第七話 一緒に踏み出す一歩
「……では、こちらが正式な報告書ですね。ありがとうございます」
エルシーは書類を受け取ると、その場で目を落とした。
いつもなら軽く流す程度だが、今日は違う。視線が、紙の上をゆっくりと丁寧になぞっていく。
紙をめくる音が、カウンターの上で静かに響いた。
受付の奥では、職員同士が声を潜めて何かを確認し合っている。掲示板の前で依頼状を眺めていた冒険者たちも、ちらりとこちらを見てから視線を逸らす。
「正直に申し上げますね。ノアさん」
エルシーは一瞬、言葉を切る。その間が、妙に長く感じられた。
「もう、《ブロンズ等級》の動きではありません」
その声は静かだったが、俺の中に確かな重みを残した。称賛された、という感覚はなかった。
「今回の件、変異体の初動確認から被害の抑制、二次被害の防止処置まで、判断に無駄がありません。何より――この規模の変異体を鎮圧できた戦闘力には、正直驚いています。それに報告内容が整理されていて、ギルドとして後追い調査が非常にしやすい」
周囲の視線が、こちらに集まる気配を感じる。
俺はそれを意識の外へ追いやり、ただエルシーの言葉だけを聞いていた。
「実は、内部でも話が出ています。ブロンズ等級から、本件のような成果報告が上がってくるのは、極めて異例だと」
彼女の言うことに違和感はない。変異体の討伐は、それ自体が重大な案件だ。
主に魔素の過剰供給により、生物としての理から外れて変容したそれらは、もはや自然界の脅威には収まらない。瘴気を発し、環境を汚染し、生態系そのものを侵食する動く災害になり得る。
本来であれば、対魔専門の騎士団──剣誓騎士団が担うべき領域であり、冒険者が対応すること自体が稀だ。
「ノアさん。ギルドは、あなたの能力を正当に評価したいと考えています」
エルシーが顔を上げ、眼鏡の奥の視線がまっすぐに俺を捉えた。
「これは私個人の判断ではありません。ギルドとして、ノアさんには次の段階へ進んでいただきたい。《アイアン等級》の受検を、正式にお勧めします」
「え、ノアっち昇格!?」
ミーシャの弾んだ声が、張り詰めた空気を少しだけ和らげる。
エルシーは一度だけ微笑み、すぐに真摯な表情に戻った。
「実力も、判断力も、あなたはすでに十分です。等級が上がれば、受けられる依頼の幅も広がりますし、冒険者としてこれまで以上の自由も得られるでしょう」
静かに、少しずつ湧き起こっていたものが、
いま、ひとつの流れとなって目の前に現れた気がした。
それが良いものか、悪いものかはわからない。
ただ一つ確かなのは、これが突然の話ではないということだ。
遅かれ早かれ、こういう時が来る。そんな予感は、ずっと胸の奥にあった。
横から、メルクが小さく肩をすくめる。
「妥当ね。うちらのリーダーなんだから」
「えっ、リーダーなの?」
「いまさらでしょ」
その軽い言葉が、妙に現実的だった。
俺は無意識に左腕へ意識を向ける。刻印のある場所が、じくりと熱を持っている。
自分が歩いてきた道の延長線上に、これがあった。そう思うと、不思議と腹が決まった。
俺は一度、ゆっくりと息を吐く。
「……受けます。アイアン等級の試験を」
「承知しました。では、手続きはこちらで進めますね」
エルシーは書類を揃えながら、ふと視線を横へ移した。
「それと――リィナさんも」
「……えっ? わたし?」
名前を呼ばれて、リィナがきょとんと目を瞬かせた。
「今回の報告には、あなたの状況分析も大きく貢献しています。学者としての知識も、魔法使いとしての実力も、ブロンズの枠に収めておくには惜しい」
エルシーの声は淡々としているが、不思議と人の心に触れてくる響きがあった。
おそらく彼女自身が、同じように選択と決断の狭間で、幾度も立ち止まってきた過去があるからなんだろう。
「基本は素材採取中心だと伺っています。ただ、ノアさんと同行する機会も多い。パーティとして考えれば、受けて損はありません」
リィナはおれをちらりと見て、小さく握り拳をつくって言った。
「ノアが受けるなら……わたしも一緒に、受けます!」
その言葉に、エルシーは小さく微笑んだ。
「では、お二人分、まとめて手配します。書類を準備しますので、少しお待ちください」
エルシーがそう言ってカウンターの奥へ引っ込んでいった。
それを合図に、ギルド内のあちこちから向けられていた視線がようやく散っていく。
俺はカウンター脇の掲示板へと目を向けた。
「……アイアン等級、か」
その呟きに、メルクが小さく笑う。
「少し背筋が伸びた顔してるわね」
彼女は掲示板に並ぶ色とりどりの依頼状を眺めながら、続ける。
「いい機会だし、この世界の格付けをおさらいしておきましょうか。これから歩く道がどれくらい長いか、知っておいて損はないわ」
そう言って、メルクの講義が始まった。
「まず一番下が《ウッド》。街中の雑用や簡単な素材採取が中心。戦闘依頼は、基本的に禁止」
「……まあ、下積みって感じだな」
「そう。その次が、今のアンタたちの《ブロンズ》。見習い扱いね。低危険度の依頼は受けられるけど、まだ単独行動は推奨されない」
メルクはそこで一度言葉を切り、俺とリィナを交互に見た。
「で、次が《アイアン》。ここからがようやく『一人前』として扱われる。単独での討伐も護衛も許可されるわ。……まあ、自分の命に自分で責任を持てるとギルドが認めた証拠ね」
「一人前……。なんだか、急に緊張してきたかも」
リィナが隣で少し肩を縮める。
メルクは彼女を励ますように、彼女の肩を軽くとんとんと叩いた。
「アイアンまでは、特定の技能特化でも十分に目指せる」
メルクは言いながら、ちらりと隣を見る。
「――まさしく、このコみたいにね」
「ん? ミーシャ?」
ミーシャはきょとんと瞬きをした。
「え、なに? ミーシャ呼ばれた?」
「戦闘だけなら、十分すぎるくらいでしょ」
「えへへ。まあね!」
照れたように笑うミーシャを横目に、メルクは続ける。
「でも、《シルバー》からは総合力。危険地域への立ち入りが認められて、依頼主からの指名も増える。強さだけじゃなく、生存能力、判断力、交渉力――全部込みの熟練領域ね」
「んー、なんか難しそう。ミーシャはまだアイアンでいーや!」
あっけらかんとした言葉に、メルクは小さく苦笑した。
「その先が《ゴールド》。国家や大商会が直接依頼を出すレベル。さらに上の《プラチナ》ともなれば、英雄級」
彼女は肩をすくめる。
「一つの領地の命運を左右する存在よ。……まあ、《ダイヤモンド》なんて、もはや伝説だけど」
メルクの説明は簡潔で、無駄がなかった。
リィナも隣で、何度も小さく頷いている。
「で、メルクはシルバーなんだよな?」
「まだ浅いけど、一応ね」
そう言って、彼女は表情を引き締めた。
「アイアンは通過点。でも、一番死人が出るのもアイアンよ。……気を引き締めないとね」
「ああ。それにはまず、受からないとな」
ちょうどそのとき、カウンターの奥から足音が戻ってきた。書類を持ったエルシーが、俺たちの前に立つ。
「お待たせしました。受検手続きは問題ありません」
彼女は木製の受検札と用紙をカウンターに置いた。
「試験は、三日後になります」
「三日後……」
「はい。初日は、このギルドで《事前講義》と《学術試験》、それから《技能試験》を実施します」
エルシーは用紙を指でなぞりながら説明を続ける。
「筆記試験は一般知識の確認が中心です。必須ではありませんが、受けた場合は加点評価になります」
「なるほど」
「技能試験は、各自の得意分野に応じた内容です。戦闘、魔法、探索技術などから選択していただきます」
エルシーはそこで一度、言葉を切った。
「そして翌日、《実地試験》を行います」
「場所は?」
「ギルド指定の試験区域です。模擬依頼形式で、原則三人一組のパーティ編成になります」
その一言で、空気が少しだけ引き締まったのを感じた。
「実地試験は、今回の試験において大きな比重を占めます。結果次第では合否に直結しますが――」
エルシーは視線を上げ、静かに続ける。
「あなた方なら、過度に心配する必要はないでしょう」
事務的な口調の中に、わずかな信頼が滲んでいた。
「詳細はこの用紙にまとめています。質問があれば、今のうちにどうぞ」
用紙を手にしたとき、隣でリィナが小さく息を吸うのが分かった。
俺は何も言わず、軽く頷く。
リィナも、同じように頷き返した。
「……ノア、頑張ろうね!」
「おう!」
こうして俺たちは、冒険者としての立場を、名実ともに一段階上げるための一歩を踏み出した。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
みんなをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




