Ready -4-
二日前
いよいよもって教皇の容体が思わしくないという噂に、零シティ内は自粛ムードに包まれていた。
ジュールは、大聖堂最上階の祈りの間に降り注ぐ薄い光の中にひざまずき 、誰にも会わずに祈りを捧げている。
祈りをささげるときは白く簡素な聖衣と呼ばれる丈の長いシャツのようなものを着る。人前に出るときの派手な飾りはない。ただの白い布だ。
祈りの間の正面のかべに埋め込まれた地球儀を模したレリーフ。
ジュールは青白い顔でその聖なるテラの図を見つめた。
「来る……時が来る……俺はやり遂げる……必ず」
そう、ひそやかにつぶやいた。
────前日
零シティ、いや、テラ中にドゥシアス三世崩御の報がもたらされた。
アウトサイドでは、だが、いつもと変わらぬ日常の中である。
零シティ内は今までの自粛ムードがうそのように人々が行き来していた。もちろん粛々とした雰囲気はそのままであったが。
町中を悲しみ色に染め上げるため、人々は準備を進める。半旗が掲げられ色のない服に着替え、白い花を持って王宮へと列をなした。
ジュールは大聖堂内に父の体を迎え入れ、父の御霊を鎮めるための祈りをささげる。
王宮内も、聖堂も、重苦しい気配はそのままに、だが着々と儀式を執り行うための準備が急ピッチで進められていた。
まず、翌日にはジュールの戴冠式。
そして、二日後にはファーストシティ郊外での着座式とドゥシアス三世神化の儀が行われるのだ。
これらの儀式が零シティ外で執り行われることはテラ教始まって以来の事であり、水面下ではあわただしく人々は準備に追われていた。
ウルフ・リンバルド邸にて、その日の訓練を終えて帰還してきたレッドスコーピオンの面々にも、ドゥシアス三世の崩御の報がもたらされた。それとともに、これから始まる一連の儀式と作戦についての説明も行われた。
明日のファーストシティでの神化の儀において、エルマン・ガッソ枢機卿の手の者が武力により蜂起する。その間にレッドスコーピオンとしては、ヴェルヌ王子の奪還を目指す。平穏な日々に退屈の虫が騒ぎだしていたメンバーには喜色が浮かんだ。訓練ばかりで辟易しだしていたころあいだったのだ。
メンバーから少し離れて壁面にもたれながらアルフレッドの話を聞いていたエヴァンジェリンが、首を振りながらアルフレッドに視線を送っている。
アルフレッドも、その眼差しに気付き、ヘラリと笑って見せた。そんなアルフレッドに、エヴァンジェリンは眉を寄せる。その目つきが鋭い。すると今度はアルフレッドが居心地が悪そうに頭をかく。
レベッカは仲間の輪の中にいながら、そんな二人のやり取りを眺めていた。
「しょーもな……」
と、つぶやくとため息が一つ漏れた。
テラ解放軍の拠点、ファーストシティからほど近い山岳地帯の基地でも、兵士は皆どことなく浮足立っていた。
基地にある、装甲車がいつでも出撃できるように準備されていたし、倉庫にしまわれていた武器という武器も、根こそぎ持ち出されていた。
ウ・グェン将軍と、主だった隊の隊長は、そんな中第一会議室に集結していた。
「今回の作戦の第一の目的は次期教皇ジュールの身柄確保だ。殺すな。いいか、殺したら零シティで待機しているエドゥアルド・ロッシ枢機卿がアダマスに乗って全力でこっちを潰しにかかるはずだ。アダマスで出てこられたらひとたまりもない。残念だが、戦力の差は歴然だ。ジュールを生きて捕えろ」
「万が一、殺したら? 戦闘中ですよ。絶対はあり得ないでしょう?」
どこかから声が上がる。
「大体そんな簡単にいくか?」
静かに始まったざわめきが広がっていく。
「いかせろ! 馬鹿野郎! 死にたくなきゃな! 万が一殺したら? そんときは全力で逃げろ!」
解放軍ナンバー2である参謀長のムハマンドが声を上げた。線の細い上官に代わり、隊員を叱咤するのは彼の役目だ。びりびりとした声が会議室にこだまし、ざわめきが収まる。
ロッシ枢機卿とテラ解放軍側には密約がある。アダマスは出撃しない。テラ解放軍の動きを黙認することになっている。ただし、ジュールの身の安全がその条件だ。ジュールを無傷でロッシ枢機卿に引き渡す。
ロッシは着座式と神化の儀が執り行われる間のテラの力の中枢と言うべき旗艦アダマスをその手に握る。その間にアウトサイドにいるジュールを解放軍が襲撃。確保する。
一方ヴェルヌ王子の救出作戦も並行して行われる。こちらの作戦はレッドスコーピオンが引き受けることになっている。枢機卿。テラ解放軍。そしてレッドスコーピオン。今までそれぞれにかつこうしていた者達が同時に事を起こそうとしていた。
全てがうまくいけば、ヴェルヌ王子による着座式と神化の儀、加えて零シティとアウトサイドへの解放宣言を行い、ジュールにヴェルヌへの王位譲渡を迫る……と言うシナリオだ。
隊長連中がぞろぞろと退出していき、グェンとムハマンドが二人、会議室に取り残されると、ムハマンドは口を開いた。
「……そう、うまくいきますかね?」
そう言う本人は、先ほど部下に威勢のいい檄を飛ばしていたのだが。
「うまくいかなきゃ、しっぽを巻いて逃げるだけだ」
グェンは、どうと言うことはないように答えた。
「よしんばうまくいったとして、ジュールが力による反乱に屈すると思いますか? 下手したら、自害しかねないでしょう? いや、少なくとも、ガーディアンはジュールの側にいる。いくらなんでも、そう短期間でトントンと片が付くとは……。その時、ロッシはどう動くと思います?」
「そんなことは……ぼくの知ったことじゃあないなあ」
頭を掻きかきグェンが答えた。
だが、のんびりとしたように見えるグェンだが、将軍にまで上り詰めた男だ。そこを考えないわけでは無い。
ただ、うまくいけばそれに越したことはない。万一ジュールが戦闘中に死に至るようなことになっても、あのロッシがテラ解放軍すべてを粛清の対象とするとは思えない。長い付き合いの間にそのくらいの信頼感をロッシに対しては感じていたのだ。それに、そんなことになれば逃げる。もともと、根無し草の自分たちだ。正規の軍とは違うフットワークの軽さがある。ばらばらに逃げてしまえば、一人ひとり探し出して潰すことなど至難の業だ。根絶やしにしたくとも、出来るような組織ではないのだ。
ジュールが自害したら?
ロッシの真意がつかめないのはそこだ。
今までの付き合いで、グェンは彼がジュールのことを嫌ったり憎んだりしているのではないとも感じている。と言うより、彼は、その立場以上にジュールに対して深い感情を抱いているのではないかと思う。今回、ジュールを害するなとの条件も、彼のジュールに対する思いから発せられた言葉だろう。
ジュールにこれまでの彼の裏切りが知れた時、その時のことをロッシはどう考えているのか。ジュールさえ無事ならば、彼からどう思われようとかまわないということなのだろうか。
ジュールにしてみれば、信じていた親友に裏切られたようなものだ。
「ぼくがジュールだったら、殺された方がましだと思うがな……まさか、それとも……?」
ジュールが全てを知っているとしたら? それなら、ロッシの行動は理解できる。だが、そうすると、ジュールの真意がわからない。すでにテラの全権を掌握している彼が、この期に及んで望むものとはなんだ?
「はい?」
「いや、なんでもない」
グェンのつぶやきはムハンマドにも、届かなかったようだった。
ドゥシアス崩御の後、すぐに執り行われるのが次期王の戴冠式だ。
この儀式は零シティ内の王宮にて滞りなく行われた。
もともと、この儀式は内々で行われるものであり、それほど大がかりなものではない。
その分、翌日に行われるドゥシアス三世神化の儀と、ジュールが教皇となるための着座式の準備に、大きな時間が取られる。テラにおいては、王であるという事よりも教皇であるという事の方が大きい意味を持っていた。
ジュールは明日一日の零シティ内の武力の指揮全権をエドゥアルドへ託した。
これは、実は珍しいことである。たいていは幾人かの枢機卿が連名で受け持つものだった。だが、ジュールは自分の腹心であるエドゥアルドへ、その日一日のすべての権限を与えたのであった。
そしてその日が来る。
後にテラ教再生の日とも零シティの崩落とも呼ばれる一日が迫っていた。
運命の車輪が、いま、軋みを上げ始めようとしていた。
〈第一部・完〉




