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第十七話 甘い匂いのあとで

 サクッ、と小気味よい音が、木漏れ日亭の食堂の一角に響いた。


「んん〜、これこれ! これだよぉ! 甘いのが体の中でどーんって大爆発してるうぅぅぅ……!!」


 ミーシャが、両手でクッキーを持ったまま、ほっぺたをぱんぱんにしている。

 口の中にも手の中にも幸せを詰め込んで、幸せの臨界点をぶっち切ったみたいな笑顔だった。


「ちょっとミーシャ、慌てないで食べな、ね?」


 リィナがそう言って、粉砂糖で白くなったミーシャの口許を慣れた手つきで拭う。


 ……完全に母親の所作だ。

 いや、年齢的にはそう違わないはずなんだが。


「だいじょーぶ! これはね、噛む前に溶けるやつだから!」


 ……そういう問題じゃない気がする。


 このクッキーは、約束通り西の町外れのお菓子屋で買ってきたものだ。

 それと、実は講義を終えたあと、マークスさんからもいくつか渡されたものだった。


 ――講義、よくついてきたな。

 ――私から君へ()()のクッキーだ。


 ぶっきらぼうに差し出された紙袋。

 その中身が、まさか同じ店のクッキーだったのは少し意外だった。


 人の好みは見た目じゃわからない。

 それにしても、あの強面で甘いものという取り合わせは、なかなかに味わい深い。


 そして、その後のミーシャの喜びようと言ったら……。

 今こうして思い出しても、つい苦笑いが浮かんでしまう。


 ***


「おじちゃんっっ!! だいすき〜〜〜っ!!!」


 ミーシャが両手を広げて、獲物を見つけた小型肉食獣のような速度で一直線に突進した。

 あまりの勢いに、マークスさんが反射的に一歩引いて身構えるほどだった。


「ちょ、待――」


 言い切る前に、どすん、と腹に直撃。

 ミーシャはそのまま腕を回して抱きつき、喜びの加減を完全に見失い、マークスさんの身体を振り回し始めた。


「ちょっ、君、加減を……っ!」


 講義室で見せた威厳も、立ち合いで見せた威圧感も、その瞬間には見る影もない。

 強面の元冒険者は、宙空でいくつもの残像を重ねながら、ぶんぶんと振り回されていた。


「はいはーい、そこまで!」


 泡を吹きそうになる寸前で、リィナが素早く間に割って入る。

 ミーシャを引き剥がすと、マークスさんはその場に膝をつき、ぜえぜえと荒い息をついた。

 そして、窮地を脱した冒険者の顔つきで、


「……あれ。トロールに掴まれてた? 今」


 と、本気とも冗談ともつかない一言を絞り出したのだった。


 ***


 ――そんな一幕があったことなどお構いなしに。


 当の“加害者”、トロールもとい半獣人の娘・ミーシャは、今もなおクッキーに夢中でいる。


「次はどれ食べよっかな〜」


 反省はたぶん、最初の一口で溶けてしまった。


 そのとき――


「ただいま」


 食堂の入口から、聞き慣れた声がした。


 振り向くと、メルクが肩掛けの鞄を揺らしながら入ってくる。


「あ、おかえりメルク」

「メルねーおかえりー! クッキーあるよ!」


 ミーシャが即座に勧誘に入る。


 その様子に、メルクは一瞬だけ足を止める。

 俺たち三人の顔を見渡してから、ふっと小さく息をついた。


「……あら。その感じだと、試験は悪くなかったみたいね」


 そう言いながら、肩掛けの鞄を椅子の背に引っかけて、腰を下ろす。


「戦士職は、まあ問題なく」

「魔法職も、無事終わったよ」


 簡単に報告すると、メルクは納得したように小さく頷いた。


「それは何より。二人ともお疲れ」


 メルクはそう言って一息つくと、指先で鞄の留め具を外した。

 今日は、素材の換金を済ませて、行商人の露店をいくつか冷やかし、掘り出し物がないか目を利かせてきたらしい。

 その足で、帰りがけにギルドにも顔を出して、依頼の掲示板を一通り見てきた、と。


 ――相変わらず、抜け目がない。


 しばらくは、他愛のない話が続いた。


 俺たち――試験組の三人は、それぞれの感想をぽつぽつと口にする。

 戦士職の実戦がどうだったか、魔法技能試験でどこが緊張したか。まだ余韻が新鮮な分、話しているうちに自然と熱が入っていった。


 一方でメルクは、今日の市場の話をしていた。

 デロ・ボアの肉が品薄で、今は高値がつきやすいこと。

 そのせいで仕入れを渋っていたら、露店の裏で野良猫に足へまとわりつかれて、あまりの可愛さに危うく連れて帰りそうになったこと。

 そうやって話しながら、メルクは自然な手つきでミーシャの耳をさわさわしている。


「んふふ〜」


 ミーシャはクッキーの満足感からすっかり上機嫌で、されるがままに耳を撫でられている。


「で――明日は、実地試験だね」


 メルクが、湯気の立つカップを指先で回しながら、自然に話題を戻す。


「うん。三人パーティで、課題を与えられるんだって」


 リィナがそう答えると、メルクが「へぇ」と相槌を打って、言葉を継いだ。


「役割分担と連携を見るやつだね。……場所はどこで?」

「ここからイミラ街道をずっと東のほうに下っていった遺構跡でやるんだって」


 リィナの言葉を聞いた瞬間、メルクは少しだけ眉を寄せた。


「ああ、あそこか。普通に魔物の巣窟になってるよね。……ギルドも、随分な場所を選ぶもんだね」


 その一言に、リィナの背筋が、わずかに伸びたのがわかった。

 意識して気を引き締めた、というより、自然と身体が反応したような感じだ。


 それに気づいたのか、メルクはカップを指先で静かに置いて、肩の力を抜くように言った。


「まあ……あまり気負わなくていいよ」


 声は低くて、穏やかで、押しつけがましさがない。

 リィナへ向かって、静かに語りかけるように。


「実地試験はね、できることを、ちゃんとできるかを見る場だから。無理して派手にやる必要はないし、危ないと思ったら引けばいい」


 経験を積んだ人間の、余計な飾りのない言葉だった。


「引く判断ができるのも、立派な実力だよ」


 その一言で、リィナの肩に入っていた力が、すっと抜けたのがわかった。


「……ありがとう、メルク」


 小さく頭を下げると、メルクは片目を閉じて軽く笑う。


「ううん。どういたしまして」


 それから、ちらっと俺のほうを見た。


「それに、一人で行くわけじゃないでしょ」


 その言葉に、リィナも視線をこちらへ向ける。


「あぁ、大丈夫だ」


 俺は深刻になりすぎないように、メルクがつくった空気をそのまま引き継いだ。


「本当に危なくなったら、逃げよう。実地試験だろうが何だろうが、命まで危険に晒すことはない」


 当たり前のことを言っただけだ。

 試験の結果だとか、周囲の評価だとか、そんなものは二の次だ。

 まずは、生きて帰る。それだけは、全員一致だ。


「そういうこと」


 メルクが、うん、と小さく頷く。


「試験が無事終わったら、楽しい依頼も待ってるからね」


 ――と、メルクは何でもないことみたいに言った。

 あまりにも自然で、俺は一瞬、聞き流しかける。


「……依頼? どんなの?」

「アイアン上級相当のやつ」

「……は?」


 言葉の意味が、一拍遅れて意味を持つ。


 アイアン上級。

 まだ正式に合格もしていない。実地試験はこれからだし、俺とリィナは今もブロンズ等級だ。

 その段階で出てくる話としては、明らかに一段重い。


「それ、だいぶ話が飛んでないか?」

「まだ()()()()だから」


 メルクは悪びれた様子もなく、さらりと返す。


「条件と編成だけ先に通しておくの。いい依頼ほど、待ってくれないから」

「……受かる前提で話が進んでる気がするんだが」


 俺がそう言うと、メルクはくすっと小さく笑った。


「その前提がないと、話も回らないでしょ?」


 妙に現実的で、反論しづらい答えだった。


「いや、そういう問題じゃなくて……」


 横を見ると、リィナも少しだけ目を丸くしている。


「依頼内容は?」


 俺が聞き返すと、メルクはカップに口をつけながら、淡々と説明を始めた。


「最近、デロ・ボアの肉が市場から消えてるでしょ」

「言ってたな。高値ついてるって」

「原因がね、南の採掘跡地らしいの」


 採掘跡地。

 その言葉だけで、嫌な予感が胸の奥に沈む。


 人の手が入り、途中で放棄された場所。

 地形は不自然に歪み、魔素の流れも乱れやすい。

 そういう場所には、本来いるはずのない魔物が棲みつく。


「魔物の出没が増えて、狩人が近寄れなくなってる。それだけじゃなくて――」


 メルクは、そこで一瞬だけ言葉を切った。


「付近で、行方不明者も出てる」


 食堂の空気が、ほんの少しだけ静まった。


 厨房からは、グスタさんとベラさんが夕食の支度を進める音が響いてくる。包丁がまな板を叩く音。鍋をかき混ぜる音。

 ミーシャは、話の不穏な空気など気にも留めず、厨房から漂ってくる匂いに鼻をすんすんさせていた。


「……それを、試験明けの俺たちで?」

「シルバー一人、アイアン三人。編成としては問題ないでしょ」


 ――話が、もう一歩先を歩いている。

 俺は、いちばん気になっていたところを切り出した。


「そもそも、エルシーは了承したのか?」


 エルシーは、この辺境都市リューネスの冒険者ギルドで、依頼の受注と割り振りを取り仕切っている責任者だ。

 机上の管理者ではなく、しっかり現場の知識を持っていて、危険度や人選にはやたらと厳しい。仮押さえだとしても、彼女の判子がなければ話は前に進まない。


 俺の問いに、メルクはあっさりと頷いた。


「うん。もう判子もらってきたよ」

「あのエルシーが……? メルク、何かしたのか?」

「いやいや、逆にこっちが聞きたいわ」


 そう言ってから、少しだけ肩をすくめる。


「マークスって厳つい人が来て、口を利いてくれたのよ。『ノア、リィナ、ミーシャは、私のお墨付きだ』って」


 その名前に、俺は一瞬、言葉を失った。


「……あの、マークスさん?」

「うん。その、マークスさん」


 メルクは俺たちを見回して、首を傾げた。


「エルシーもちょっと渋い顔してたけどね。そのあとすぐ判子押して、『マークス監査官がそう言うなら』って」


 監査官――冒険者ギルド中央評議会、直轄監査官。

 各支部の運営から、所属する冒険者の素行までを、法と規律の物差しで裁くギルドの番人だ。

 冒険者という自由な生き方を、組織という大きな枠組みの中に繋ぎ止めるための、冷徹な楔。

 そんなとんでもない肩書きの人間が、一介の冒険者に過ぎない俺たちの実力を保証した。それが、どれほど重い意味を持つか――嫌でもわかる。


 講義で睨まれて、実戦で打ち合って、ミーシャに危うく失神しかけるほど振り回されていた、あの人が。


「……マークスさんって、そんなすごい人だったんだね」


 リィナが思わず、ぽつりと零す。


「アンタら、一体何したの?」


 訝しむように尋ねるメルクに、


「クッキーもらったんだよ?」


 ミーシャが、何の含みもなく即答した。


「講義がんばったねーって! 対価だって! 紙袋で!」


 メルクが一瞬、言葉を失う。


「……それだけ?」

「うん!」


 満面の笑みで、最後の一枚をかじる。

 少しの沈黙のあと、メルクが小さく息を吐いた。


「……なるほどね」


 それ以上追求したところで見返りはない、と判断した反応だ。


「ま、いいわ」


 そう言って、話を締める。


「お墨付きもらったのは事実だし。あとは、実地試験を無事に終えるだけね」


 ミーシャはこの後の夕食のことで頭がいっぱいで、リィナは少しだけ表情を引き締め、俺は心の中でひとつ覚悟を決める。


 どうやら俺たちは、自覚のないところで、だいぶ目をつけられていたらしい。


 しかも、そのきっかけの一端がクッキーだとしたら――

 世の中、本当にわからないものである。

【登場人物】

ノア・フェルド

元騎士、いまは普通の冒険者の青年。

パーティメンバーをまとめる。

リィナ・ハルト

魔法使い兼学者の少女。

結界と魔法で、みんなを守る。

メルク・ヴァランタン

シーフ担当、現実主義者の女性。

みんなの財布の紐を守る。

ミーシャ・ヴァルヤ

半獣人の少女。

戦闘は強い、常識は弱い。

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