第10話 3人目が空気くらい大目にみろよ
「水平線の終わりにはハハハーン、西大陸があるというのだろう~♪」
『アンタいくつよ』
甲板に設置された椅子に腰かけ、吹き付けてくる塩の香りを運ぶ風に髪を揺らしながら、小声でくそ古い歌を口ずさむ苺花。
日は高く昇り海面の波がその光をキラキラしく反射しているが、彼女の肌は女神の恩恵により一切痛むことなく、むしろその白さを際立たせていた。
「何だ、ご機嫌だなイッカ」
背後からかけられた声に、苺花は笑顔を浮かべ振り返る。
「ヤン、お疲れ様。
んーと、せっかくの海だし満喫しなきゃ損かなと思って。
ね。それより、ピーちゃんの様子はどう?」
ピ・グーの体調を気遣う彼女の表情は少なからず憂いを含んでおり、ここだけ切り取ればまるで人々の儚さを嘆く神の使徒のごとく侵し難い清廉さを纏っているように見えた。
無論、錯覚である。
ヤンは上気しそうになる頬を気力で抑えて美女の隣に立ち、腕を組んで軽く肩を竦めつつ応えた。
「どうもこうも、最悪だな。
頭痛にめまいは当然、胃はカラッポだというのに吐き気が止まらないとかで瀕死の状態だ。
ついさっき、睡眠草を使って無理やり寝かしつけた」
「そっか。……船酔いなんて大変ねぇ」
空に視線を向けながら、苺花は小さくため息を吐く。
(顔が真っ青になってたかと思ったら、急にブッブッだとかフゴッだとか豚みたいに鳴き出すんだもん。
変な寄生虫にでもヤラレたんじゃないかと、本気で狼狽えちゃったわ)
『苺花は彼を人扱いしているのか家畜扱いしているのか、ハッキリすべき』
(あらやだっ、獣人扱いに決まってるじゃないですかぁー。
単に余裕がなくなって母国語が出ただけって事実には驚かされたけど、ちょっとキャラが違って見えて面白かったなー。
今度、最中にそういうプレ……)
『だぁっから!
余計な妄想を垂れ流すなと何度言ったら分かるのよ、このド変態痴女王ぉーーッ!』
(なっ! 違うよ! 私はド変態じゃないよ!
仮にド変態だとしても、ド変態という名のハジケリストだよ!)
今日も今日とて美女2人による女子トークは絶好調のようだ。
傍からはピ・グーの身を案じ物思いに耽っている姿にしか見えないので、あえてそれを邪魔するような人間は存在しなかった。
ふと彼女が周囲に意識を戻せば、気配を消しているわけでもないのに何故か目につきにくいターマノミが苺花を挟んでヤンと他愛ない会話を交わしている。
「されど、睡眠草の使用は些か勿体なかったのではないか。
劇的効果故に、様々な国で厳しく購入制限がかけられていたと記憶している。
我ならば、そのような草如きに頼らずとも……」
「いや、精霊の力を安売りするような真似は止してくれ。
身に過ぎた力など、人を堕落や破滅に導く一途だ」
「む。……殊勝な男よ。
己を律する戦士への不要な誘惑と成りかねぬならば、我も引き下がるより他あるまい」
彼の回答に小さく頷き、以後口を噤むターマノミ。
次の瞬間、ゾワリとヤンの背筋に悪寒が走る。
反射的に寒気のした下方を見やれば、何やらニヤニヤとした笑みを張り付けた苺花が彼の腕に指を這わせつつそっと囁きかけてきた。
「うーん。ヤンってば、相変わらず真・面・目っ。
……そのストイックさにムラムラきちゃう」
「なんでだ!」
『苺花のヤンに対する興奮スイッチの入りやすさは異常』
素早く彼女から距離を取るヤンと、その態度に不満かつ残念そうに唇を突き出す苺花。
まぁ、いつもの光景だ。
今さらながら説明すれば、ここは巨大商船マイード号の船上である。
現在、一行はヤンの反対側に存在感なく立つ精霊ターマノミの魔の力により、気候や風向きを操って非常に快適かつ安全な船の旅を楽しんでいた。
絶賛撃沈中の約1名を除いて、だが。
ちなみに、彼女らが客船ではなく商船に乗っているのにはワケがあった。
といっても、御大層なものではない。
向かう先の西大陸にいるらしいハーレムメンバー候補が、この船に深く関わる人物であるが故だ。
日々凶暴な魔獣の脅威にさらされ地球よりも文明の遅れがちなこの世界からすれば、非常識な巨大さと驚異の安全性を誇る最新鋭にして唯一無二のマイード号である。
だが、あくまでこれは商船であり、一行も1度目のアプローチでは当然のごとく乗船を拒否されていた。
されど、苺花のどうでもいい場面にのみ本領発揮される小賢しい奸計により、最高の待遇をもって迎え入れられることとなったのである。
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そもそもの発端は、苺花の何気ない呟きによるものであった。
「力という名の正義はこれでもかってくらい手に入れたし……。
あとは、下手な権力に屈さず済むような人員が欲しいな」
ターマノミがハーレム要因として参入してより、10日ばかり。
苺花の厳しくもしつこい指導により、何とかヤンとピ・グーが彼に対する畏れを乗り越え敬語で語りかける癖を直した頃の話だ。
彼らは、とある草原で野宿をしていた。
ターマノミのつくる結界の中で彼のおこした火を囲み、ヤンが狩り捌いた動物肉とピ・グーが採取した野草やキノコ類を苺花が大鍋で調理する。
あとはそれらが煮えるのを待つばかりといった状況になって、彼女がそんな風に語り出したのだ。
「……何だ、それは。
まさか、無謀にも貴族や王族なんかを狙ってるワケじゃないだろうな」
器用に片眉を上げて渋顔を作るヤンだったが、当の苺花はあっさりと彼の予想を否定する。
「ないない。
そんな立場の人に見初められちゃったら、逆にこっちが囲われる破目になるでしょ」
「ほう、苺花も存外正常な判断力を携えていたのだな」
判断力というよりも、単に女によく見られる計算高さを発揮しているだけといった方が正しい。
ちなみに、彼は精霊スペックゆえか他の2人と違い苺花という名前を正確に発音できるようだ。
しかし、そんなターマノミの感心もつかの間、彼女はまたもや始末に負えない言をかぶせて来るのだった。
「この美貌がたかだか1つの国に所有されるなんて、世界の損失もいいところよっ」
「セかい、とハ……マた、大した自信だナ」
ピ・グーは地面に視線を落とし、こめかみを揉みながら呆れたようなため息を溢す。
けれど、それを自意識過剰だと断じてしまうには、苺花の美はいささか完璧すぎた。
これでもし外見とつり合う内面を持っていたとすれば、どこぞの宗教国に聖女として祀り上げられていてもおかしくはない。
少なくとも、今のように気軽に話しかけられるような存在には育たなかったはずだ。
そんな風に考えて、何となく彼女が彼女であったことに安堵を覚えてしまうピ・グー。
いつの間にやら、ほどよく調教されているようである。
「それにさーぁ?
私につれなく断られたからって、その権力者から逆恨みで犯罪者にでも仕立て上げられてみなさいよ。
一気に、逆ハーレムどころじゃなくなっちゃうわ」
「ソれはそうダ」
今度のセリフには特に否定する要素もなかったため、素直に首を縦に振る。
そして、苺花はふっと息を吐き頬に手を当てながら、独り言のように小さく声を紡いだ。
「ま、今はタマちゃんもいるし。
国ごと潰しちゃえば指名手配も解けるだろうから、そこまで大きな問題でもないんだけど」
「真顔で大量殺戮宣言ッ!?」
「なんと豪胆な……」
『そんな真似したら、今度は違う意味で注目を集めちゃうんじゃない?』
唖然とする面々とは対照的に、意外と平静な態度を見せるフェロモニー。
女神という立場に身を置く彼女は、死に対する感覚が人間のそれと大きくズレてしまっていた。
さておき。
信じられないといった表情で己を注目してくる男3人へと、苺花が珍しく苦笑いを見せる。
「あはは。やぁね、皆して本気にしちゃって。
半分、冗談よ?」
「半分も本気ダったのカ!?」
ピ・グーから間髪入れずにキレの良いツッコミが入った。
……これが、若さか。などと果てしなくどうでもいいことを考えつつ、苺花は首を軽く横に振る。
「いや、そのね?
あくまで最終手段の1つとして候補の隅っこの方に入ってるってだけで……あ、泡ぶくたった」
と、そこで彼女は会話をスッパリと中断し、煮え立った鍋を木のお玉でかき回した。
そのまま、それぞれの愛用する椀に完成した特製スープを注ぎ手渡していく。
しばし、無言となる4人。
各人に椀が行き渡ったところで、まずターマノミが無遠慮にスープに口をつける。
それを横目に苺花は両手を合わせて「いただきます」と呟き、ヤンは利き手の人差し指と中指でしずくのようなマークを空中に描いて、ピ・グーは心臓の上に握り拳を持っていき「豊穣神の加護に感謝を」と頭を深く下げた。
改めて、各々の人種の違いが浮き彫りになる瞬間である。
敢えて己の信ずる宗教観を押し付けるような輩がいないあたり、よくできたハーレムだった。
また、本来ならば精霊であるターマノミに食事など必要ないのだが、全員で食べないと美味しくないからという苺花のワガママな主張により、強制的に参加させられるようになっていた。
その割に自身の苦手な食材を彼の皿に移すなどという、えげつない行為を平然とやってのけるのだから、まぁ、とんでもない女である。
それも最近では、ヤンが根気強く叱責を飛ばし続けたおかげで減ってはいるのだが……。
「ところで、さっきの話の続きだけど……皆は心当たりない?
一国の王や高位の貴族たちにも顔がきいて、なるべく平民で、私と一緒に旅が出来て、生殖機能が正常で、常識のある、独身の成人男性」
『大っ概、都合の良いこと垂れ流してるわね』
「イッカと比べれば、誰だって常識人だろう」
「我は世俗には疎いゆえ、その問答には応えかねる」
「オレは……1人浮かぶ者がいルことはいるナ」
瞬間、ピ・グーへと驚愕の視線が集った。
つらつらと条件を並べ立てていた当の苺花でさえ、全てを内包する男が実在するとは信じていなかったらしい。
「ホント、ピーちゃん! 誰!?」
「まさかだろう。そんな人間がどこにいるというんだ?」
「それは、重畳。して、如何な者であろうか」
苺花は興奮し瞳を幼子のように輝かせ、ヤンはいまいち懐疑的に表情を歪め、ターマノミは冷静さの中にも興味を隠せないといった雰囲気を醸し出していた。
ジリジリとつめ寄る面々を諌めるように自身の両手を軽く上げて、ピ・グーはおもむろに口を開く。
「全大陸に共通硬貨を浸透させタ、奇跡の男。
商王ゼニス・ゲー・アルノンデス、ソの人ダ」
「っあの武無き覇王か!」
世情に疎い苺花とターマノミは揃って首を捻るが、ヤンは名が耳に入ると同時に顕著な反応を見せていた。
つかの間。しん、と場が沈黙で満たされる。
(えっ。ヤダそんな中2病丸出しの呼び名がついてる人、恥ずかしい)
『えっ。ヤダこんな完璧に自分の存在を棚上げしてる人、腹立たしい』
女神の絶妙な切り返しが光る。
中2病に関して、少なくとも末期オタク苺花の言えるセリフではなかった。
「ソれデ、イッカ。
ゼニスは候補に加えるカ、ソれとモ止めておくカ?」
ともあれ、くだらない先入観で大きな獲物を逃すことのないよう、彼女はゼニスという男と相見える決意を固めたのだった。
……商王の運命やいかに。




