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激しく燃えあがる蒼炎の中、一人の男が立ち上がった。男の姿は裸で、身体中にうっすらと蒼く光る紋章が描かれている。
男は炎の中だというに焦る様子や苦しそうな表情は見せない。
目からこぼれる涙も周りの熱気ですぐに蒸発していく。
その男が居る場所は山の奥にある洞窟の深海部。そこからは地上からの光が入ってくる開けた場所だった。
彼は天を見上げる。空はすっかり暗くなり、月の光がよりいっそう際立っている。
口から放たれた大きな声は龍の咆哮ようだった。そしてその咆哮は夜空に虚しく消えていく。
彼は絶対な力を持った。もう迷いはしない。どんな障害があろうとも前に進むのみ。目指すは誰も見たことが無い『アルカナの地』。
=〇〇〇〇=
「落ち着いて聞いてください、あなたの余命は……後一ヶ月です」
とある大型病院の診察室。初老の医者からそう宣告された青年の名は天野龍介、高校二年生だった。彼の後ろにいた母が泣き崩れる。それを医者の後ろにいた看護婦が近づいて介抱する。
医者が先程レントゲンで撮ったものを数枚張っていく。淡々と張っている彼だって残忍な人間では無い。医者としての使命をちゃんと果たしているのだ。
一枚の写真を指で囲みながら病気の場所を示す。その写真には脳の断面図に大きな白いかたまりが写っていた。
「脳腫瘍なのですが、かなり進行していて――」
龍介の耳には医者の言葉など入ってなどいなかった。
そもそも何故こうなったのか? 今日、学校で強い頭痛と吐き気が襲ってきて、すぐにここまできて診察してもらった。ただの流行り風邪か何かだろうと軽い気持ちで診てもらったがゆえに返ってきた衝撃はでかい。
彼の脳内では無数の思いがグルグルとしていた。
混乱した頭で龍介はゆらりと席を立つ。深いお辞儀をして、医者がまだ説明しているのも構わずこの場を後にしようとした。
「ありがとうございました」
その場にいた全員は止めようとしたがなんと声をかけたらいいのか解らず、ただ見守るしかなかった。
スライド式の扉を開けて廊下を歩こうとした彼は歩こうとしたが周りの全ての物が嘘っぽく見えて、空間の感覚が解らなくなり、よろけて転んだ。
その拍子に制服ブレザーの胸ポケットから落ちた自分の使い慣れた三色ボールペンをじっと見つめてそこでやっと自分が死ぬということに気が付いた。
龍介は大声を上げて泣いた。
「ワアアアー!!!」
=〇〇〇〇=
彼がはっきりと意識が戻ったのはそれから3日後くらい経った頃だった。しかし決して意識がなくなったわけではない。ただボーっとしていただけ。
辺りを見回す。真っ白なシーツにベッド、旧型のテレビ、花瓶に刺さっている黄色の花。
どうやら今居る場所は病院のベッドらしい。
まさか高校卒業をする前に人生卒業をすることになるとは……これが、想像力が足りないということなのか? 彼は思わずフッと笑ってしまう。しかしクヨクヨしたって死は近づいてくる。せめて残りわずかの時間を明るく生きようと思った。
彼は元気で明るいどこにでもいる高校生だった。友達とバカ騒ぎして、ちょっとエッチな事に興味があって、でも女の子を前にすると恥ずかしくなる。純粋でまっすぐな青年で、友人も多く、クラスでもそれなりに人気もある。本当にどこにでもいる普通の高校生だった。
龍介はこれから何をするべきかを冷静に見極めていく。一分一秒でも今の彼にとってはかけがえのないものだからしっかりと考える。
そんな時ふと病室の窓から見える景色を眺めた。今日は随分といい天気だ。雲一つも無い真っ青な空、遠くの方にある生い茂った緑。車はあまり走っていないのでとても静か。こんなに綺麗な世界からおさらばするのはやはり寂しい。
ああ、俺にはまだやりたいことが沢山あったのに……。
外から入ってきたそよ風が、窓の両端に追いやられていた白いカーテンをバサッとなびかせる。
ふわりとカーテンが一瞬広がってからまた閉じると、そこには龍介と同い年くらいの灰色のスーツを着た青年が立っていた。
「えっ?」
こいつ何処から入ってきたのだ? と疑問に思ったが、あの青年が何者なのかが龍介はなんとなく解った。ただイメージとあまりにもかけ離れているから意表を突かれた。
青年は生気の無い無機質な笑みを浮かべたまま龍介の顔まで手を伸ばして、そのまま龍介の顔を力強く掴むと、ぐいっと引っ張る。龍介は今まで全く味わったことの無い浮遊感を感じた後に自分の目の前が言葉通りに先が真っ暗になってしまった。
=〇〇〇〇=
龍介の意識がはっきりすると、自分の周りに何もなくて真っ暗な空間がずっと奥まで続いている事が解った。彼はそこにあぐらをかいて座っていた。
俺はどうやら死んだみたいだ、と悟る。つまり先程の灰色スーツの青年は死神だということだ。そうすれば合点が良く。今時の死神はああいう感じなのかと彼は思った。
遠くの方から革靴のコツコツと地面を叩く音が聞こえる。その音がこちらに近づいていると感じると龍介はその音のなる方へ身体を向けた。
歩いていた人物は死神と思われる青年。やはり生気の無い顔だった。
龍介の目の前で青年が止まるとネクタイを整えてこう言った。
「あなたには今から異世界に行って、ある場所を目指してほしい」
死神の棒読みの様な声から思いもよらない提案が飛んできた。
あまりにも理解が追いつかない龍介は質問をぶつける。
「なぁ、あんた死神か?」
「ええ、まぁそんなところです」
死神から素っ気ない答えが返ってきて肩透かしをくらった。しかし妙に答えをぼかしたことに疑問を抱いたが、それ以上に聞きたいことが山ほどあってそれどころでは無かった。
「俺は死んだのか? 異世界ってどこ? 何が目的なんだよ?」
いっきに質問をしたが死神は両手を振って口を開いてアハアハと笑う。
「落ち着いてくださいよぉ、順を追って説明しますから。最初に言いますね、あなたはまだ死んでいません。仮死状態です」
「仮死状態?」
「ええ、つまりまだ生き返ることが出来ます」
「本当か!?」
龍介は立ち上がって死神の肩をしっかりと掴む。しかし相手はこれといって驚いた表情も見せずにただ笑顔で言葉を返す。
「だから落ち着いてくださいよ。今生き返っても病気はあるままだから余命は変わりません。そんな短い人生よりも長い人生を送りたいでしょう?」
「ああ……ん、待てよ?」
龍介は死神の肩に置いていた手を戻していったん離れる。そして考える素振りを見せてから人差し指を立てて物を申す。
「お前が俺のこと殺したんじゃないのか?」
「アハハ! そんな人聞きの悪いことを」
「なに笑っているんだよ! お前のせいで俺は女の子とエッチすらしないまま死んでしまったのだぞ!?」
死神は内心、死の瀬戸際だというのになんとくだらないことをいっているのだろうと思ったが自分が求めていた人材はこういう人間だと考えながら、表情を変えずに言葉を返した。
「ずいぶんと動物的な人ですねぇ。でもそんな女の子とエッチが出来るようにもまずは健康的な体にしないと。私は人間の命を刈り取るお仕事をしていますが今回は違います。あなたと取引をしたいのです」
「取引だぁ?」
死神は指をパチンと鳴らすと、二人の間に一人の男性が地面に仰向けに寝た状態で現れた。
金髪の髪に赤い瞳で、顔立ちは整っている。格好は胸あたりに革の鎧と、腰には剣が入っていると思われる鞘、背中には茶色のマントというファンタジックな姿をしていた。しかし彼は微塵も動く気配はない。
奇妙だと思った龍介は外国人風の青年の頬を少し触ると、体温が無く冷たくなっていることからもう死んでいることが解った。驚いた彼は慌てて手を引っ込めた。
死神はしゃがんで龍介と目を合わせて取引の続きを話した。
「最初に申した通りに、あなたには異世界のある場所まで行ってほしいのです。そしてあなたがその場所までたどり着けたら、あなたを生き返らせたうえで病気も完全に消して寿命を延ばしてあげようと思うのです」
「……マジで?」
死神の言葉を聞いた龍介は失いかけた希望が再び見えてきて、目の前が遠い先の道までパアット明るい光が照らしてくれるかのような感覚がした。
生き返るなど現実なら絶対にありえない。もしあるとしたら奇跡の出来事で、仮に起きたとしたらノンフィクション系の本か映画になって大ヒット間違いないだろう。
本来なら鼻で笑って冗談話と受け止める。しかし目の前にいるのは“死神”だ。
死神はそんな龍介の半信半疑な心を揺さぶるべく。更に笑顔になろうと頑張ったが相手にとっては彼の表情は何の変化は見られなかった。だが死神は堂々と言った。
「マジです。私だって腐っても神様、その様なことお茶の子さいさいですよ」
「でも、なんでそんなことをするのだ? 目的はなんだよ?」
死神は顎に手をやって右上辺りに目を動かして考える素振りを見せた。龍介は何故目的があると言ってすぐに答えを出さないのかが疑問に思ったが、生き返る可能性が出来たという希望で頭がいっぱいになってしまって、そんなことは頭の隅に追いやられてしまった。
少ししてから死神は龍介に向かって人差し指を突き立てて言った。
「そうですねぇ、とにかくそこの場所にしか咲いていない美しい花があるそうなのですよ。私そういうのが大好きで、しかし実体がないうえ、忙しい身なので探したくても探せないのです」
「はぁ……」
目的が平凡すぎて何も言えなくなるが自分の命が助かるのならばやってみてもいいだろう、いや、やるべきだ。そう思った龍介はすぐに答えを出した。
「わかった。やってやるよ」
「本当ですか、ありがとうございます。じゃあ少しばかりそこの世界について説明しますのでそこに寝転がっている青年を見ながらお聞きください」
死神に言われた通りにファンタジックな格好をした青年を見ながら説明を聞く。
話によると今から行く世界の名はサファイエントと言ってこちらでいうファンタジーゲームのような剣と魔法の国。そこのどこかにある『アルカナの地』を目指す。
そしてこの少年の体内には膨大な魔力が備わっている。しかし彼はもう死んでいて、死因は毒による死。世界に絶望して自殺したようだ。そんな彼の身体を借りて『アルカナの地』を目指し、そこに咲いている花をつめば生き返れる。
死神曰くゲーム感覚で旅していれば大丈夫だという。
龍介もそれなりにゲームで遊んでいたし嫌いではなかった。むしろ好きな部類に入っていた娯楽の一つだった。彼はそんな話を聞いて自然とワクワクしていた。
「へぇ、なんか面白そうだな。とにかく『アルカナの地』って場所まで行けばいいんだろ? よし、さっそくやろうぜ!」
「アハハ、あなたの様な気さくな人間を選んで正解ですね。わかりました、では目をつぶってください。あ、あちらに行っているあいだは現実の身体はちゃんと保護しておきますからご安心を」
死神が相手の目が完全に閉じられたことを確認すると腕を伸ばして念じるかのように全身に力を込めた。
龍介は目をつぶってしばらくすると現実世界からここまで来たときと同じ浮遊感を味わった後、空間を引き裂くような大きな音を聞きながら下へと落下する感覚が彼を襲う。
長い間落ちた後、彼の目の前はまばゆい光に包まれて前が見えなくなった。