第十九話 逃げも戦略なり
遺構跡地での実地試験。
いかにもその先に何かが潜んでいそうな入口へ、弓使いのアッシュ、短槍使いのミレイと並んで向かっている。
入口を前に、俺は足を止めた。
「アッシュ、ミレイ。入る前に少しだけいいか」
二人がこちらを見る。
他のパーティはすでに、入口の暗がりへ消えていた。しかし、最初にやっておきたいことがある。
パーティとして行動する以上、連携の質を高めたい。そのためにまず、それぞれの武器、技能、判断傾向を把握し、配置と役割を明確にする。
それがうまく機能するかどうかは、実戦に出てみないとわからないが、試すための前提は先に揃えておきたい。
「試験とは言え、ここは実戦だ。魔物を前にして、お互いの動きを探る余裕はない。今、できることと、できないことを共有しておきたい」
二人は、すぐに察した様子だった。
「了解です。じゃあ、俺から言うと……」
最初に応じたのはアッシュだった。
弓を軽く叩き、気負いのない調子で口を開く。
「俺は前に出ません。近接は苦手ですが、弓はそれなりに自信があります。これでも一応、弓を扱わせたら村の若手の中じゃ随一って言われてるぐらいには……。あと、索敵と退路の確保もできます」
説明は、簡潔で明確だった。
それに最初から前に出ないと決めているあたり、自分の強みをよくわかっている。
「え、えっと……」
アッシュの言葉を受けて、ミレイが声を出す。
短槍を抱え直し、視線を泳がせながら言う。
「私は……戦えません……役にも立ちません」
さらに小さな声で付け足す。
「あと、危なそうだと思ったら……勝手に下がります」
言葉を重ねるたび、視線がみるみる下がっていく。
最後には、食い入るように地面を見つめて言った。
「……あと、すごく怖いです……はぅぅ」
正直すぎる自己申告だった。
「あ、補足しとくと」
アッシュが俺に近寄り、声を落として言う。
「ちょっと不安かもですけど、こいつはこいつなりに動くので、一旦放っておいてもらえると……」
「……わかった」
短く答える。
そのやり取りを見ていたミレイが、びくっと肩を揺らして警戒する。
「ア、アッシュ〜〜……! なに言ったのぉ……?」
半泣きで詰め寄るミレイを横目に、俺は小さく息を吐いた。
アッシュとミレイは同郷出身の戦士だ。
三人で組むのは初めてでも、全員が初めての連携というわけじゃない。
俺が前に出る。
後ろでは、あの二人が二人なりに噛み合わせるだろう。あとは必要に応じて、こちらが微調整すればいい。
――まずは、それで様子を見よう。
「じゃあ、行こうか」
俺が声をかけると、アッシュはすぐにうなずき、ミレイは慌てて短槍を握り直した。
三人分の足音が重なり、俺たちは遺構跡の暗がりへと足を踏み入れた。
遺構跡地の内部は、丘陵をそのまま削り出したような石造りの建物だった。
自然洞窟とは違う。
壁も床も、人の手で整えられている。
しかし、その石肌は長い年月を経て磨り減り、あらゆる隙間には苔が蒸していた。
湿気が濃く、嫌な気配を伴って皮膚にまとわりつく。
魔物が好みそうな環境が、きちんと整っていた。
足音が、鈍く反響した。
中に入ってすぐの場所は、ホールのような広めの空間になっている。天井は低すぎず、梁代わりの石がいくつも走っていた。
自然に侵食されながらも形を保つ堅牢な石造りを見るに、かつては重要な拠点だったのだろう。
今はフェルディア王国の領土だが、昔はこの一帯は《アウレリア樹海国》の版図だったと聞く。
ホールの奥で、通路が三つに分岐している。
右は細く、見通しが悪い。
正面は緩やかに下っており、湿った空気がより濃く溜まっている。
左は天井が高く、反響音がよく返る。
すでに何組かのパーティが、このホールに留まっていた。
通路を覗き込んでは、声を潜めて話し合っている。それぞれが、行き先を思案している様子だ。
「……早速、分かれ道ですね」
アッシュが三つの通路を見比べながら言う。
「え、えっと……」
ミレイがそわそわと周囲を見回す。
「ずっとここに留まる、というのは……いかがでしょうか……?」
誰よりもホールの中央から動こうとしない。
アッシュがすぐに口を挟む。
「ミレイ、そういうわけにもいかないだろ」
「はぅぅ……」
ミレイの鳴き声を聞き流しながら、思考を切り替える。
おそらく、どの通路を選んでも、いずれは同じ中心部に繋がっている。
防衛施設なら、構造は単純なはずだ。主動線と補助路、物資の搬入路――用途は分かれていても、最終的に集約する。
違いがあるとすれば、そこへ至るまでの道筋だ。
結論は一つ。
どこを選んでも、大差はない。
「……見通しのいいほうへ進もう」
三つの通路を見渡し、俺は左を指した。
天井が高く、奥まで空間の輪郭が読める。
どの道を選んでも、行き着く先は同じだ。
ならば、判断基準は――何かあったとき、立て直せるかどうか。
視界が広く、距離が取れる。
踏み込むにせよ、退くにせよ、選択の幅がある。
「了解です。じゃあ、ここからですね」
「ああ。行くぞ」
俺たちは見通しのいい通路へと進み出した。
「はぅぅ……なんか、臭いですうぅぅ……」
ミレイは歩を進めるたびに、何かしら不平をこぼす。
「ミレイ、じゃあ呼吸止めてみようか」
アッシュは、さも当然のように即座に返す。
このやり取りが日常なんだろうな、と俺は思う。
「そそ、そんなぁ……し、死んじゃいますうぅ……」
アッシュが苦笑しつつ、弓を背に整えた。
――その瞬間。
湿った空気の奥で、石を引きずるような音がした。
「止まれ」
俺が声を落とすと、アッシュが素早く弓を構えた。
「……なんか来ますね」
通路の先、苔むした壁際から影が剥がれるように動いた。
「はうぅぅぅっ!? もうですかぁ!?」
ミレイの悲しげな絶叫が湿った空間に反響する。
闇の奥で、赤い目がいくつも瞬いた。
汚水のような臭気とともに、灰色の影が這い出してくる。
細長いネズミの顔、痩せて丸まった背中、剥き出しの前歯――ケイブ・ラットマンだ。
ぜんぶで五体。
次の瞬間だった。
「はうぅぅぅぅっ!!!」
今日いちばんの、ミレイの鳴き声が響き渡った。
反射的に声のほうを見る。
すると、そこに彼女がいない。
「……あれ、ミレイは?」
「あ、奥の岩陰に行きました」
アッシュが即答する。
彼が指差す先を見る――ラットマンが出てきた通路のさらに向こう、岩の陰に、ちょこんと縮こまる影。
「えっ……もうあんなところに?」
岩の影から、必死な声が反響していた。
「お父さんお母さん! 娘が先に逝くことをお許しくださいぃぃ! ここに遺書を残していきますうぅぅぅ!!」
ミレイは必死に腰の革袋をごそごそと探る。
その騒ぎに、ラットマンの視線が一斉に吸い寄せられている。
「――今だ」
アッシュの弦が鳴る。
二体にほぼ同時に矢が突き立ち、石床に転がった。
その混乱に乗じて、俺は群れの中へ踏み込む。一気に間合いを奪い、振り抜く。
灰色の身体を薙ぎ払い、石壁に叩きつける。
返す刃で背を裂くごとに、鋭い悲鳴が起こる。
赤い目が、次々と消えていく。
血の匂いが臭気に混じる。
五体のラットマンの骸が転がる。
「さようなら……私の人生、短かったですが……畑は……弟に……」
風に乗って、かすかな祈りの声が届く。
「すげ……あっという間に」
アッシュが、倒れたラットマンを足先でつつきながら呟いた。
「ミレイ、もう終わったから大丈夫だ」
その声に、ミレイの肩がびくっと跳ねる。
「はぅ……あれ……私、生きてます……?」
「ああ。ちゃんと生きてる」
岩陰から、そろそろと顔が覗く。
短槍を盾のように構えたまま、恐る恐るこちらを窺っている。
「……ほんとに、終わりました……?」
「ああ」
ミレイは数歩進み、そこでようやく倒れたラットマンの群れに気づいたらしい。
目を丸くして、俺とアッシュを交互に見た。
「……はぅ……?」
その間の抜けた声を聞きながら、ふと、さっきのアッシュの言葉を思い出す。
――こいつはこいつなりに動くので、一旦放っておいてもらえると。
なるほど。
ラットマンが現れた瞬間、あの数を前にして、迷いなく奥の岩間まで抜けた。
しかも、あの素早い群れの間を縫ってだ。
結果として、敵の視線を一手に引きつけ、群れを崩した。アッシュの射線を作り、俺の踏み込みを容易にした。
役割を自覚していないだけで、動きはすでに噛み合っている。
俺はミレイを見る。
「すごいぞ、ミレイ」
「……はぅ?」
「お前が走ったおかげで、群れが割れた。助かった」
ミレイはきょとんとしたまま固まる。
それから、じわじわと理解が追いついたらしい。
「……え? わ、私……逃げただけで……」
「それも戦略だ。しかも、あの速さは大したもんだ」
あの距離を、素早い魔物の中を掻い潜って。
決して、偶然でできることじゃない。
「……はぅぅ……」
今度の鳴き声は、さっきまでとは少し違う。
アッシュが吹き出す。
「ね? 言ったでしょ? こいつはこいつなりに動くって」
ミレイは短槍を抱え直しながら、まだ半信半疑の顔で俺を見る。
「……ほんとに、役に立ってました……?」
「ああ。次も頼む」
今度は迷わず答える。
一瞬だけ、ミレイの背筋が伸びた。
「……はぅ……が、がんばります……!」
その声は、さっきよりほんの少しだけ強かった。
【登場人物】
ノア・フェルド
元騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
アッシュ
国境の戦士の村出身の弓使い。
明るい人柄の、冷静な後衛。
⸻
ミレイ
アッシュの同郷の短槍使い。
超ネガティブだが、生存本能は一級品?




