ブリモドキの名前(卅と一夜の短篇第10回)
ブリモドキは自分の名前が嫌いだった。
「僕の個性を否定している! ブリモドキってのは《ブリみたいな》って意味じゃないか」
親友のキンメダイが慰めた。
「しょうがないよ。君ってば、体つきがブリにそっくりなんだから」
「キンメダイくん。ブリってのは一体何者だい? ブリ大根にされるしか能のない食用魚じゃないか」
「照り焼きもおいしいらしいよ」
「そんなことどうだっていいんだ! ねえ、キンメダイくん。僕は君が羨ましいよ。真っ赤な体と大きな金色の目。それをきちんと評価されたうえでの金目鯛と名づけられたのだからね」
「ベリクス・スプレンデンス」
「な、なんだって?」
「僕の学名」
「そんなことはどうだっていいんだ! 今は僕の話をしてるのだからね」
「そうだった、ごめん」
「知ってるかい? ブリの名前は大きさに合わせてころころ変わる。幼魚のときはモジャコ、若魚のときはイナダ、もうちょっと大きくなるとワラサで、さらに大きくなったところでやっとこさブリと名乗れる」
「出世魚って言うらしいね」
「アイデンティティがないだけだ。姿かたちがあまりに平凡だから、名前でインパクトを与えようというさもしい努力の結果さ。ところが、僕はどうだい? 僕を見てくれ! この特徴的な縞模様ゆえに僕はシマシマブリと名づけられるべきなんだ。他にこんな特徴的な縞々をもった魚がいるかい?」
「イシダイとかチョウチョウオとか」
「そんなことはどうだっていいんだ! 最後の質問は修辞疑問文だよ、キンメダイくん。だから、答えなくてもいいんだ」
「なるほど、修辞疑問文か。君と一緒にいると勉強になるよ」
そのとき二匹の上をサンマの幼魚の大群が通りかかった。彼らはオホーツク海へプランクトンを食べに向かう途中だった。礼儀正しいチビサンマたちは銀色の腹を閃かせながら、キンメダイに挨拶した。
「こんにちは、キンメダイさん!」
「こんにちは、サンマくん」
サンマたちはブリモドキにも挨拶した。
「こんにちは、ブリモドキさん!」
「こらあ!」ブリモドキはヒステリーを起こした。「僕をブリモドキなんて呼ぶんじゃない! こんどそんな名前で呼んだら、ホオジロザメをけしかけるぞ!」
「きゃー!」
「うわーん!」
「ブリモドキさんが怒ったあ!」
全速力で逃げていくチビサンマたちを横目にキンメダイが嘆息した。
「あんなに怖がって。かわいそうに。ただ、名前を呼んだだけだろう?」
だがブリモドキは意に関せず、ぶつぶつ一匹ごとをつぶやいていた。
「ぶつぶつぶつぶつ……どういう教育してるんだ。親魚の顔が見てみたい。まったく。……あ、いま思い出した。僕には生態学的にも重要な特徴があったのだ」
「なんだい、それ?」
「大型魚と一緒に暮らす習性さ」
「コバンザメみたいにね」
「あんなヒモと一緒にしてもらっちゃ困る。確かに餌のおこぼれはもらうし、サメの威を借りて凶暴なマグロから守ってもらったこともある。けれど、僕だってお返しはしてる。魚一倍泳いで、ぐうたらなサメたちのために餌を探してやったりしてるんだぜ」
「ふゥん」
「つまり、ギブ&テイク。美しい共生関係を築いているわけだ。僕がマンタと一緒に泳いでいるところを想像してみたまえ。どうだい、美しいだろう? 水中写真家垂涎ものの画だ」
ブリモドキは自分とマンタの写真がダイビング雑誌の表紙を飾っている様を想像した。ブリモドキはうぬぼれた。世界最大のジンベエザメや史上初めて陸上へ這い上がったユーステノプテロンよりも自分のほうが偉い魚なのだと思い込んでしまった。
かくして、うぬぼれ屋のブリモドキは一念発起した。自分にもっとふさわしい名前を見つけるために旅に出よう!
翌日、キンメダイは北太平洋海流に乗って遠ざかっていくブリモドキに声をかけた。
「ボン・ボヤージュ、ナウクレトス・デュクトル!」
「な、なんだって?」
「君の学名さ!」