第2話 もさこいっ
「ふぅ。まさか海を越えるレベルでの瞬間移動が起こるとは、異世界あなどるまじ」
『いやいやいや、普通はそんな事象起こり得ないから!
それはもう様々な偶然に偶然が重なった奇跡的な現象だったからね!?』
聖ニョダイ湖から、とある人里近くにある小さな森の湖に転移した苺花。
さすがにずぶ濡れ姿で人前に出る事は憚られたので、ある程度乾くまでと湖の傍の大きな木の根元に座り込んでいる。
「ところで、女神様。
どうしてあなたはご自分で逆ハーレムを作ろうとお思いにならないのでしょう?
その美貌ならば、よりどりみどりでは?」
『んんー、例えばよ?
ホラー映画を鑑賞するのが趣味の人間がいたとして、その映画の世界に入りたいと願っていると思う?』
「はぁ、さいですかさいですか」
『あからさまな生返事!
興味が無いなら聞かないでちょうだいっ』
ちなみに、苺花はわざわざ女神相手に声を出さずとも心でそうしようと意識するだけで会話をすることができる。
それでも敢えて彼女が口を開くのは、未知なる世界への不安を紛らわすためでもあったし、また、半分引きこもりのような生活を送っていたせいで鈍った会話能力を鍛えるためでもあった。
女神も彼女のサポートをすると宣言した手前、自らに語りかけられる言葉に無視で返すことはまず無い。
何より、苺花には素晴らしい逆ハーレムを築いて貰わなければならないのだ。
己が楽しむための労力は惜しまない、女神フェロモニーはそんなタイプだった。
『それより、ねぇ?
アナタ、どんな逆ハーレムを作るのか展望はあるの?』
気を変えてフェロモニーが尋ねた途端、苺花は興奮したように立ち上がり拳を天に突き上げる。
「あたりきしゃりきのコンチキチ・マチカーナン!」
『誰!?』
「数としては多くても4人から5人くらいがギリギリかなと思ってます。
全員とアレをアレするとして、手と口と胸と前とバッ……」
『なんの予定の話よぉーーー!?』
女神のツッコミに遮られようと、苺花は全く意に介さない。
ともすれば、都合の良い言葉しか耳に入ってこない仕様になっているのでは無いかと疑うレベルである。
「それは置いておいて。
まず狙うは、肉体的な意味で私を守ってくれる戦士系男性!」
『……へぇ。
まぁ、貴方の住んでいた地球とは比べ物にならないくらい危険な生物も蔓延っているし。
最初の選択肢としては悪くないんじゃない?』
少しばかり感心したような口調でフェロモニーが反応すると、気を良くした苺花が調子に乗って細かな条件を述べ出した。
「贅沢を言わせて貰えば、30代後半から40代前半の身長は170以上185以下で体重は100前後、顔に小さくない傷痕がある歴戦の猛者!」
『えっ』
「抜け毛と白髪が気になりだしている敏感なお年頃で、実は甘党だけど人前で食べるのは恥ずかしいというシャイさを持ち合わせており、普段の言動は少々乱暴者っぽいが何だかんだで最終的な性格はお人好し。若い子の眩しいまでの元気さにちょっぴり嫉妬を覚えちゃう今日この頃。
そんなオッサンがベぇぇストゥ!」
『ベぇぇストゥ! っじゃないわぁーッ!
何で初手からオッサンなのよ!?
逆ハーレムって言ったら、構成員はみんな若くて有能な美形って相場は決まってるでしょうが!』
ちゃぶ台を返す勢いの女神の怒りに苺花はやれやれとでも言いたげな顔をして、これ見よがしに首を振りながら肩をすくめる。
鬱陶しいオーラをまき散らしながらのその行為は、誰しも果てしない苛立ちを覚えるだろう。
「ふぅぅ……甘い、甘いなぁぁ女神様ーぁ。
確かに、若造には若造の魅力があるのかもしれん。
全国の夢見る乙女たちにとっちゃあイケメンハーレムこそ至高だろう。
だが……私に限って、それは在り得ない! 在り得ないのだよ!」
『なんでよぉ』
「ハッ! なんでもなにもナイジェリア!
たかだか3次元のイケメンなんぞ、魅力溢るる2次元キャラに比べればツバ吐いて鼻クソほじって放屁をぶちかますレベルでしかない!
そんなメンツで逆ハーレムなんざぁ、天地が引っくり返ったとて御免こうむるね!
むしろ、様々な人生経験を経て何かもう渋みとか芳香とか汁とか色々滲み出しちゃってる大人の男性の方が億倍子宮も疼くってもんじゃろがい!」
背後に「バーン!」と効果音をひっさげながら、大げさに手を振りかざし長々と主張する苺花。
もはやどこからツッコミを入れれば良いのか……。
あまりの言いように、女神は呆れて開いた口がふさがらない。
そのまま黙っていると、苺花はさらにありもしない架空のメガネをクイクイと人差し指で位置調整しつつ、ウザい口調で語り始めた。
「そも、女神様。あなたは、普通の逆ハーレム飽きた。なんか面白いの作れ。
そうおっしゃったはず。
だのに、それを命じた当の本人が使い古された設定に……固定概念に囚われていて、どうして新たな逆ハーを作れるとお思いか?
あなたの望んだこれまでにない逆ハーレムとは、本当にそんな王道に毛の生えた程度の集団であったのか?
見たことも無い斬新な逆ハーレムを。そんな願いで私をこの世界に呼び寄せたのでは無かったのか?」
『それは……』
怒涛の様な苺花の問いかけに言葉を詰まらせる女神フェロモニー。
彼女は微妙に論点をずらされていることに全く気が付いていない。
単純である。実に単純である。
もはや女神というよりダメ神である。
と、そこへ苺花の背後から突如草をかき分けるような音が聞こえ、彼女は咄嗟に会話を中断し傍に落ちていた太めの枝を掴んでその場から離れた。
元いた木から3メートルほど進んだ場所で振り返り、枝を持ち変える。
全く武術の心得など無い素人だが、形だけは漫画やアニメを見つつ何度も真似した正眼の構えを取っていた。
緊張の汗が彼女の白い頬を走る。
が、彼女はそこから現れた生物を前に目を見開き、手に持っていた枝を呆気なく地に落としてしまう。
(う……ぉぉおおーーっ理想猛者ぁぁああ!
うぉぉおーーーーーーーっ!)
表面では半ば呆然と木々の隙間から出でた男を眺めてはいるが、脳内では盛大なファンファーレと共に鼻血をこれでもかとぶっぱなしつつ激しくガッツポーズを決めていた。
一方の男の方も、驚いたような表情で苺花を見下ろし固まっている。
それを良いことに、彼女はあまり視線を動かさないように注意しながら彼を観察した。
おそらく、なにがしかの巨大な生物に下方から爪で抉られたのであろう顔面の左半分に走る4本の傷跡。
鋭い眼光に、骨太かつ筋肉質な肉体。そのスジばった手には鈍器のごとき巨大な槍が握られていた。
年齢・身長、共に充分に彼女の希望を満たしているような外見。
何よりも苺花が素晴らしく感じていたのは、彼の全身から立ち昇る百戦錬磨オーラ。
これぞ、まさに、まさしく、『猛者!』と言った風情である。
苺花の妄想よりも少しばかり迫力が上だが、それもまた彼女の眼には魅力的に映った。
そして、彼の力量を裏付ける情報が女神よりもたらされる。
『へぇ……珍しい。この男、加護付きよ。
戦神であるマッチョフンド神のお気に入りみたいね。
だとすれば、その実力は折紙つきだわ。彼、とにかく強い人が好きだから』
(…………アッー! な神なんですか?)
『それがどんな意味かは知らないけれど、確実に違う自信があるわ。
純粋によ、純粋に強者を好ましく思う脳みそ筋肉神なの』
(あー、なるほど。
男は女以上に強い者に惹かれるってぇ某獅子舞隊長も言ってましたしね)
女神と脳内で会話をしている間に、どうやら男は正気に戻ったらしい。
この場にそぐわぬ美しすぎる容姿を携えた苺花へと、彼は訝しげに声をかけてきた。
「……村……の、娘か?」
そう聞く男自身、彼女の正体がそんな単純なものであるとは微塵も思っていないだろう。
かと言って、精霊や女神と断ずるには目の前の女はいささか人としての存在感が強すぎた。
そして、そんな男の心境など何ひとつ理解せぬまま、苺花は己が脳内の花畑を転がり回る。
(ぼっふぉ、やっべ! ボイスやっべ!
何この万丈さん! 再現率が高すぎる萌える!)
どこまでも理想まっしぐらな猛者に興奮しまくってはいるが、そこは女。
ガッつくオタクは貰いが少ないと妄想を1ミリも表に出さずに、苺花は柔らかく微笑んだ。
「いいえ、私は村の人間ではありません。
私は……」
が、ここで苺花は自身の立場を説明する材料がない事実に気が付き言葉を失った。
よもや「私と恋愛して逆ハーレムの一員になってよ!」だとか、「私は貴方と恋をするため遠い異世界からやって来ました」だとか、そんな電波発言を初対面の人間相手にかますわけにはいかない。
最初で躓いてしまえば、彼を手に入れるための難易度がグッと上がってしまうからだ。
どうしたものかと悩んでいると、再び男が苺花好みの渋い声で話しかけてくる。
「どうした。何か言えない理由でもあるのか」
「いえ、どうしたら貴方とチョメチョメ決められるか悶々と」
「……は?」
(いっけね! ポロっと本音が!)
慌てて自らの口を白魚のような可憐な両手でおさえる苺花。
彼の顔を見上げると、ポカンという効果音がこれほど似合う表情もないだろうという状態で固まっていた。
一般人の彼女には本当のところは分からないが、多分、今の彼は隙だらけなのではないだろうか。
恐る恐る男の元へと近付きつつ、控えめに声をかける。
「あ、あのぅ」
「……ありえない幻聴が聞こえた気がしたんだが」
すると、呆けた表情を変えないまま男が呟くように問うてきた。
ともすれば、風が草と戯れる音色にかき消されるのではというほどの小さな声ではあったが、好み過ぎる彼のそれを聞き逃す苺花ではない。
が、咄嗟に良い言い訳も思い浮かばず、彼女はしどろもどろに口を開く。
「あ、いえ。その……あれは、結論を急ぎ過ぎたというか。
うっかり欲望が前面に……いやいや。
私のハーレムの最初のメンバーにこれほど相応しい逸材が他にいるはずも無……っ違う。
個人的にはここまでの猛者なら征服されるもするもどちらでもオイシ……じゃなくてっ。
あーもぉ、面倒臭ぇーーッ!
第1印象から決めてましたぁーーー!
よろしくお願いしまぁあああああっす!!」
『大暴投にもほどがあるわぁあああああ!!』
あまりにも思考が上手く纏まらず途中でプッツンしてしまった苺花は、ド派手に叫びながら腰を直角に折り曲げて右手を前方の男に向かい真っ直ぐに伸ばした。
これぞ、古来より伝わる由緒正しき交際の申し込み作法であるが、異世界の人間にソレが分かるはずもない。
彼女から突き出された白く柔らかそうな手と絹糸のような亜麻色の髪揺れる後頭部へフラフラ視線を彷徨わせつつ、男は戸惑ったように説明を求める。
「え……あ……つ、つまり、どういうことだ?」
「一目惚れをしてしまったので、決まった相手がいなかったら私の男になって下さい!」
「あぁ、なるほ……はああああああ!?」
この日、幾度となく森から大量の鳥が飛び立った。
そんな森の様子に、傍らに住む村人たちが不吉だ何だと怯えていたのだが、当人たちがそれを知ることはついぞ無かったと言う。