聖なる一族 -3-
8/31 11部、12部に「テラ解放軍 -1-」「テラ解放軍 -2-」を割り込み投稿しております。
そうして、ある日彼は自分の手首を切った。
「ジュール様!」
自室のベランダに座り込み、右手にナイフを、左手首から血を流す王子を護衛の男が発見し、声を上げた。その声も届かなかったのか、ジュールは青い空を焦点の定まらない瞳で見上げたまま、微動だにしなかった。
スーツ姿の護衛がジュールに近づきあわてて、ナイフを取り上げる。
止血のためきつく手首を掴まれて、びくりと肩が跳ね、目の焦点が合う。ジュールは目を見開くと、捕まれた腕を外そうと、暴れ出した。
「ジュール様、暴れてはいけませんっ! 出血が……っ!」
護衛の男はジュールの手をがしりと握り、動きを止めようと抱きかかえる。
「誰か、誰か!」
男の呼ぶ声に城内にいた、警備の者や侍女たちが集まりだす。
屈強な警備兵数名がジュールを抑え込む。だが、医師が部屋へ到着するまでジュールは身を捩り暴れ続けた。
医師の手によって、鎮静剤を打たれ、次第にジュールが落ち着いていく。とろんとした目になり、その瞳が瞼に覆われると、ぐったりと体から力が抜けていった。
その様子を見届け、最初にジュールを発見したスーツ姿の大柄な警備の男がその場を離れる。ポケットから小型の通信装置を取り出すと、画面に向かって指を走らせた。
ジュールが目を覚ました時、部屋の中はしんと静まり返っていた。
ジュールは布団の中から自分の左手を引きだすと、手首に巻かれた包帯に目を向ける。
「ジュール様」
部屋の片隅から声がかけられる。
声をかけた男は、一番最初にジュールを発見した警備の男だった。「ガーディアンフェネック……」
ジュールはつぶやくように呼びかける。
ジュールの足元に控える男は王族のための鉄壁の守護、ガーディアンだった。彼は、ジュールのガーディアンである。ガーディアンは王と自分の主以外にその素顔と素性を明らかにはしない。だから、今ジュールの目の前にいる警備の男をガーディアンであると知るのは、王とジュールの二人のみである。
「ジュール様」
己のガーディアンの呼びかけにジュールは「なに?」と答えると、ゆっくりと体を起こした。枕を背にベットヘッドにもたれる。
「レオナルド・オリバンが拘束されました」
「……なぜ?」
まだ、脳内がうまくまわっていないらしいジュールはぼんやりとしたような声音できいた。
「彼が、今回あなたを追い詰めた人物とされています」
「そんな……彼は、僕に悪い事なんか……」
しだいにジュールの瞳に力が戻ってくる。
「はい。でも彼はあなたを夜会に連れて行った。レオナルド自身がそう申し出ています。その夜会においてあなたに行われた、行為についても供述してます」
ジュールの頬に血がのぼった。
「ちが……! 彼自身が僕にしたことはない! あれは……!」
「ジュール様」
ガーディアンは少し声を強めると、ジュールの枕もとへと歩み寄る。
「私の話を最後までお聞きいただけますか?」
ジュールは、己のガーディアンを暗い瞳で見つめると先を促した。
「あなたを真に追い詰めた方を、私達には、裁くことはできません。確たる証拠もなく、あなたと引き離すこともできない。教皇に訴えることも。だから、エリーゼさまがあなたに興味を待たれたと気付いた時、レオナルドは自らあなたとエリーゼさまへ近づいたのです。私が彼にそれを頼んだから」
「……え?」
「私はあなたのガーディアンです。王の命令には逆らえませんが、それ以外の私は、あなたのために動いております。今回、レオナルドの供述により、王はあなたが母上様の夜会に出席されることを禁止なさいました。母上様との面会時間にも制限が出される予定です。表向きにはレオナルドが全ての罪をかぶりましたが、教皇は、おおかたの真相を知っておいでです」
「なんで? レオナルドは? どうなるの?」
「レオナルドは、大丈夫ですよ。教皇自身、エリーゼさまの性格はご存知ですから。ですが、誰かが罪をかぶり、明るみに出さなければえエリーゼさまをおとめすることは出来なかったでしょう。……今回、このようなことになってしまいましたが、あなたとエリーゼさまの距離を置く事は、出来ました。あなたをお守りすることが出来ず、最悪の形で決着をつけざるを得なかったこと……私もレオナルドも申し訳なく思っているのです」
「フェネック……。謝らないで」
ジュールはもたれていた枕から体を起こし、ガーディアンフェネックに手を差し出した。ガーディアンは祈るように手を組み、小さな主の傍にひざまずいた。
「レオナルドは、エリーゼさまからあなたを守るための盾でした。その役目は終えました。今後この王宮に足を踏み入れることはないでしょう」
涙の膜が張る瞳を、ジュールは数度瞬かせた。それに合わせて、涙が押し出される。
「一つ、きいていい?」
ガーディアンフェネックは頷く。
「どうしてレオナルドだったの?」
しばらく沈黙が続いた。ジュールは答えを聞くまであきらめるつもりはなかった。静かに待つと、ガーディアンフェネックが口を開いた。
「本来、ガーディアンは、ガーディアンとなる以前の知り合い、家族と連絡を取ることは禁止されております。ですが、私とレオナルドは以前からの友人でした。私の母がレオナルドの母の侍女として働いていたのです」
ジュールは、喘ぐように口を開閉させた。己のガーディアンが口にしようとしている、事の重大さに背筋が冷たくなった。ガーディアンが、自分と過去をつなぐものにかかわることは大罪とされていたから。
「ジュール様、ですが私は、私のために彼と会話をしたことは露ほどもありません。あなたのための駒として、彼と相対したまでです。彼は、公にはなっておりませんが、七枢機卿の息子であり、エリーゼさまに近づく機会もございましたし、外見も、あなたのお母様の気に入るものだと思われたからです」
ジュールはそれを聞きながらずるずると寝台の上に沈んだ。
「……フェネック。少しだけ一人にして」
ガーディアンフェネックはひざまずいたまま頭を一度深く垂れる。主の枕と布団をなおしてやると、帷幕で仕切られた従者用の隣室へと姿を消した。
「ありがと……」
掠れる吐息のような声が、部屋を出ようとしたガーディアンの背を追いかけ、消えた。




