辺境の村の記憶 -1-
アウトサイドの中で最大のシティ、ファーストシティ。その中で最高級と言われる地上七階建てのホテル。最上階のバー「オールドムーン」その一角の個室の円卓に、四人は腰を掛けた。
ピリピリした空気がその場に漂っている。エヴァンジェリンは自分の真向かいに座ったオメガに鋭い視線を向けている。その視線に一瞥をくれ、何事もなかったように椅子にオメガは体を鎮めた。
アルフレッドが、レッドスコーピオンに残るものの中から、このメンバーを今ここに集めたのには理由があった。自分を含めた、四人。そして、先に零シティ内に潜入している、組織で最も老齢なλ(ラムダ)を、これから先の中心メンバーに据えようとしていたのだ。
その考えを伝えると、エヴァンジェリンはちらりとオメガを見たが、口に出しては何も言わなかった。
アルフレッドが軽くイプシロンに目配せをする。
「じゃあ、私から自己紹介させてもらうわ。」
もともと姿勢のいいイプシロンがすっと背もたれから背を外した。
「コードネームε(イプシロン)。これは、みんな知ってると思うけど、本名はレベッカよ。レッドスコーピオン立ち上げからのメンバーだから、最古参という事になるわ」
そう言い終わると、右隣に座るオメガに顔を向ける。
「ω(オメガ)本名はリョーマだ」
「リョーマ?」
エヴァンジェリンが復唱した。
「ああ、リョーマは東洋系だ。セブンスシティはずれの辺境の村の出身だ」
アルフレッドの言葉に頷く。
「エヴァンジェリン・モーガン。コードネームはβ(ベータ)」
「てめえ」
オメガの目が光を放ち、体を乗り出した。
「女だったわけだ。しかも、話せるんじゃねーか」
オメガのこぶしが円卓の上でドン! という衝撃音を発した。
「オメガ、ひとつ聞きたいことがある」
ぶつかり合ったエヴァンジェリンとオメガの視線が、緊張感を放っている。
「なぜおまえが? なぜこんな危険な賭けに乗る?」
オメガの黒い目が一瞬泳いだ。が、すぐにその視線はエヴァンジェリンの元へと戻る。
「まったくだ」
は! という自嘲にも似たため息とともに、吐き出した。
「エヴァンジェリン・モーガン。てめえの言う通りだ。本来なら王族の跡目争いなんざ知ったこっちゃねえな。だが、俺はジュールを殺す。そう決めている。だからここに残る」
エヴァンジェリンは目を瞠り、目の前の男を見た。いつもはどこか軽薄で狡猾、そして獰猛な雰囲気を纏う男。今は、暗い中にもきっぱりとした意思を宿した目をしている。
「おまえ……リョーマ? なにがあったんだ」
エヴァンジェリンが問いかけると、リョーマはアルフレッドを見た。アルフレッドは頷いて話の先を促す。
「一番東の端にある、セブンスシティ、そこからさらに東へ百キロほど行ったところに東洋系の人間が多く住んでいた小さな村があったんだよ。昔な。ちっさくって、貧乏で、ガキなんかみんな鼻水垂らして、きったねえ村。そこが、俺が生まれた場所だ」
リョーマはエヴァンジェリンの表情を眺めながら話す。
「俺は昔っからてめえが言うとうり、ろくでもない野郎だったんだろ。家族も散々困らせて、家なんて見向きもしねえで、さっさとそんな街は捨てたさ。腕っぷしはそのころから強かったからよ」
❋
東洋系の人間には小柄なものが多い。 リョーマはその中でも比較的小柄なためか、往々にして実年齢よりかなり幼くみられる。ただ、小さいころから鋭くとがったまなざしをしていたから、そのせいで彼に声をかけたり、かかわろうとするものは少ない。
だが時として、そのまなざしゆえに彼にかかわってこようとする者もある。そういうものはたいてい、彼と同類か、群れをつくって彼のようなものを狩って歩いている者たちだった。
そんなゴロツキと渡り合うときにも、この幼く見える容貌は彼に味方をした。
彼に手を出そうとするたいていの者は、『眼ばかりぎらぎらさせた食えない餓鬼』と、彼のことを馬鹿にしてかかるものが多い。幼く見える外見が相手に隙を与える。
そういうものを前にした時、リョーマは自分の中で箍が外れる音を聴く。自分の奥底で何かがカチリと外れる。檻の扉を開いて己の中に住み着いた獣が飛び出す。
そうするともう、理屈ではない。自分ですら止めることもできない。
人間には理性と言うリミッターがあって、喧嘩というものは、それを外せたものの勝ちだと、リョーマは経験から知っていた。
バカにして手を出そうとした者たちを半殺しの目に合わせる。いや、本当に殺してしまったものとて、一人や二人ではない。殺すときも、ちくりとも良心は痛まなかった。
相手が泣こうがわめこうが、土下座をしようが、リョーマの心には何も響かなかった。
倒して転がる相手から、金目のものを巻き上げる。
そうやってリョーマは町から町、村から村を移動していった。
故郷を捨てて、もうずいぶん経った頃、思いもかけず、自分の故郷のことだと思われる噂を耳にした。
その噂をするとき、人々は声を潜め、人に聞かれてはいけない話のようにこそこそと話す。
『何でも、感染力の強い病らしいわよ』『いや、触れなければ大丈夫だときくぞ……』『村の人口の半分は死んだって言うじゃないの?』『近隣の村も零シティから退去命令が下ったとか』『零シティからは専門の医師団が派遣されたって話しよ?』『とにかく感染を広がらないようにって……』
話をまとめると、何か感染力の高い、しかも致死の確率の非常に高い病気が自分の生まれ育った村に蔓延し、近隣の村は感染を恐れて退避、零シティからは拡大感染を防ぐための医師団が派遣されたということらしかった。