姫巫女もまたその瞳をあけることはない。
穏やかに時間は過ぎ、僕らは一通りの仕事を終えた。
後は交代の時間まで、特にやることはない。見上げる空もなく、佐久間さんと僕は、機器が正常に動いていることを監視しながら、交代までの時間を潰していた。
「せっかくの春分なのに、娘さんは寂しがっていませんか?」
僕が話しかけると、佐久間さんはいやぁ、と頬を掻いた。
「最近は妙にこまっしゃくれてきてるからなぁ。母親の口まねをしてさ、邪険にされてばっかりだよ」そうぼやきながらも、相好を崩す様は立派な親ばかだ。
「江崎君こそ、どうなんだい?彼女は?」
佐久間さんの問いに、僕は渋い表情を浮かべた。
「いませんよ。なかなか縁がなくて」
そうかい、佐久間さんはと笑って口を開いた瞬間、異変は唐突に訪れた。
厳かな旋律が流れたのだ。この場に来て始めてのことだ。
機器の異変を知らせる耳障りな警戒音と違い、ただ雅で美しい音楽は耳に心地よい。しかし、僕は事態について行けず、あっけにとられている間に、佐久間さんはさっと立ち上がって、通信機器へと手を伸ばした。いつもならスピーカー機能に切り替えてくれるのだけれど、今回はそういうことはなく、佐久間さんは二三度、低く頷いた。
それだけで、僕はこれは国防に関わる何かが起きたのだと察知する。
僕はただ固唾をのんで、指示を待つことしかできない。
佐久間さんは受話器に手を当てて、僕へと振り返った。
「江崎君、丙の二二の”門”を開くんだ」
僕は彼の言葉に少しだけ戦慄しながらも、指示に従う。僕の行動を確認しながら「供給先を”百一”乃至”百八”の計八つに設定」佐久間さんが次の指示を出してくる。僕は自分のIDカードを調節機器に差し込み、掌紋照合を終えたパネルを叩いていく。
「設定しました」
僕は少しだけ震える指先に気がついて、ぎゅっと手のひらを握り込んだ。主制御装置で、佐久間さんが接続先を確認している。非常事態だというのに佐久間さんは酷く冷静で、彼の声が落ち着いていることだけが救いだ。
「”ヤタノカガミ”への出力を最大にしてくれ」
僕は半ば予想していた彼の指示に従い、パネルを叩いた。一斉に稼働音が激しくなる。あたりの制御ランプが一斉に瞬き、場違いに美しいと思った。
静かで美しい音楽、―――― 耳慣れたそれは、小さな頃から式典の度に耳する歌だ ―――― も流れ続けている。
「最大にしました」
僕の言葉に佐久間さんは深く頷き、二重目のロックを外すと受話器に向かって「こちらは完了です。後はお願いします」とお辞儀をし、受話器を置いた。
音楽はまだ流れ続けている。少女の瞳は開かない。
僕たちは、自分の持ち場から離れるわけにはいかない。次の連絡が来るまで、ここにいなければならないのだ。
無意識のものだろう、佐久間さんの低い祈りが聞こえてきた。
僕もそっと目を閉じる。鳴り響くのは美しい音楽。
僕もまた、思わず口ずさむ。
二千年近く前から詠われてきた祝いの歌。
どうか、貴女が護るこの国が、もう千年、できれば永久に続きますように。
05
時間としては全てをひっくるめても三十分にも満たなかっただろう。僕は、全ての設定を元通りにすると、気が抜けてしまいその場に座り込んだ。
すでに音楽は流れていない。僕は盛大に息を吐いた。
「緊張したかい」
佐久間さんが笑う。僕は笑えない。
「そりゃぁもう」
脱力したまま佐久間さんを見上げれば、彼は苦笑をこぼした。
「まぁ、こういう事態に備えて、蓄電エネルギーは無駄にできないんだ」
佐久間さんはもっともらしく頷きながら、そう、僕を諭した。
「一体何が起こったんですか?…………もし、訊いてもよろしければ、ですが」
僕が国防に関わることでしたら、民間人に話せないようなこともあるんでしょうし、と遠慮がちに問いかければ、佐久間さんは感心したように顎に手を当てて頷いた。
「君は冷静で、随分物わかりがいいな」
「分を弁えてるだけですよ」
というよりも、正直面倒ごとには関わりたくないのだ。とは言っても、すでに遅いような気がする。しかし、佐久間さんは謙遜と受け取ったらしく、ははっと明るく笑い飛ばした。
「”ヤタノカガミ”を発動させたんだ」
彼の言葉に、僕は口の中で、やっぱり、とだけ呟いた。
”ヤタノカガミ”は、八つの衛星からなるシステムで、この国における国防の要だ。エネルギーを一点に絞ることにより、高密度のエネルギー波を出して巡航ミサイルを迎撃したり、面単位で高密度エネルギー帯をつくることで、地場を狂わせて爆撃機を墜落したり、と簡単に言ってしまえば神州を護るバリアを瞬時に展開できる。
「大陸から”ミサイルのような物”が複数個確認されたから、打ち落としたそうだ」
佐久間さんの言葉に、僕は深くつっこむ気にもなれない。正直、この国の周りは仮想敵ばかりなのだ。エネルギー資源の枯渇が叫ばれて久しい昨今、アマテラスシステムは常に狙われていることを、さすがに理解している。このシステムを護るための鎖国政策なのだから。
もし僕がアマテラスシステムの全貌を知らなければ、世界中に技術譲渡してエネルギー枯渇問題の解決を訴えていただろう。しかし、今となってはそれは不可能だと理解している。技術譲渡はしたくても、できないのだ。おそらくこのシステムを公開した時点で、国際社会だけでなく、国内からも酷いバッシングを受けるだろう。それぐらいの想像はつく。しかし。
「ヤタノカガミって発動してたんですね……」
この手の情報は一般に公開されることはないのだろう。いたずらに国民を心配させてはいけないだろうし。
「ここ最近は少なかったんだけどね。それでも時々は発動してるし、やっぱり春分、秋分の日は特にねらわれやすいね」
「俺、これに携わっていいんですか……」
正直、国防に直接関わる仕事だとは思っていなかった。責任が負えるとは思えず、一抹の不安に佐久間さんは苦笑する。
「それはなぁ、上の決定だからね。俺も防衛隊に所属しているとはいえ、所詮技術屋の一人だからなぁ。お偉いさんの考えることはわからないよ」
確かにその通りなんだろうけど、僕は不安をぬぐえないまま、ふらふらと立ち上がると、姫巫女の顔をのぞき込んだ。僕よりも幼いであろう、いとけない寝顔。彼女は何事もなかったかのように眠り続けている。
「巫女様はおいくつになられるですか?」
僕の素朴な疑問に、佐久間さんはそっと目を伏せた。憂いているようにも見える。……実際そうなのかもしれない。
「……十四の時にお仕えになってから四年。今年で十八になるかな」
僕はそっと感嘆のため息をついた。十四歳。僕は何をしていただろうか。十八の頃は、何を思っていたのだろう。
「そう、ですか」
「どうした?」
僕が力なく呟けば、佐久間さんは気を取り直したように僕の顔をのぞき込んできた。
「いえ、情けないなと」
唇を噛み締め、答えた僕に、佐久間さんは目を見開く。
「情けない……か。君は本当に……」
「なんですか?」
途中で口をつぐんだ佐久間さんに、僕は振り返り訪ねるけれど、佐久間さんは緩く頭を振っただけで言葉の続きを紡ぐことはなかった。ただ、神妙な顔をして、少女の顔をのぞき込む。
「いや、そうだな。情けないな。国の全てを一人の少女に背負わせている。本来ならば国民一人一人が担うことなのだが」
彼のもっともな意見に、僕は言葉を失い、ただ立ちつくすしかない。
佐久間さんと僕はしばらく、少女を見つめていたけれど、不意に佐久間さんは僕を振り返ると、二カッといつもの笑みを浮かべた。
「そろそろ交代の時間だな、引き継ぎの準備をしよう」
そういって、未練などないかのようにきびすを返す。強化ガラスがはめ込まれた扉の向こうには交代員の影が見える。
僕は彼女に再度、視線を落とす。
「お疲れ様です。せめて、よい夢を」
口の中だけで小さく呟き、僕もまた引き継ぎの準備をするために、きびすを返した。