第一話 冒険者になった今
本来なら、気楽な仕事のはずだった。
森の奥、陽が差し込む比較的開けた一帯。俺たちは足を止め、手分けして素材を探していた。
「えーっと……灰鱗草は、葉の縁がちょっとだけ銀色で、触るとひんやりしてて……あ、あった!」
声を上げて地面にしゃがみ込んだのは、金髪の少女――リィナ・ハルトだ。
魔導杖を傍らに立てかけ、慎重に葉を摘み取る。
理論は明晰だが、あまり要領がいい方ではない。考えが深みに入りすぎて、周りが見えなくなることもある。
それでも、どんな困難に直面しても、自分の信念から目を逸らさない。理屈で世界を理解しようとして、感情で人に寄り添おうとする。
俺たちの中で、いちばん頭が回って、いちばん無茶をする少女だ。
「一本ずつでいいのか?」
「あ、うん! 根っこは残してね。再生するから」
学者らしい、命への敬意が込められた返答が戻ってくる。
そのすぐ横で、ガサガサと茂みを揺らす音がした。
「ねーねー、これもそれっぽくない?」
両手いっぱいに無関係な雑草を掴んで現れたのは、小柄な半獣人の少女――ミーシャ・ヴァルヤだ。
自身の背丈を優に超える巨大な斧槍を、まるで"ちょっと重めの棒"みたいに肩に担ぎ、獣耳を揺らしている。
勘と嗅覚と馬鹿力で生きている、このパーティの切り札。
戦闘力だけなら、俺たちの中でいちばん信用できて、それ以外はいちばん信用できない。
「それは違う。全然違う」
「えー! 色、ちょっと似てない?」
「似てない」
「えー!」
食い下がるミーシャを、少し離れた場所から冷ややかに制したのは、黒髪の女性――メルク・ヴァランタンだ。
罠、退路、所持品の残り。それらすべてを同時に勘定しながら、常に金と命の天秤を測る。
俺たちの選択が"割に合っているか"を、誰よりも早く判断する現実主義者だ。
「ちょっとミーシャ、無駄に踏み荒らさないで。足跡が残ると、あとでギルドに文句言われて面倒なんだから」
あきれたように、メルクが言う。
「はーい」
そんな調子で、空気は緩かった。
俺――ノア・フェルドは、そんな三人の様子を少し離れた位置から見守っていた。
元《剣誓騎士団》――通称ブレイズ。かつては規律の鬼のような組織に所属していたが、今は事情があって、このパーティで"普通の冒険者"をやっている。
警戒はしているが、張り詰めてはいない。
あくまで今日は、ただの採取依頼のはずだった。
――その時までは。
不意に、森の奥が不自然な静けさに包まれた。
風がないわけじゃない。枝は揺れているし、葉擦れの音もある。
それなのに、音が遠い。まるで水中に届く音のように、どこかくぐもって聞こえる。
俺は無意識に、腰の剣へと指をかけていた。
騎士団時代の経験が、警鐘を鳴らす。こういう静けさは、だいたい血の前触れだ。
「……みんな、ちょっと静かに」
リィナの声は小さかったが、はっきりと空気を切った。彼女はしゃがみながら周囲を注意深く観察したあとで、地面に指先を触れる。
土の感触を確かめるように、ほんの数秒――森そのものが息を潜めたように、沈黙が落ちる。
「魔素の流れが、おかしい」
次の瞬間、空気が変わった気がした。
肺に入ってくる空気がどろりと重く、鉄臭い。
「やばー!」
ミーシャの間の抜けた声が、場違いなほど明るく響いた。
「これ、死ぬ匂いするやつ!」
その声とは裏腹に、彼女の足はすでに半歩引いている。
小柄な体に似合わない巨大な斧槍を構えて、獣耳がぴんと立っていた。
メルクが小さく舌打ちする。
「最悪。リィナの『おかしい』と、ミーシャの『死ぬ匂い』が重なるとか、完全に赤字案件じゃん。……リーダー、どうするよ?」
全員の視線が、俺に集まった。
ここから先は、素材採取の延長じゃない。
――戦闘だ。
おれは、大きく一歩前に出た。
「リィナ、後衛。距離を取れ。詠唱は最短でいいから防御結界を頼む」
「うん、了解」
即答だった。説明はいらない。
リィナは魔導杖を胸元に引き寄せ、すぐさま後方へ下がる。足取りはぎこちないが、位置取りは正確だ。
「メルク、左。索敵と牽制。深入りするな」
「はいはい。死なない程度に動くわ」
軽口とは裏腹に、彼女の姿はすでに木陰へ溶けていた。気配が消える。
「ミーシャ」
「うん?」
「来たら、止めろ。全力で」
「なははっ! りょー!」
嬉しそうに笑いながら、ミーシャは斧槍を地面に叩きつける。低い音が森に響き、空気が震えた。
――まだ、敵の姿は見えない。
しかし、確実に何かがこちらを見据え、牙を研ぎ澄ましている気配があった。
俺は剣を両手でゆるやかに握り、戦うための呼吸へと意識を切り替えた。
これは、騎士団にいた頃の戦い方じゃない。
勝利のために命令を最優先し、人を使い潰す戦争じゃない。
あの場所では、誰が倒れ、誰が残るかは、戦果の陰に埋もれていった。
しかし今は、違う。
誰かが踏み出すなら、誰かが支える。
誰かが迷えば、誰かが判断する。
全員で、生きて帰るための戦いだ。
そのために、今の俺は剣を振るう。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
⸻
メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




