第一話 「防人の朝」
馬小屋で寝ていた隊長は寝巻のまま馬糞に塗れていた。臭気に顔を背けつつ、隊長に声を掛けるが、「ヌゴッ」「ンゴゴゴゴゴ」という鼾が返って来ただけだ。
仕方なく側により、鼻をつまみながら馬糞隊長の体を揺する。
「隊長、起きて下さい」
「ンガゴピ~ズゴゴゴゴ」
「隊長、起き」「ンゴガガゴ」
「隊長、起」「グギョギョギョギョ」
「隊」「ズ~~ゴ~~ピ」
「起きろ糞野郎!」
「ンゴァ!?」
顎を蹴り上げると流石に目を覚まして、困惑したように辺りをキョロキョロしている。
「なんだ敵襲か、いやそれよりもお前、俺のことを糞野郎って言わなかったか!?」
「言ったかもしれませんし言ってないかもしれません。それよりも何故こんな所で寝たんです? また酔った勢いでしょうか?」
「ああ、まあ、そんなとこだ」丸刈りの頭を掻いて言う。「なんか臭くないか?」
「馬糞を布団代わりにすれば、臭くもなりますよ」
「あちゃ~」隊長は自分の格好を見た。
「すぐに水を浴びて着替えてきてください。あと半刻で定例の会議ですから」
「ああ、そうだったか」
隊長と俺は馬小屋を出る。馬小屋は兵舎から少し離れた場所にある。兵舎の外周では副隊長に率いられ、新たに派遣された防人たちが走っていた。
副隊長は新兵たちと比べて頭一つ分は身長が高い。その副隊長の後ろを息も絶え絶えに新兵たちが追い駆けている。その光景が親鳥を追ってふらふら歩くひな鳥を連想させて、なにやら微笑ましい。
じっと様子を見ていると、こちらに気付いた副隊長と目が合った。副隊長が急に立ち止り、新兵たちに向き直る。新兵たちは勢い余って空足を踏みながら、副隊長の前に押し止まった。
「よし、今日はここまで! 兵舎に戻って、各自、装備の点検をしておけ!」副隊長の号令が響く。
「はい!」新兵たちは頭を下げて叫んだ。
ぞろぞろと新兵たちが引き上げていく中、副隊長がこちらに歩み寄って来た。先程まで走り込んでいたはずだが、息は全く上がっていない。着込んだ鎖帷子は熱いはずだが汗もあまりかいていない。撫でつけて綺麗に整えられた髪と、爽やかな笑顔には、清潔感すらある。
俺の隣でゲーゲーと吐いている隊長にも見習わせてやりたい。
「うむ、流石はモリヒトだ。俺よりも先に隊長を見つけ出すとは」俺の前に立った副隊長が言う。
副隊長の背は高く、少し見上げなければ顔が見えない。
「そもそも副隊長は探していなかったでしょう。頼みますよ、隊長のお守りなんて俺は御免ですからね」
副隊長は大きく笑ってから
「俺も御免だ」と真剣な顔で言った。
「ところでどうだ、一戦やらないか。朝の良い運動になるぞ」副隊長は腰の剣に手を掛けた。
「それなら俺が審判をやろう」地面に頽れていた隊長がよろよろと立ち上がった。
「大丈夫ですか、デイリ隊長。……至るところにこびりついている茶色いそれはなんです?」
「隊長のトレンドファッションですよ。馬と仲良くなれるそうです」
「う、そうか。あまり触れない方が良さそうだな」
「賢明です」
「お前らうるせーよ。とっとと始めろ」
俺と副隊長は苦笑しつつ、一定の距離を空けて相対する。その間に隊長が立ち、右手を天に掲げた。
「おふん」咳払いを一つ。
副隊長は身構えて、いつでも剣を抜ける。対する俺は体を弛緩させて、剣を避けることに徹する。駆け引きは既に始まっていた。
「尋常に、始めぃ!」隊長が掛け声とともに、右手の手刀を振り下ろした。
言うが早いか、副隊長が一気に間合いを詰めていた。
――――間合い。
視界の端に振り上げられる剣があった。俺が膝を屈めると、頭上を剣が掠めた。よくもまあ、自分の脚程もある剣を軽々と振り回せたもんだ。俺は身を起こし様にショートソードを抜き放ち副隊長の首目掛けて振り上げた。
「そこまで!」隊長の声に、振り上げられた剣は静止した。
俺のショートソードは副隊長の首に当てられ、副隊長の逆手に持たれたダガーが俺の脇腹に当てられていた。
「引き分けだ」その隊長の声を合図に、俺と副隊長は剣を納めた。
「勝てないなあ」副隊長が零すように言った。表情にも悔しさが滲み出ている。
「負けてもいません」それに加えて、俺は副隊長に一度も勝ったことがない。
「でもな、昔はちょいちょい勝ってたぜ。それがここ最近じゃ引き分けばっかだ。俺も強くなってると思うんだがなあ」
副隊長は髪を撫でつけながら肩を落とす。
「ガッハッハ、まあいいじゃないか。どちらも強いぞ!」隊長はそう言って俺と副隊長の肩を叩いた。
「ゲ、ちょ、肩に茶色いアクセサリーがつきましたよ!?」
「なにしてくれてんですか!」
「ん~? 俺のトレンドファッションだよ。馬と仲良くなれるぞ」
「根にもってやがる!」
「仕方がない、俺たちも着替えにいくぞ」
「急ぎましょう。会議に間に合わなくなります」
兵舎に戻ると、新兵たちが群がってきて、
「モリヒトさん、かっこよかったです!」
「今度、稽古つけてください!」
「さっきは引き分けみたいでしたけど、普段はどっちが勝ってるんですか!?」
「自分らもああいう訓練やりたいです!」
とまあ、さっきの戦いを兵舎から覗いていたようで、感心されていた。




