第六話 ミーシャの本能
朝は、全員で宿の食卓を囲んでいた。
眠りの名残が、呼吸と一緒に身体の外へ抜けていくような、ゆったりした時間が流れている。
焼き立てのパンの香ばしさと、湯気の立つスープ。
窓から差し込む柔らかな光が、木のテーブルにゆるやかな影を落としている。
昨日あれだけ騒いだとは思えないほど、朝は静かに立ち上がっていた。
「おかわりーーー!!!」
ただ、一人だけその静寂を破るやつがいた。
「ミーシャは、朝からよく食べるねえ……」
まだ夢の中に半分浸かっているみたいな声で、リィナがぼんやりと呟く。両手で包んだカップのホットミルクをゆっくりと啜っていた。
「だって、ここのパンおいしいんだもん! それに朝はいっぱい食べたほうがいいんだよ、生きるために!」
ミーシャ仕様に、パンがてんこ盛りの皿が置かれる。宿の主人は目を細め、いかにも満足そうに笑っていた。
「元気なのは結構なんだけど、その分食費も元気なんだよねえ」
メルクの発言など気にも留めず、ミーシャは一心不乱にパンを頬張っていた。
いつものやり取りだ。
これだけで、朝がちゃんと朝になっている気がする。
俺はスープを飲みながら、頭の中で報告書の段取りを整理していた。
変異体の件。夕方までに、ギルドへ正式な報告書を出さないといけない。
「ねーねー、ノアっち」
ミーシャがパンを口に詰め込みながら身を乗り出す。
「あとで特訓しよ!」
「特訓?」
「うん! 身体なまってるでしょ?」
「昨日のあれで?」
「まだまだ足りないっしょー!」
尻尾がぶん、と揺れた。
メルクはスープを飲みながら、ちらりとこちらを見る。
「報告書、今日に出さないとだよね?」
「ああ、夕方までには出したい」
「なら、時間決めなさい」
リィナはまだ眠そうに瞬きをしながら、
「がんばってねえ〜……」
とだけ付け足した。
「なははっ! じゃあ決まり!」
ミーシャは満足そうに頷いた。
*
宿の裏手、少し開けた空き地。
俺とミーシャはそれぞれ木剣を手に取る。
「よーし。じゃあノアっち、いくよー!」
「おう。いつでも来い」
ミーシャが地面を蹴った。
小柄な体躯からは想像もつかない爆発的な踏み込み。斧槍ではなく木剣だが、振りの重さは並の戦士など及びもつかない。
――これがあの斧槍だったら、と思うと背筋が冷えた。
俺は最小限の動きでそれを逸らし、間合いを外す。
彼女は力任せではない。野生の勘に近い鋭さで、俺が避ける先を"嗅ぎ取って"次を放ってくる。
「ノアっち、やっぱうまいね。当たらないもん」
「当たったら終わりだからな」
肩で息をしながら、ミーシャが笑う。
俺たちは剣を引き、額の汗を拭った。
「そういえばさ、昨日、ノアっちの『こくいん』使ったじゃん?」
不意に、ミーシャが剣の先を地面に突き、少し真剣な目でこちらを見た。
「アレなかったら、ちょっと危なかったよね」
「……否定はしない」
一瞬だけ、ミーシャは唇を噛む。それから、逃げずにまっすぐ俺を見た。
「ミーシャ、もっと強くならなきゃって思った」
「急だな」
「急じゃないよ。ずっと思ってた」
ミーシャは笑う。でも、その笑いはさっきまでの無邪気なものとは違った。
「ミーシャが生まれたとこさ。ずーっとケンカばっかしてんの」
ミーシャは、木剣の先で地面をつつきながら言った。
――北方部族連合、ヴォルガ。
寒冷な草原と山岳地帯に点在する、大小無数の部族の集合体。
ひとつの国家というより、力関係で均衡を保っている寄り合い所帯だ。部族間の小競り合いは日常で、強さがそのまま発言力になる土地だと聞いている。
「でもね、昔は一回だけあったんだって。ちゃんとまとまってた時代」
「昔?」
「じーちゃんが言ってた!」
胸を張って言う。
「《竜騎士の秘宝》があった頃!」
「……竜騎士」
伝承でしか聞いたことのない言葉だ。
竜と契約し、北方の戦場を制した存在。史実かどうかも曖昧で、吟遊詩人の誇張だと思っていた。
「それがあるとね、強い人が誰か、すぐわかるんだって。だからムダなケンカが減ったっぽいよ」
ミーシャは楽しそうに言う。
竜騎士の秘宝。初めて彼女と出会ったときにも、口にしていた言葉だった。
「どうやっても勝てないってわかってたらさ、みんな無茶なケンカなんかしないでしょ? 迷わなくていいでしょ?」
力による抑止。あるいは、圧倒的な存在への信仰。
一族がその末裔だという話を、彼女はさらりと置くように語った。
「だから、ミーシャは強くなるの。思いっきりドーンっていって、一気にぜんぶ終わらせちゃうみたいな感じ!……それがミーシャ流!」
ミーシャはそう言って、木剣を肩に担いだ。
さっきまでの真剣な目はもうなくて、いつもの調子に戻っている。
それからしばらく、木剣が打ち合う音が庭に響いた。汗をかいて、息が上がって、それでもミーシャは手を止めなかった。
やがて、ひと息ついたところで、
「よし! 特訓おしまい!」
ミーシャは気持ち良い汗を誇るように胸を張った。
「ノアっち、報告書手伝おっか?」
「いや……いい。絵日記になっても困るからな」
「えー! ミーシャだって書けるし!」
少し不満そうに頬を膨らませながらも、結局ミーシャは満足そうに笑っていた。
背伸びをひとつして、空を見上げる。
朝の光はすっかり高くなっていて、昨日の森の気配が嘘みたいに遠かった。
強くなりたい理由は、人それぞれだ。守りたいものも、背負っている過去も、目指している未来も違う。
ただ、一歩前に出る理由だけは、俺たちは案外似ているのかもしれない。
「ノアっち、お腹すいたねー!」
ミーシャは、宿の方へ駆け出していった。振り返りもせず、真っすぐ前へ。
俺はその背中を見送りながら、ゆっくりと後を追う。
怖さも不安もぜんぶ引き受けて、それでも真っ先に飛び込んでいく。
考えるより先に身体が動く。そのくせ、ちゃんと自分の責任として背負っている。
それが、ミーシャという強さだ。
こんな不揃いの俺たちは、何の巡り合わせか出会ってしまい、それぞれ別の未来を見据えながら、不思議と足並みだけは揃っている。
この先どうなるかは分からない。
それでも――今は、同じ旅の途中にいる。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
みんなをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




