第十八話 多分、死にます
辺境都市リューネスからイミラ街道を東へ、さらに半日ほど下った先。
舗装された道が途切れ、土埃が視界に混じり、靴裏に小石が絡み始めたあたりで、遺構跡は姿を現した。
丘の斜面に沿って、崩れかけた石壁が歪に連なっている。
丘陵を掘削して造られたその形を見るに、かつては軍事施設だったのだろう。今は用途を失い、草原が靡く長閑な風景の中で、そこだけが異質な口を開けていた。
入口の奥は暗く、朝の光が差し込んでも、すぐに呑み込まれてしまう。
風が吹くたび、遺構の隙間から乾いた音が漏れてくる。笛の音のようにも、巨人の息遣いのようにも聞こえた。
前に立つ試験官が、軽く咳払いをする。
清潔感のある服装。手帳を片手に持ち、困ったような笑みを浮かべている男。
――書記官オーウェン。
彼は、集まった冒険者たちをひとりずつ見回し、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
「えー……皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
声は穏やかで、少し小さい。
まるで、これから始まることが申し訳ないとでも言うように。
「これから、アイアン等級の実地試験を開始しますが、その前にいくつか……ええと、大事なことをお伝えしておきますね」
手帳に視線を落とし、また顔を上げる。
「まず、くれぐれも怪我には気をつけてください。この試験は、皆さんの適性や覚悟を見るためのものですから。無理をして……その、再起不能になってしまうなんて、本当に……もったいないですから」
"もったいない"。
その言葉の選び方が、かえって現実を浮き彫りにした。
「あ、それから、一応お伝えしておきますが」
オーウェンは、申し訳なさそうな笑みを崩さないまま、さらりと言った。
「過去の試験では、普通に死人が出ています。ええ。残念ながら。昨年度も確か……三名ほど、帰らぬ人となりました」
周囲に、小さなざわめきが走る。
実地試験に先立って、受験者は事前に誓約書へ押印している。
危険を理解した上で参加すること。
結果について、ギルドに一切の責を問わないこと。
署名の横へ、指の血も一滴落とした。ただ、覚悟があるかどうかを形に残すためのものだ。
死人が出ている試験だ。
そう説明されてから思い返すと、その手続きの意味も少し重く感じられた。
「皆さんは、そうならないよう、どうか慎重に行動してください。あ、そうそう」
彼は思い出したように、人差し指を立てた。
「今回の課題は、指定された遺構跡地内での行動評価です。ギルドが用意した指定魔獣の討伐、宝箱や罠の解除、そして――」
遺構の奥を示すように、軽く手を振る。
「ゴール地点への到達。これらの達成度に応じて、加点を行います」
試験のためにわざわざ魔獣を捕獲して放すなんて、ギルドも随分と手の込んだことをやる。
しかも、ここはすでに自然に侵食された人工物だ。元から魔物が住み着いている場所に、さらに魔獣を放り込む。安全管理という言葉を、どこかに置き忘れてきたとしか思えない。
それでも、意図はわかる。
ギルドは、安全に守られた枠の中で試すつもりはない。より優秀な冒険者を選び抜くために、最初から線を引いている。
ここを越えられない者に、その先へ進む資格はない。
オーウェンは、最後に穏やかな笑みを浮かべたまま、こう付け加えた。
「『みんなで協力して』くださいね。一人で突っ走って、取り返しのつかないことになったら……本当に、悲しいですから」
それが、忠告なのか、祈りなのかは分からない。
「……それでは。準備ができたパーティから、順に入場してください」
オーウェンは一礼し、引き下がった。
ほどなくして、パーティの割り振りが告げられる。
俺の名前とリィナの名前は、別々の列に呼ばれた。
「お、別みたいだな」
俺がそう言うと、リィナは唇を引き結んで、力強く頷いてみせた。
「うん。でも、大丈夫」
リィナは俺の顔を見て、はっきりと言った。
「同じパーティじゃなくても、わたしができることは変わらない。……まあ、怖くないって言ったら嘘だけどね。それでも、ここで止まる気はないから」
その言葉を聞いて、俺は何も言えなくなった。
リィナはもう、覚悟を決めている。
「無茶はするなよ」
それだけを伝えると、リィナは一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。
「それ、昨日も聞いた気がするー」
「そうだったな」
「うん。でも、ありがとう。無茶はしないよ。だからさ、ノアは自分のことに集中してね」
その言葉に、今度は俺が頷く。
「……ちなみに、いつも無茶してるのはノアのほうだからね」
彼女はむっと頬を膨らませ、それからすぐに表情を緩めた。
「俺も、気をつけるさ」
短くそう返すと、リィナはくすっと笑う。
彼女は一度、深呼吸をしてから、自分の列へ向かった。歩き出してから、ふと思い出したように振り返る。
「これが終わったら、わたし、今より格好良くなってるからね」
「競争か?」
「うん。負けないよー!」
冗談めいた調子だったが、目は真剣だった。
その背中が人混みに紛れ、やがて見えなくなる。
胸の奥に、わずかな空白が残る。
だが、それを気にしている暇はない。
――生き方を、試される。
リィナの前向きな強さを受け取って、意識を切り替えた。
「えーと……同じパーティですね」
背後から、やけに明るい声がかかる。
振り返ると、軽装の革鎧に弓を背負った青年が、屈託のない笑みで手を振っていた。
「俺、アッシュです。国境の村から来ました」
緊張感の中にあって、その態度は場違いに明るい。
だが、不思議と浮いてはいなかった。
その隣に立つ少女は、正反対だった。
短槍を胸に抱え込み、目線は地面に縫い付けられている。
「……は、はぅ……」
声は、今にも消えそうなくらい小さい。
「わ、私……ミレイって言います……その……先に言っておいたほうがいいと思うんですけど……」
そして、こちらを見上げる。
潤んだ瞳で、ひどく真剣な顔をして。
「多分、私、死にます……はぅ〜……」
一瞬、頭が追いつかなかった。
「……ああ、えっと」
俺が何か言うより先に、アッシュが一歩前に出た。
「ごめんなさい。こいつ、最悪の事態を先に言っとかないと、落ち着かない性分なんです」
そう言って、親指で隣の少女を指す。
なるほど……。我がパーティは、想定よりも慌ただしくなりそうな予感がひしひしとした。
「ミレイとは同じ村の出身で。国境の、戦士ばっかりの村です」
そこで少しだけ肩をすくめた。
「だから、こういう場所には慣れてる……って言いたいところなんですけど」
言葉を濁し、困ったように笑う。
「まあ、村の連中と比べると……こいつ、だいぶ慎重で」
「し、慎重っていうか……」
ミレイが小さく口を挟む。
「い、今すぐ、逃げ出したいぐらいです……はぅぅ……」
「ほら、こういう感じ」
アッシュは気にした様子もなく続けた。
「でもまあ、無理はしない。それだけは昔から変わらない」
ミレイは短槍を抱え直し、視線を落としたまま、ぼそりと言う。
「……死ななければ、いいんです」
その言葉に、俺は少しだけ息を止めた。
――同じだ。
言い方は違うが、辿り着いている場所は、俺たちと同じだった。
「俺は、ノアだ。よろしく頼む」
そう言うと、アッシュは素直に頷いた。
「こちらこそ」
ミレイは一拍遅れて、ぺこりと頭を下げる。
「……足、思いっきり引っ張りますけど……すみません……は、はぅ……」
「まだ始まってもいない」
そう返すと、彼女は少しだけ目を見開いてから、小さく頷いた。
そのやり取りの間に、前方で合図が上がる。
――順次、入場。
遺構跡の入口が、怪物の顎のように静かに口を開けて、俺たちを待っていた。
【登場人物】
ノア・フェルド
元騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




