第二十話 魔獣争奪戦
ミレイは、戦っていない。
少なくとも、本人はそう言うだろう。
だがラットマンの群れを抜けた今、俺の評価は少し違っていた。
ミレイの天性の生存本能と足腰で、敵の間を縫うように抜ける。視線を引きつけ、足並みを乱す。
そこを、アッシュが後方から矢で射抜く。敵の混乱と恐慌をさらに広げる。
おかげで、おれも素早く踏み込むことができた。
理屈で組んだ連携ではない。
だが、三人の動きは噛み合っていた。
ラットマンを倒し、そのまま通路を進む。
植物の焦げたような匂いが鼻につく。
「……さっきの、うまくいきましたね」
アッシュが小声で言う。
「い、生きた心地がしませんでした……みなさんがいなかったら、今ごろ私は……はぅ……」
ミレイは否定するが、足取りは軽い。
戦闘を経て、身体が慣れて呼吸も整っている。
恐怖に縛られるのではなく、恐怖がそのまま身体を動かす。
逃げるために磨かれた足腰。
生き延びるために研ぎ澄まされた感覚。
こういうのは、そう簡単に身につくものじゃない。稀有な戦士の資質だ。
「……ん?」
石壁に、新しい爪痕が残っている。
削れた岩肌の断面が、うっすら白く光っていた。
魔素の結晶だ。
融合が浅い個体ほど、余剰魔素が外に滲む。
触れた岩や植物に、こうして痕跡を残す。
核を体内に抱えきれず、外へ押し出す程度の融合。試験用としては、妥当な危険度だ。
俺が立ち止まって観察していると、
「はぅ……な、なんですか……ようやく帰る気になりましたかぁ……?」
「魔獣の痕跡だ」
「えぇっ!? まま、魔獣!? そそ、それは緊急事態です……は、早く帰り支度をしましょう……!」
くるりと踵を返しかけたミレイの肩を、アッシュが片手で止める。
「待て待て待て。ここに来た理由、忘れてないか?」
「も、もう忘れましたぁ……」
即座に記憶を手放すって生存本能もあるのか。
俺は思わず感心してしまう。
「残念ながら、魔獣狩りの試験で来てるんだ」
「し、試験は命より重いんですかぁ……?」
半泣きで訴えてくる。
しかし足は、きちんとこちらの横に戻っている。
アッシュが苦笑する。
「ほら。口ではこう言いながら、ちゃんと戻ってくる」
「だ、だって戻らないと、ひとりになるじゃないですかぁ……はぅ……」
アッシュとミレイのやり取りを聞きながら、俺は周囲に注意を配る。
さっきから鼻につく植物の焦げたような匂いは、おそらく苔が魔素に焼かれた痕だ。しかも、匂いは真新しい。
「……近い。静かに行くぞ」
俺がそう言うと、ミレイは両手で口を押さえた。
「……さ、さっきから私、うるさいですか……?」
「今からは特に、な」
「はぅぅ……以後、空気になります……」
通路の先、苔の一部が不自然に枯れている。
壁の低い位置に、またも擦れたような白い結晶。
そして、地下水の溜まった浅い水辺があった。
魔素の適応が浅い生物は、水場を好むことが多い。
生き物としても、水辺には獲物が集まる。
それに、湿度と温度が安定していれば、体内の魔素も暴れにくい。
俺は手で合図を出す。
アッシュは弦に指をかけ、ミレイは短槍を胸に抱えたまま、なぜかいちばん低い姿勢になる。
――次の瞬間、水面が弾けた。
重い飛沫とともに、巨大な影が跳ね上がる。
元はオオトカゲだろう。しかし今は、ワニほどの体躯に膨れ上がり、鱗の隙間には鈍く光る結晶が食い込んでいる。
「はぅぅぅぅ……っ」
ミレイの鳴き声は、今回は逃げに転じない。
腰は落ちたまま、視線は魔獣を捉えている。
尾が薙ぎ払われる。
石床が砕け、破片が跳ねる。
俺は半歩退き、剣で衝撃を受け流した。
そのとき、視界の端に違和感が走る。
――尾。
振り抜いたはずの尾の先が、不自然に震えている。
鱗の一部が削がれ、血と混じった魔素が白く滲んでいた。裂け目は新しい。おそらく、他の受験者に斬られた傷だ。
魔獣は低く唸り、こちらを睨む。
だが次の瞬間、巨体を翻して駆けた。
重い体躯に似合わぬ速さで、水辺を蹴り、奥に向かって逃げ出した。
「あっ、逃げました!」
「追うぞ」
迷う理由はない。
傷を負った個体は、判断を誤る。今なら仕留められる。
濡れた石床に残る血と、削れた鱗の欠片。
結晶化した魔素の微光が、点々と道標のように続いていた。
通路を抜けると、空間が急にひらけた。
三方向から延びた通路が交わる、合流地点。
天井は高く、湿った空気が渦を巻いている。中央には浅い水溜まりが広がり、その水面がわずかに揺れていた。
魔獣はそこで止まっていた。
こちらを振り返り、喉を鳴らす。
そして、見えた。
背、肩甲の間。鱗を押し割るように、鈍く光る結晶が半ば露出している。
――魔獣の核。
融合が浅い証拠だ。外へ押し出され、守りきれていない。
「アッシュ、ミレイ、ここは……」
俺が呟いた瞬間、
「見つけたぜ、ノア」
聞き覚えのある声が、背後から割って入った。
――そうだ。
こんなやつがいたんだった。
技能試験でやたらと絡んできた、血気盛んをそのまま形にしたような若い剣士。
先の通路から、剣を肩に担いだシドニアが出てくる。
口元は笑っている。
しかし、目は笑っていない。
獲物を狙うときの獣の目だ。
「魔獣もいるし、アンタもいる。最高じゃん」
水辺越しに、魔獣が唸る。
三者が、微妙な距離で均衡していた。
「もうお互い剣は握ってる」
シドニアは一歩、間合いを詰めた。
「やらない理由、なくねえか?」
水面の向こうで、魔獣が喉を鳴らす。
背に露出した結晶核が、鈍く光った。
――核はあれだ。
シドニアも当然、見えているはずだ。
しかし、奴の視線は魔獣よりも俺に向いている。
優先順位が違う。
「いま、忙しい」
短く言うと、シドニアは鼻で笑った。
「知ってる。当然、その魔獣はウチらも狙ってる」
シドニアは剣先を俺に向けた。
真剣だ。試験用の木剣じゃない。
「俺がお前を足止めする。その間に――」
シドニアの背後の通路から、気配が滑り込む。
ひとりは槍。もうひとりは、片手剣と小盾。
「こいつらがいただく」
なるほど。
シドニアが俺を止めて、仲間が核を回収する。
面白くはないが、主力を潰すのは合理的ではある。
シドニアは、ニィ、とからかうような笑みを浮かべた。
「悪く思うなよ。これも試験だからな」
俺は剣を構え直す。
視線はシドニアに向けながら、意識の半分は魔獣に置いたままだ。
――なら、乗ってやろう。
魔獣は尻尾に傷を負っている。
動きは速いが、踏み込みは鈍い。核は背中、右肩甲のあたり。
「アッシュ」
視線は切らないまま、低く呼ぶ。
「俺の合図で、尾を射抜け」
「了解」
アッシュは静かに即答した。
ミレイは――
「はぅ……わ、私はどうすれば……?」
「ミレイは生き残ることを考えよう」
「そ、それなら……はぅ……」
そう答えたあと、アッシュがほんのわずかに声を落とす。
「……ノアさん。あの人、だいぶ殺気立ってますけど、大丈夫ですか?」
視線はシドニアを捉えている。
その目には、思いがけない事態へ心配の色が浮かんでいる。
しかし、弦を持つ指は落ち着いている。
「ああ、問題ない」
間合いの外からでも伝わる。
シドニアの殺気は濃い。まっすぐで、遠慮がない。
「はぅぅぅ……」
ミレイが両手で短槍を抱え直しながら、近寄ってくる。
「さ、殺気がすごすぎて……ど、どっちが魔獣かわかりません〜〜」
その言葉に、アッシュが思わず吹き出しかける。
「ミレイ、さすがにそれは失礼だろ」
「で、でもぉ……なんか目が光ってますよぉ……どっちも……」
俺はわずかに口角を上げた。
「こいよ、ツンツン頭」
シドニアの目が細くなる。
「……あ?」
「その頭、ずっと目障りだと思ってた」
一瞬、空気が凍る。
アッシュが小さく息を呑むのが聞こえた。
「ノアさん……?」
ミレイは完全に固まっている。
「は、はぅぅ……ノアさんが挑発してますうぅぅ……!」
シドニアの重心が、半歩深く入る。
冷静さが削れた。狙い通りだ。
「……上等だよ」
シドニアの声が低く落ちる。
次の瞬間、地面が弾けた。
踏み込みに躊躇がない。
狙いは喉元。
――本気で首を取りにきている。
俺は半歩横へズレる。
刃が頬の横を抜け、空気が裂ける。
「ははっ!」
シドニアが笑う。
「やっぱりだ!」
二撃目は逆袈裟。
これも急所狙い。容赦はない。
俺は斬撃を受けずに流す。
シドニアの攻撃をいなしながら、魔獣に少しずつ近寄る。
別の角度からは、シドニアのパーティが魔獣へ接近している。
魔獣は自然と、そちらへ警戒を向ける。
――今だ。
アッシュに視線だけで合図を送る。
勢いよく、弦が鳴った。
矢が魔獣の傷ついた尾に突き刺さる。
それは激しく身をよじり、水飛沫が舞った。
シドニアの刃が振り下ろされる瞬間、俺はその懐へ飛び込みざま――すれ違う。
「悪いな」
斬撃の勢いを利用し、肩を押し流す。
そのまま魔獣へ一直線に距離を詰めた。
暴れる巨体の背、露出した結晶核へ一閃。
結晶が砕けて、衝撃とともに魔素が霧散した。
魔獣が崩れ落ちる。
俺は砕けた核を拾い上げ、振り返った。
「これ、もらうぞ」
シドニアの目が見開かれる。
「……マジかよ」
驚きと、歓喜が混じった表情だった。
俺はそれ以上構えない。
「じゃあな」
戦う理由は、最初からない。
【登場人物】
ノア・フェルド
元騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
アッシュ
国境の戦士の村出身の弓使い。
明るい人柄の、冷静な後衛。
⸻
ミレイ
アッシュの同郷の短槍使い。
超ネガティブだが、生存本能は一級品?




