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木が風に揺られている微かな音が龍介の耳に聞こえてきた。
その音に気がついてゆっくりとまぶたを開ける。
すると彼の目の前に広がった景色は真っ白な病室では無く、死神と話をした真っ黒な空間でも無かった。多くの緑のある見通しの良い外の世界だった。
状況を把握する。龍介の後頭部にゴリッとした感触があって、自分が木に寄り添っていたと彼は理解した。身を起こすと無理な体制で寝ていたせいか首が少々痛かったのか、肩を上下に動かしてコリをほぐした。
そこで自分の頭にあったしこりの様な物が消えたことに気がついた。気だるくもない普通の状態だ。
腰辺りに妙な重みを感じると見てみると金属状の棒の様な物に黒いカバーがかかっている物が刺さっている。それは剣だった。
それをベルトからぶら下げていたので抜き取ってじっくりと観察を始める。
何の装飾もされていない黒色の鞘で、剣の形に添った形をしている。グリップ部分には白い布が巻かれていて持ちやすいように工夫されている。しかし布は白というよりは少し黄ばんでいて相当年季が入った物だとうかがえた。怪我をしないように慎重に鞘から剣を出す。
中から現れた刃こぼれ一つも無い新品の物、光の反射具合や重さから偽物ではないだろうと彼は思った。そこで刃に顔が湾曲して映って、自分がどのような顔立ちをしているのかが確認できた。いや、正確に言うのであれば“この人物”がどんな顔をしていたかとわかった。
それは先程、死神と話していたときに二人の間に現れた金髪に赤い瞳のファンタジックな格好をした青年の姿だ。
「マジだったのか」
生き返るという単語を聞いて半分くらい勢いまかせで提案に乗ったはいいが、よくよく考えると自分が物凄い体験をしていることをここに来てやっと気がついた。
とりあえずもっと状況を読み込むために自分の持ち物確認と、周りの事態を把握しようと思い、すぐに行動に移す。
腰の後ろ辺りを手探っていると膨らんだポーチと思われるものがあったので、取り外して中身を確認する。一つずつ出すのも面倒くさいので逆さにして振って出した。
中から出てきたのは少しばかりの金貨、何かの干し肉、半分サイズのパン、飲みかけの水が入ったガラス製の瓶にコルクで蓋をしている物、そして茶色く風化した紙が赤色の紐で軽く縛られて丸まっているものと、計5個だった。
あまりの少なさになんとも言えない気分になったが、気になったのは丸まった紙。手に持って紐をほどこうとした。
「アレ、開かないぞ?」
蝶結びになっていた紐は引っ張ればほどけるはずだが、ビクともしなかった。紙の古さから大事な物だと思ったので無理に開けようとしないで保留して置いた。
次に金貨の数、多分これがこの世界での通貨だと察しがついた。一つ拾い上げるとよく見てみる。形はこの世界の精錬技術が劣っているせいか少々歪みがあり、裏表にどちらも同じ模様が入っていた。
彼はその模様がこちらの世界で言う“G”に当たる文字なのだと、何故だかわかった。もしかして死神が進みやすくするために知らずの間に自分の身体になにかしたのだろうかと思った彼は「おーい死神」と呼んでみたが何も反応はなかった。とにかく今は気にせずかき集める。全てを集め終わると合計が100G程度だった。
この世界に置いてお金がどのくらいの価値を果たすのかはわからないが、日本感覚でいうならば心持たない金額だった。
それ以外に目ぼしい物は特になかったので彼は全てポーチの中に戻した。ちなみにポーチはこれといって異空間につながっているという様子ではなかった。本当に普通のポーチだった。
ポーチと剣を再び腰に着けて立ちあがる。周りの景色は目の前にだだっ広い芝生に細く土がむき出しになって雑だが整備された道、後ろには一本の大きな木。
人がいる気配がない。穏やかな気候と青空のせいでほのぼのとした景色だった。
大きく深呼吸。凄く澄みわたっている。日本の森林公園に行ったときより空気が綺麗かもしれない。言葉にしにくいが、空気や自然の感じまでが異世界と感じた。
道があるということはこの道に沿って進めばどっかの村までたどり着けるだろうと考えた彼は歩き出そうとするが、剣を試しに振ってみようと鞘から抜いた。剣が装備しているということの裏を返せば危険性もあるってことだろう。
剣を両手で握りしめて一振り振ってみる。持てないほど重たいわけではないが、いざ振るとなると話は違う。なかなか器用に振れず苦戦した。
少々疲れたので剣を再び鞘に収める。手が痛い。たくさん降ればいずれマメができそうだと思いながら彼は手の平を見た。
「わっ、なんだこの傷?」
左手に大きなひし形の傷跡があった。触ってみるが全然痛くもかゆくもなかった。この青年が昔つけた古傷だろう。
そこで龍介は死神との会話を思い出した。この身体には膨大な魔力が備わっていると言っていた。もしかして、この左手から魔法が出せるのでは? 彼は手を前に出し、二の腕を右手でがっしりと掴んで支えにした。
構えを取ったのはいいが、出し方がわからない。とりあえず何か叫んでみることにした。
「なにか出ろ!」
絶対これではないと思うが言うだけ言ってみた。彼も解っていた結果だが何も反応は起きない。それ以外の言葉が思いつかないので、何回か念じながら試行錯誤してみた。
「なにか出ろ! なにか出ろ! なにかで――」
魔法を出そうと頑張っていると、近くの草むらからガサガサと音を立てながら、うす水色の液体状の何かが飛び出してきた。
「なにか出たああああああ!?」
音を察知した龍介はその方向を見て驚いてしまってつい叫んだ。しかし相手は襲い掛かってくる気配はなくて、ただうねりながらその場をノロノロと移動をしていただけだった。
冷静に観察するとそれがRPGなどで最初の方で出てくるおなじみのモンスターの一つスライムだっていうことがわかった。モンスターだけれども、正体がわかれば怖くはない。龍介は興味本位でスライムに近づいた。
「おっほ、これスライムか。やべぇ!」
スライムは龍介が近づいても何も反応を見せない。
たぶん攻撃してこないと踏んだ彼は手を伸ばして触った。掴んでみると指の間から溢れて形を変えるが崩れることはない。昔遊んだことのある黄緑色のバケツに入ったスライムよりは少し硬くなって弾力性が上がったような感触だ。
あまりにもその感触が楽しくてしばらく揉んでしまう。そこで彼の脳裏で閃いたことは、もしかして女性の豊満なバストとはこんなものなのか? という考えに至った。しかし彼に恋愛経験、女性経験ともに皆無なので本当の感触などわからなかったのだ。
冷静になった彼は、自分は何をやっているのかと自己嫌悪に陥った。それでもスライムを揉むのをやめない。
スライムに思考があるのかは知らないが、しびれを切らしたように龍介の顔めがけて体の一部を団子状にして勢いよく切り離した。それが見事に顔に当たった。
「うわぶっ!」
全然痛くはないのだが、急のことだったので慌てた龍介は距離をとった。顔にへばりついたスライムの一部を右手で剥すと、軽く腹が立った彼は左手を突き出した。
「なにするんだ、コノヤロウ!」
左手のひし形の傷口が少し痒くなると、赤い炎が出現して球を描くように集まっていくとスライムに向かって発射された。スライムに届くと、全身を火が焼き包んでいく。火が消え終わると水蒸気と微量の異臭を立てながらスライムは消滅した。
火が飛び出た左手を見返して魔法を放てたことに感動を覚えた彼は歓喜の声を上げた。
「おおおお! 魔法がつかえた!」
耳を澄ましてゲームのようにレベルアップのファンファーレがきこえないか確かめる。しかし何もきこえない。流石にそこまでゲームと同じとはいかないだろう。
彼は数分のあいだ耳を立てていたが、諦めた。
「まぁ、そこまでゲームと一緒な訳がないか。よし進もう」
龍介はモンスターが出たら、魔法の使い方に慣れるために試しながら進もうと思いながらポーチにスライムの一部を押し込めて、細い土の道を歩いていった。
=〇〇〇〇=
旅商人の前方に大きく膨れあがったスライム数匹が道を塞いでいた。困り果てた商人がどうしようと迷っていたそのとき、はるかに後ろの方から土煙をあげてこっちに向かってくる一つの人影があった。
その人影は草むらから出てきた複数の小さなスライムを左手に出現させた火の球を発射しながら次々と倒していく。
その走る勢いを殺さないまま旅商人の商売道具が積んでいる荷車を軽く飛び越えて目の前の大きなスライムを焼いた。そのまま旅商人の目の前に着地してくるりと回って左手を向ける。いやな予感した彼は両手をあげて降服のポーズを取りながら相手に弁明をした。
「わぁ! まてまて、俺はモンスターじゃねぇ!」
そこでやっと人影の人物がどんなものかとしっかりと見られた。
金髪で目の色が赤色の整った顔立ち、服装は胸に革の防具、背中には茶色のマントに腰には鞘に収められた剣。どこからどう見てもどこにでもいる冒険者だと判断した。
そう、この青年こそがさきほど転生したばかりの龍介その本人だ。
なぜ彼が旅商人に向かって魔法を放とうとしたのかというと、相手の姿に問題があったからなのだ。
人の形と似ているが、本来なら折曲がらない方向へ曲がっている脚があって、それはさながら爬虫類のようなもの。そこにびっしりと緑色の鱗が生えている。腰辺りには紺色の布を巻いて大事な部分を隠している。裸の上半身にも同じ色の鱗が生えていて、顔はトカゲのようなものに両側に白い丸まった角が生えていた。
龍介はてっきり敵対するのかと思っていたら、まさか喋るとは思わなかったので少し驚いた表情をした。後頭部を掻きながら相手に謝る。
「わぁ、ごめんなさい。てっきりモンスターかと思いました」
その言葉を聞いて旅商人は少しムッとしたが、偶然だが困っているところを助けてもらったので優しく接そうとした。
「あぁ、構わんよ。俺もこんなツラしているからよ。よく間違えられるんだ」
「なるほど。あ、そうだ」
旅商人が怪訝そうに見ていると龍介はポーチの中から丸まった古い紙を取り出した。それを見せつけてこれがなんなのかと聞いてみる。
「これ、何だかわかります?」
旅商人は顔を近づけて観察を始めた。紙を手元でくるくると回しながらくまなく観察する。紐を引っ張ってみてもビクともしないことから彼は確信を持って結果を伝えた。
「ずいぶんと古い紙だな。それと微かにだが魔法がかかっているようだな」
「そんなことが解るのですか?」
旅商人は紙の見るのを止めて龍介の顔を見て、自分の目を指で示しながら話した。
「知らないのか? 俺たち爬虫族は特殊な目をしていて魔力の流れがかすかに見えるんだよ」
「へぇ、すごいですね!」
「母ちゃんか父ちゃんに習わなかったのか?」
「アハハ、こちらに来てから日が浅いもので……」
「なんかよく解らねぇ奴だなお前」
旅商人は腰をあげて背を逸らして身体を解して再び向き直った。
「とにかくお前には助けられたからな、お礼に近くの村まで乗せてやるよ」
「おぉ、本当ですか!」
「お前も旅しているのだろ? すれ違った奴でも優しくする。これ、俺の流儀な」
「なんかカッコイイ!」
「ハハッ、そういや名前聞いてねぇな、何ていうんだよ?」
龍介はこの世界でなんと名乗ろうか迷う。そもそもこの元の肉体の持ち主を死神から聞いていないので、仕方なく自分の本名を若干ネイティブな発音でごまかしながら親指を突き立てて言った。
「りゅ、リュウスケ!」
「変わった名前しているな、俺は爬虫族トカゲ類のバジル。よろしくリュウスケ」
「うん、よろしく!」
二人は握手を交わす。リュウスケはバジルの手は、びっしりと鱗が生えていて不思議な感触がして面白いと思った。体温はあまり温かく感じられなかったが全然嫌ではなかった。
バジルが荷車の上に乗れとジェスチャーをしたので従って乗った。
荷車の上には沢山の木箱が右端に寄せられている。その反対側にはなにも置いていなかったので一番前までいって、そこに座った。
リュウスケが座るのを確認すると、荷車がゆっくりと動き出した。
バジルが前を向きながら後ろにいるリュウスケに話しかける。
「お前、どこ出身だ?」
またも困ったことになった。ここの地図などを持ちあわせていないので国や地方の名前もわからなかった。これもごまかしながら話を進めていく。
「ニホンって場所だよ」
「ふーん、聞いたことない名前だな。俺もずいぶんと世界のあちこちを歩いたものだがまだまだ世界は広いなぁ。で、どこら辺に存在するのだ。そのニホンって国は?」
「小さな島国だからね、探すのは大変かも」
「そうか、お前も長旅ってわけね。最終的な目的は?」
リュウスケはそこで死神との会話を降りかえる。最後の一言に『アルカナの地』という単語を言っていたことを思いだす。
「アルカナの地に行く」
「ハァッ!?」
バジルは思わず荷車を押していた手を止める。急停止した衝撃に座っていたリュウスケは少しよろけた。
何故バジルがそこまで驚いているのかというと、相手から放たれた言葉がそれを実現させるのはほとんど不可能なことだからだ。しかしリュウスケはこの異世界に来てから1時間くらいも経っていない。そんな事情など知らない彼はバジルの驚きぶりに疑問を抱く。
バジルは後ろを振り返って向き合うようにして大声で言った。
「リュウスケ、自分がなに言っているのかわかっているのか?」
「え、なんで? どうして驚いているの?」
「だってそりゃあ、“幻の大陸”と呼ばれたアルカナの地に行くと言ったら誰だってそうなるだろ?」
「幻の大陸?」
「……え、何も知らないで言っているのか?」
「まぁ、そうだね」
バジルは唖然とした。その様子を見てリュウスケも次第に自分が行く場所が辿り着くのにどれだけ困難なものなのかと察しがついた。
「まさか、アルカナの地って誰にも発見されたことないの?」
「ああ、見つけたら一生遊べる金が貰えるだろうな」
「わぁ……」
あの死神、とんでもないことを俺に頼んだなとリュウスケは思った。しかし見つけられていなくても彼は行くしかない。それが生き返る条件なのだから。
バジルは長いあいだ呆気に取られていたが、なんだかおかしくなってきて腹を抱えて笑った。彼は今のご時世に珍しい冒険者だと思った。何故なら大抵の冒険者などハーレム作るとか大金が欲しいなどの欲望しかなくて、純粋に冒険を楽しむものが少なくなったからだ。
しかしバジルの思惑とは別にリュウスケにはどうしても『アルカナの地』に行かなくてはならなかったのだ。
「ハハハ! 本当に変な奴だなぁ! 気に入った。その調子じゃあ世間のことなんていろいろ知らないだろ? 次に行く村の先にある街まで連れてやるよ」
「おお、マジか!」
リュウスケは身を乗り出してバジルに近寄る。バジルは親指を立てて、鋭い歯を見せながらニヤリとした。
それを見て嬉しくなったリュウスケは再びバジルと握手を交わす。再び荷車が動き出すと、彼は相手に今考えついた分だけ質問を次々とぶつけていく。
「そのアルカナの地ってどんな所なの?」
「伝説によると、沢山の木々が生えていて緑いっぱいの大地。そこに住めば永遠の食糧と平和が訪れるとかなんとか言っていたな。要するに現実にある天国だと思えばいいんじゃねぇの?」
「へぇ、そこに綺麗な花とかあるのかな?」
「さぁな。でも咲いていると思うぜ」
「きっと綺麗なんだろうなぁ」
「あ、綺麗ついでに言えば確かそこに住んでいる女って美人しかいないって噂があるな」
「美人……だと?」
美人という単語を聞いてリュウスケは身を乗り出す。思春期真っ盛りな彼にとって異性への関心が一番高まっている時期だ。敏感に反応してしまうのは当然のことだった。彼は脳裏に自分が思い浮かぶ理想の女性を思い浮かべながら締まりのない顔をした。
妄想に浸っているとまた荷車が止まる。なにごとかと見かねた彼はバジルに聞く。
「今度はどうしたの?」
「ちょいと待っていてくれ」
バジルは荷車の取っ手を下から潜り抜けて道端に落ちている物を拾う。それは真っ黒で金属の様な光を放っている異様な球体だった。それを持って荷車に戻ってくる。
バジルは球体をリュウスケに渡した。感触は堅くヒンヤリとしる。くるくるさまざまなアングルから見ても外側に特徴的な物は着いていなかった。球体に耳を近づけると中からチキチキと複数の歯車の様な音とそれ以外に電子音のピコピコと聞こえる音がかすかに聞こえた。
疑問だらけのリュウスケはバジルにそれの球体は何かと尋ねてみた。バジルは顎をさすりながら答える。
「最近現れて世界中のあちらこちらで発見されている物でよ、なんだかよく解らねぇんだ。そこでお偉いさん方が必死になって研究中。そのボールをギルドとかに渡すとこれがいい大金になるんだよ。へへっ、こいつぁラッキーだ」
リュウスケは適当に相槌を返しながら球体に目を落とす。彼はこの物体が異様なものに思えてならなかった。多分この世界のテクノロジーというのはそれほど発展していないはず。だがこの球体の中から聞こえる音はそれをはるかに超える技術を持っている。例えるならファンタジーの世界にポッと湧き出たSFに出てくる機械があるような感じ。しかしそれを相手に伝えようとしてもどう言葉にしていいかわからず、ここの人たちの資金源になるなら放っておいてもいいだろう。そう見なした彼は何も言わないでおいた。
その後にこれといった出来事もないまま、ゆっくりと晴天の下で若干いびつな土道を進んでいったのだった。