エピローグ
その後我々人類は、ユキとアレックスという二人の天才にによって更なる飛躍の時を迎える。二人により新しいワープ航法が開発されたのだ。
特殊なアンカーと呼ばれるマーカーを設置することにより、ワープ可能な距離が飛躍的に伸びた。アンカーを設置するためには今までの航法で進んでいくしかないが、一度アンカーを設置してしまえば、今までの何倍もの距離のワープが可能となった。交易はさらに盛んになり、人類は活動範囲を恐ろしい勢いで広げていった。その先頭には常にユキとアレックスの姿があったという。それからの時代を第二宇宙航海時代と呼ぶ。
「をれから百年以上の時を経て、ついに人類は友達を見つけた」
目標の惑星を目の前に、ドゥシアス四世は得意げに唇の端をゆがめてロッシ枢機卿へと顔を向けた。
「ともだち……」
予想もしなかった言葉にロッシ枢機卿はしばし絶句する。
「まあ、そうですな、彼らは広い宇宙で我々人類のたった一人の友達と言えるかもしれませんな」
テラ教現教皇の孫であるドゥシアス四世は、若々しく光る瞳を眼前に浮かぶ惑星ウコーントへと向ける。
人類が初めてであった高度な文明を持つ異星人の住む星だ。ウコーントという名も、彼らの発音を聞くとなかなか難しく、我々人類には発音しにくいものだ。彼らとの接触自体は、十数年前の話になる。それから幾度となく接触を続け、意思の疎通を図り、ようやく条約締結の運びとなったのだった。
「テラとウコーントの歴史については頭に入っておられるかな?」
ロッシ枢機卿は、手にした杖に体重をかけながら、ドゥシアスに問うた。
「もう、耳タコだよ。頭に入りすぎてはみ出そうだ」
ドゥシアスはもうたくさんだというように耳を塞ぎ、目の前の老枢機卿を睨んだ。その様子にロッシはため息をつく。
「あなたはテラの、いいえ、人類の代表なんですよ」
「形だけのね。俺のひー爺さんだか、ひいひいひい爺さんだかが、王制を廃止して教皇を政治から切り離したんだろ。お膳立てはすっかりできてて、俺とウコーントのお姫様は形だけの調印式に臨むわけだから、そこまで張り切らなくてもいいじゃないか」
ここで議論を戦わせても、年若いドゥシアスとはいつも平行線に終わる。ロッシはあえて何も言わなかった。いつかはこの若者にもわかる時が来るかもしれない。どれほど宇宙の果てまで手を伸ばそうと、我々人類のアイデンティティーはテラにあるのだという事を。いや、彼がこれからテラを離れ大きく飛び出していくときこそ、それを身にしみて感じるのかもしれない。そして、教皇は政治的な力を放棄したが、だからこそテラの象徴として存在し続けているのだという事を。
❋
惑星ウコーントは荒れ果てた星だ。厚い雲に常に覆われた地表には太陽の光はわずかしか届かない。ウコーントは、テラ以上に人々の手によって汚染されつくした星だったのだ。テラは宇宙に新天地を求めたが、彼らは地下にその居住地を求めていた。
地下深くに巨大な都市が点在する。今や何百億人にも達する勢いのテラ人とは違い、彼らは数千万人しか人口がいない。テラ以上に危機的な状況で細々と命をつないできた惑星だった。宇宙へ進出するようになったのもようやくここ最近のことなのだそうだ。
この星の代表として今日の調印式に臨むのはガハル・ナルーン(偉大なる母)の孫にあたるプラナ・サヤン(白い巫女)と呼ばれる姫なのだという。ドゥシアス四世も現教皇の孫にあたる。これからの友好をのため、わざわざ年若い二人を選んだと言うが、実際教皇やガハル・ナルーンが直接出て行って何事があったら、という配慮もあったのかも知れない。
ウコーントに到着したドゥシアスは地下の広々とした空間で迎えられた。薄暗い空間。天上は高く、壁にはあちこちに窓があり、そこから薄明かりが漏れている。それは壁なのだろうが、地下にそびえる巨大な塔のようにも見えてくる。
ドゥシアスは宇宙船のタラップを降りたとき、目の前に一列に並ぶウコーントの人々を見た。
小さい。
これがまずはじめに感じたことだった。
テラの人々でいえば、十五~六歳ぐらいの体つきだろう。全体的な体つきはテラの人々とそっくりだ。そして皆、色素が薄い。地下で長らく暮らしてきたからなのだろうか。迎え入れられた地下の空間は不思議な美しさを醸し出している。そこここに明かりは灯るが、テラに比べれば薄暗いという印象をぬぐえない。テラの者たちは明るい空間を好む。宇宙空間でも、宇宙ステーションでも、人々が活動する場所には煌々とした明かりがともされている。もちろん、テラの青空の下の明るさとはくらべものにはならないが。
横一列の一団の中央から、真っ白な服を着て、肌の色も抜けるように白く、髪の色も薄く灰色がかってはいるが白に近い女性が進み出た。
ドゥシアスの前に進み出ると、軽くひざを折る。
「遠路、お越しくださりありがとうございます。お疲れでしょう」
耳に装着した翻訳機械から言葉が頭に響く。この翻訳マシンも、ウコーントを発見してから今までかかり、技術の粋を集めて作り出した代物だ。実際に聞こえる女性の声は小さく震え、音域は極めて高いようだ。この機械が無ければ意思の疎通は難しい。発音も難しいので勉強すればどうにかなるとも思えない。
ドゥシアスもひざを折り礼をする。
「ドゥシアス・テルースと申します。お世話になります」
「ウコーントのプラナ・サヤンです」
サヤンの瞳は吸い込まれるように大きく、黒曜石のようにきらめいていた。
「さあ、こちらへ」
サヤンが手を出した。その手を取らなければ失礼なのだろうか? 僅かの逡巡の後にドゥシアスは細く白い手に己の手を重ねる。
その時だった。
触れた手の先から、何とも言えない清涼な水の流れていく感覚が体を駆け抜けた。
「あ……!」
サヤンが思わず手を引き、胸の前でもう片方の手で握り込む。
「あ、ごめんなさい。でも」
ドゥシアスの後からタラップを降りた者たちがサヤンの後ろにひかえていた者たちに次々に迎え入れられて行く。
サヤンは恐る恐るドゥシアスの手にもう一度自分の手を重ねる。その手が小さく震えていた。
「ああ」
サヤンのお唇からため息にも似た声が漏れた。ドゥシアスの手が冷たく小さなサヤンの両の掌に包まれる。その途端にまた、さらさらとした水の流れに包まれるような感覚に襲われる。
「ドゥシアスさまは、特別な方なのですね?」
「え?」
サヤンの大きな瞳に涙の膜が張った。
「とても暖かい。ふわふわとしたものに包まれているような感じがします」
「わたしは、流れる水の中にいるような心持です」
ドゥシアスは誰かと手をつないでこのような感覚を味わうことは今までなかった。教皇の一族は確かに人類の中では特別な力を持つ一族だ。もっとも顕著な力は癒しの力だ。
「今まで何人かのテラの方とお会いしました。でも、誰からも何も感じなかった。テラの方たちもわたくしたちからは何も感じてはくださらなかった。言葉でのコミュニケーションしかできないものと思っておりました。テラの方たちからみると、私たちは少し特殊な力を持っているのです」
サヤンは感激したようにドゥシアスを見つめたまま、その手を放そうとはしない。周囲には最後に二人を待つために残ったらしいロッシ枢機卿とウコーント側の男性一人だけが少し離れた扉の前で二人を待っている。
「わたしはあなたを信じます。あなたからはとても心地よい××××を、感じます」
そう言うと、はっきりとした笑顔を見せた。翻訳できない言葉が混じったらしい。彼女から感じる気配の中に暖かな色が差したような気がした。
「私たちにとっては、この感覚はとても大切なものなのです。分かち合えるテラの方がいたなんて」
サヤンは大きな瞳を閉じると、ドゥシアスの××××をその全身で感じているようだった。
「私たちは、友達になれますか?」
ドゥシアスが笑いながらそう訊ねた。サヤンが目を開ける。
「ええ、ええ、私とあなたはお友達です。そしてきっと、テラとウコーントもおともだちになれますわね?」
「ええ、きっと」
サヤンはドゥシアスを導くためにその手を引いた。
離れた場所で心配そうに二人を見ていたロッシ枢機卿が、二人がようやく歩き出したのを見て安堵の表情を浮かべていた。
❋
テラからの使節団が到着した翌日に、テラとウコーントの間で条約が締結された。
締結場所はウコーント地下の神殿と呼ばれる聖なる場であった。
目を瞠るほどの透明な地底湖の上に架かる橋の上。その空間を照らすライトのもとで、水深百メートルほどもあるという地底湖は青く、まるで凍ってでもいるかのように波ひとつ立ててはいない。
地底湖に架かった橋の中央に小さな机が用意されていた。椅子が二つ並べられ、右にドゥシアス四世、左にプラナ・サヤンが腰を掛けた。まず、ドゥシアスが筆を執り、署名した。その筆をプラナ・サヤンが受け取り、署名する。これにより条約は確定し、二つの種はこの先をともに歩んでいくこととなる。
テラとウコーントの年若い代表二人は署名が終わると笑顔をみせ、握手を交わす。
物語は終わり、我々人類は未来に向けて今を歩み出そうとしているのだった。
ようやく「零シティ」を書き終えた。という心持です。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。




