第八話 同じ言葉、違う意味
ギルドからの帰り道。
「……」
ミーシャが浮かない様子で口をつぐんでいる。獣耳はしゅんと力なく垂れ、尻尾もだらりと下がったまま、歩調に合わせて揺れることすらない。
いつもなら歩きながら何かしら喋っているのに、今は腕を組んでむすっと前を見ている。
実は、等級試験に関する案内を終えたあと──
***
「ミーシャもさ、事前講義だけでも受けなよ」
メルクが言った。
「なんでー? ミーシャ、もうアイアンだよ?」
「アンタは何回でも聞いたほうが良い」
「メルねー! それ完全にバカにしてるでしょ!」
「事実を言ってるだけ」
「えーっ……! でもミーシャ、戦うのは得意だもん!」
「ええ、だからこそよ。頭も一緒に鍛えなさい」
「ぐぬぬ……!」
***
──というやり取りがあっての、今である。
そうしてミーシャは、渋々ながら事前講義に参加することになった。
念のため、エルシーに確認してみると、
「ええ。冒険者であれば、受検者に限らず事前講義は受けられます。……それに、ミーシャさんも、もう一度聞いて損はないかもしれませんね」
彼女も迷いなく賛成の意を示した。
「そんなー……エルぽーん……」
抗議とも泣き言ともつかない声を残し、ミーシャはその場で項垂れたのだった。
四人で宿まで帰る道すがら、リィナがちらりと横を見る。
いつもより静かなミーシャの様子に、少しだけ眉を下げて声をかけた。
「……ミーシャ、大丈夫?」
ミーシャは一瞬だけ立ち止まり、むにっと頬を膨らませる。
「だいじょーぶ……ちょっとイヤなだけー」
その様子を見て、リィナが少し考える素振りをしてから、ぱっと顔を上げた。
「あ、じゃあさ! 講義が終わったら、クッキー食べに行こうよ! ほら、西の外れにあるお菓子屋さんのやつ! ミーシャ、いつも美味しそうに見てるでしょ?」
その言葉を聞いた途端、ミーシャの垂れていた獣耳がぴくりと跳ね上がる。
「えっ……ほんとー?」
疑うような目でリィナを見る。
「ほんとだよ。約束!」
「……っ!」
ミーシャの顔が、花が咲いたみたいにぱっと輝いた。
「やったーーーーー!!!」
ミーシャがリィナの両手を取って、ぴょんぴょんと跳ね回る。垂れていた尻尾も元気いっぱいに揺れている。
「クッキー! クッキー食べに行くんだよね!? 終わったら! 絶対!」
「うん! 行こう行こう!」
「二箱ね!」
「えっ」
「三箱!」
「ま、待ってミーシャ!」
……もう講義より、そっちが本番みたいだな。
俺は思わず、口元を緩めていた。
メルクは一歩遅れて歩いている。
「……まったく。食べ物ひとつで、こうも切り替えが早いんだから」
呆れたように言いながら、彼女の視線は二人のはしゃぐ姿を追っていた。
「ま、良いんじゃないか」
俺がそう言うと、メルクは一瞬だけこちらを見てから、ふっと息を吐いた。
「♪ クッキー ウキウキ ダイスキー
クッキー ウキウキ ダイスキー ♪」
二人が、今度は揃って謎の歌を歌い始めた。
「♪ チョコもいいけど バターもね
お口の中で ダンスして ♪」
「♪ お講義 トボトボ お勉強
ご褒美 キラキラ 桃源郷 ♪」
「♪ サクサク パクパク 止まらない
今度の 試験も 怖くない! ♪」
「♪ ウキウキ ダイスキー!
クッキー ダイスキー! ♪」
……あ、リィナが完全に乗ってきた。
彼女は上機嫌になると、知らずに歌い出す癖がある。止めようとして止まる類のものではない。
意味はともかく、押韻やリズムを意識した言葉選びをするあたり、魔法の詠唱で音や間を気にしているだけある。
「わー! リィナっち、スゴい! 歌のセンセーみたい!」
通り沿いの露店で、店仕舞いをしていた店主が目を丸くしてこちらを見た。
通り過ぎる人が一人、二人、くすりと笑って振り返る。
「……おーい、あんまり大きな声出すなよー」
歌声が夕暮れの雑踏に溶けていって、見慣れた宿の灯りが視界に入る。
そんな調子のまま、俺たちは宿に辿り着いた。
(受検、か……)
宿の窓辺で剣の手入れをしながら、俺はその言葉を頭の中で転がした。
刃に油を引いて布で拭う。その単調な動作が記憶の底を静かに叩いた。
最後に受検と呼ばれる場に立ったのは、もう十年近く前になる。
剣誓騎士団の入団試験。
あの頃の俺は、あそこに立てたこと自体を誇りに思っていた。
選ばれる側に行ける。強さを示せる。守る資格を得られる。そう信じて、剣を握っていた。
ただ――あそこにあったのは、冷徹な選別だった。
数百人の志願者が血を流し、泥にまみれ、互いを蹴落とす。ただ一握りの部品になるために、剣を振るう。
隣に立つ者は仲間ではなく、競争相手だった。
一人でも脱落すれば、その分だけ自分の席が近づく。誰かの失敗は、自分の前進だった。
失敗は、切り捨てだ。
理由も、情も関係ない。
――生き残れるかどうか。
それだけが価値だった。
合格を告げられたとき、胸にあったのは喜びでも誇りでも、達成感でもない。
――生き残った。
ただそれだけの事実と同時に、「次は応える番だ」という重圧が肩に乗った。
人としてではなく、役割として。
剣を振るう意思ではなく、振るわされる理由を与えられた。
それを疑わなかったし、疑う必要もないと思っていた。あの頃の俺には、それが正しかった。
だが、今は違う。
視線を上げれば、横にはあいつらがいる。
もし失敗したとしても、たぶん――明日も一緒に飯を食う。愚痴を言って、笑って、次の依頼を考える。
布を動かす手が、わずかに止まった。
左腕に意識が向く。刻印のある場所がまた疼き出す。
拒絶するほどじゃない。ただ、そこにあると主張するみたいに、静かに脈打っている。
俺は、それを否定しない。過去は消えない。
あの入団試験も、あの日々も、俺の一部だ。
「ノアー。ご飯できたよー」
「早く来ないと、ミーシャが全部食べちゃうよー!」
「すでに一皿、消えてるわよー」
……それは困る。
俺は剣を置き、窓から離れた。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
みんなをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




