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零シティ・改  作者: 観月
第一部
17/37

聖なる一族 -5-

 テラの上流階級に属する子息は、たいてい十一歳から全寮制のテラ神学校へと進学するのが常であった。

 学校では護衛を連れて入学することは認められていない。ドゥシアス三世はガーディアンに変わるジュールの護衛として、ロッシ枢機卿の一人息子、エドゥアルドに目をとめた。エドゥアルドは七枢機卿の子息の中でも、もっともジュールと年が近く、穏やかな性格であることが決め手となった。ただ彼はジュールより一つ年上だったため、一学年遅れてテラ神学校への進学をすることになった。

 今まで、あまり年の近い子どもに興味を示さなかったジュールであったが、エドゥアルドには初めて会った時からよく懐いたようで、二人の父親を安心させていた。入学までの期間には、親交を深めるためにジュールがロッシ邸に招かれ、宿泊をすることもたびたびあった。

 ロッシ邸は、七枢機卿の中ではこじんまりとした屋敷で、女主人のラナンツェツェが切り盛りをしていた。エドゥアルドの母ラナンツェツェは、庭に鶏を飼い、使用人ではなく自らキッチンに立って家族の食事を作るような家庭的な人だった。

 ジュールはロッシ邸に招かれると、エドゥアルドと一緒にラナンツェツェについて歩き、お菓子作りの手伝いをするのが大好きだった。


 ジュールはロッシ邸のキッチンでクッキーの生地をこねるラナンツェツェの手元を食い入るように見つめている。

「ジュール様もやってみますか?」

 声をかけられてびっくりしたようにラナンツェツェを見上げて頬を染める。

 ラナンツェツェは小柄でふっくらとした女性だったが、それでも九つのジュールよりは背が高い。

「クッキーの焼ける匂いは、とてもいい匂いがするんだね」

 オーブンの前で焼けていくクッキーを覗き込みながら、ジュールが言う。

「お城で出てくるお菓子は、こんなにいい匂いがしないんだよ。……それに、ラナンツェツェも、いい匂いがするね!」

「もう、お菓子のにおいが染みついているのよ」

 と言って、ラナンツェツェは笑った。

「ジュールのお母様はお菓子を作ってくれないの?」

 少し離れた場所で様子を眺めていたエドゥアルドがたずねた。

 すると、それまでうっとりとほおを紅潮させていたジュールの顔に影が差す。

「僕のお母様は、お料理はなさらない。多分。ぼく、お母様とは、あまり会ってないんだ。お……お母様は……」

 ジュールの目が泳ぎ、かすかに声がどもる。ギュッと手を握りしめ、大きく息をする。ジュールの変化にエドゥアルドが困惑した。

「ジュール様」

 二人の後ろからラナンツェツェが声をかけ、妙な空気を追い払った。

「お茶の用意をしたいのですけれど。手伝ってくださるかしら?」

 ハッとしたジュールが後ろを振り返る。

「リビングのテーブルの上を拭いてくださるかしら?」

 ラナンツェツェがそっと差し出した布巾をジュールは受け取った。

「はい」

 キッチンを出ていくジュールの姿を見送ったラナンツェツェは息子の耳元に口を寄せた。

「エディ、ジュール様の前でお母様のことを言ってはダメ!」

「ど、どうして?」

「ジュール様のお母様はご病気なの。それでジュール様は、お父様からお母様と会うことを制限されているのよ。だから、ね?」

 初めて聞く話にエドゥアルドは驚いて母の顔を見た。

 エドゥアルドも、王妃様のうわさは聞いたことがある。大変おきれいな方なのだと。漆黒の髪、黒檀の瞳、雪のような肌と薔薇色の頬と唇。昔話のお姫様のような美しさなのだと言われているのだ。それは、息子であるジュールを見ていても、納得がいく。でも、病気だなどと聞くのは初めてだった。

 ただ、先ほどのジュールの様子を思い起こせば、ジュールと母の間に何か、普通ではないものがあるという事は感じられた。

「わかったよ、母さん」

 エドゥアルドは、母を見上げて、頷いて見せた。


 そして、その日初めて、エドゥアルドはジュールの発作を目の当たりにしたのだった。

 

 異変が起きたのは。エドゥアルドが眠りについてしばらく過ぎたころ。

 ジュールが家に泊まるときは、エドゥアルドと二人でベットに入る。

 ふと、エドゥアルドは夜中に目を覚ました。いつもと違う一日に興奮して、眠りが浅かったのかもしれない。

 横に寝ているはずのジュールに目をやると、エドゥアルドは小さく驚きの声をあげそうになった。

 寝ていると思ったジュールの目が、ぽっかりと開いて上を向いていたのだ。

 その瞳が……いつもは少し明るめの虹彩が……なぜか闇を吸うように真っ暗に見えた。何も写してはいない、ただの闇のように。

 エドゥアルドは不安になって声をかけた。

「ジュール、様?」

 びくりとジュールの体が震えて、とっさに自分自身の腕を抱くようにギュッとつかんだ。

「あ、いや……いやだ。だめ!」

 ポロリと、目じりから涙がこぼれて、自分自身の腕をつかんだ指がきつくきつく、皮膚に食い込む。

「どうしました? 大丈夫ですか? 指を……ジュール様、傷ついてしまします」

 あまり大きな声にならないようにジュールの耳元で声をかける。

「いやいやいや……助けて……だれか……やめて、おかあ……さ」

 腕に食い込んでいく指先がその白い皮膚を抉って赤い筋をつけていく。

 エドゥアルドは、とっさにその手を腕からはがす。ジュール手を自分の手でしっかりと握りシーツの上に押さえつける。

 手の自由を奪われたジュールは体をのけぞらせて束縛から逃れようとする。

「ジュール様!」

 体を捩り、足をばたつかせるジュールの上に、エドゥアルドは乗り上げて押さえつけた。

 その時、静かに部屋の扉が開き、ジュールの警護をしていた男が部屋の中へと入ってきた。

 ジュールがロッシ邸にやってくるときは、毎回影のように二人ほどの護衛がロッシ邸に滞在する。夜の間は、エドゥアルドの部屋の前で、一晩中番をしている。

 エドゥアルドはジュールを組み敷いているような自分の姿を護衛の男に見られたことで頭にかっと血が上った。だが、思いがけない力で抵抗するジュールになすすべもなく、額に汗をにじませながら、両手を抑え続けるしかなかった。

「発作が起きてしまったのですね」

 入ってきた男は驚くでもなくいたって冷静にそう告げた。

「発作?」

 エドゥアルドはチラリとだけ、近寄ってきた男に視線を投げる。

「はい。たびたびこのような発作を起こされるのです。こうなっては、落ち着かれるまで抑え込むしかありません。そうしないとご自分を傷つけてしまわれますので」

 警護の男も、ベットの端に片足を乗り上げていた。

「あなたの力では、大変でしょう。私が変わります……」

 そう言った男の言葉にエドゥアルドはジュールの手を押さえつけている力を少し緩ませた。わきから男がジュールの手を取ろうとしてそれに触れたとき、より激しくジュールが暴れだした。

 それまでなんとか、身を捩りながらも押さえつけられていたのが、「いやだ!」と、大きく叫ぶとベットの上に起き上がり、ジュールから離れようとしていたエドゥアルドに縋りついてきた。

 かくかくと震えながら、エドゥアルドの背に手を渾身の力で回し、しがみついている。エドゥアルドが息苦しさを感じるほどの強さだった。

 その時、また寝室の扉は開いて、今度は女の従者が入ってきた。

「……発作……なのか?」

 男は一度軽く女を振り向くとまたすぐ目の前のエドゥアルドとジュールに視線を移す。

「ああ、だが今回は軽いほうかも知れぬ」

 女は室内の様子を一瞥すると「私がここにいる必要はなさそうだな」と、すぐに部屋を出て行ってしまった。ジュールの護衛はこういった事態に慣れているようだった。

「エドゥアルド殿」

 男は静かな声で語りかけてきた。

「あなたにはお辛い体勢かもしれませんが、王子が落ち着かれるまでそのままでいてくださいませんか? もしまた暴れるようでしたら、私がすぐに押さえますゆえ」

 そういうと、男はそのままの状態で、事の成り行きを見守ることにしたらしい。

エドゥアルドは、ベットに座り込んだ姿勢で、ジュールの震える手を背中に貼りつかせていた。ジュールは、涙声で嫌だとか、やめてとかと言う言葉をぽつぽつと吐き出している。エドゥアルドは所在無く宙に浮かせていた手をジュールの背中に回し、そっとさすってやった。

 嫌がるのではないか? と、心配したが、ジュールがその手を気にした様子はなかった。

「あなたが、まだ少年だったのがよかったのかもしれません」

 その様子を眺めながらジュールの護衛は安堵の色を軽くにじませて言った。

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