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第十五話 わたしの立つ場所

リィナ視点

「よし、俺はここまで。次はリィナの出番だな」


 ノアはそう言って、わたしの後ろへ回った。

 わたしが前へ進むための場所を、そっと空けてくれるみたいに。


「リィナっち、ミーシャがついてるからね! だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、きっとできるし、うまくいくし、失敗しても、あとで美味しいもの食べながら一緒に考えよ! だからがんばれー!」


 ミーシャは、勢いのまま一息に言い切った。

 言葉を選ぶ前に、精一杯の励ましたい気持ちを片っ端から全部詰め込んだみたいな調子で。

 いかにも、ミーシャらしい。


「……おいおい」


 すぐ後ろで、ノアが小さく呟いた。

 呆れつつも、でもどこか安心しているみたいな声だった。


 二人のおかげで、張りつめていたものがすっと緩む。


 ――ああ、そうだ。

 わたしは、ひとりで立つわけじゃない。


 胸の奥で渦を巻いていた緊張が、少しずつほぐれていくのがわかった。


「うん。行ってくるね!」


 わたしは小さく手を振って、訓練場へ足を踏み入れた。

 冒険者ギルドの建物裏にあるその区画は、柵で囲われていて、いまは魔法職志望の受験者が二十人ほど集まっている。


 ほんの少し前まで、ここでは戦士職の技能試験が行われていた。

 人と人が向き合い、武器を振るい合っていた場所だ。


 ――戦う、ということ。


 さっきまで目の前で繰り広げられていたのは、ルールがあって、審判がいて、見守る人たちもいて、それでも――ほんの少し間違えば、人が人を壊してしまう現実だった。


 試験、なんて言葉から想像していたより、ずっと生々しくて、重たくて、冷たい。

 頭ではわかっていたはずの()()という言葉が、ようやく実感として胸に落ちてきた。


 ここから先は、そういう世界だ。

 ノアも、ミーシャも、メルクも――もう、そこに立っている。


 正直、怖い。

 少し、なんて言葉じゃ足りないくらい。


 これまでは、自分の頭の中で描ける範囲を冒険してきた。

 想像できて、理解できて、両手の中に収まりそうな場所だけを選んで。


 でも、ここから先はきっと違う。


 不思議と心細くはなかった。

 みんながその先で待ってくれていると思うだけで、足取りが少し軽くなる。


 ――大丈夫。


 怖いままでも、いい。

 わたしは、わたしのやり方で、そこに立つ。


「では、魔法職の技能試験を開始します」


 若い試験官が、少しだけ緊張した声で告げる。

 その一言で、空気が切り替わった。


 戦士職のときみたいに、とげとげしい視線は飛んでこない。

 魔法職は、お互いに向かい合って対戦はしないから。


 でも、だからといって気楽かというと、そうじゃない。魔法は魔法で、別の怖さがある。

 失敗すれば、自分だけじゃ済まない。下手をすると、周りまで巻き込んでしまう。


「対象となる魔法系統は、攻撃・防御・回復・支援の四種類です。その中で、自身が得意な系統を選択してください」


 訓練場の中央には、半透明の結晶柱がいくつか設置されている。

 魔法が触れれば、色や光の揺らぎで、魔素の状態がわかる――魔素共鳴結晶。


 人の感覚だけじゃ測れない部分を、正直に映すための媒介だ。


「ちなみに……その域に達している方は到底いないとは思いますが、詠唱文の省略は、今回は認められていません。必ず詠唱を行ってください」


 その瞬間、あちこちから小さな反応が返ってくる。


「そりゃそうだろ」

「無詠唱なんて、ありえないでしょ」

「できたら、もう試験なんて受けてないって」


 試験官はそれを制するように、視線を上げた。


「はい。では、その当たり前について確認します」


 軽く間を置いてから、名簿に目を落とす。


「……リィナ・ハルトさん」


 急に名前を呼ばれて、わたしは小さく息を吸った。


「はい」

「詠唱文は、なぜ必要だと思いますか?」


 問いの声は、静かだった。

 意地悪でも、揺さぶるようでもない。

 ただ、理解しているかどうかを確かめるための温度感。


 わたしは一度、頭の中で言葉を整える。


 魔法は感覚じゃない。

 でも、理屈だけでも足りない。


 ――だからこそ。


「魔素そのものは、形も意味も持たない、不定形のエネルギーだからです」


 そう前置いて、言葉を続けた。


「それを外界に影響を及ぼす()()として固定するには、術者の知覚の中で、結果をはっきり定義する必要があります。詠唱は、そのための工程です」


 試験官は、わずかに目を細める。


「もう少し、具体的に」

「はい。人間は、魔素を直接制御できません。意識だけで扱おうとすると、どうしても曖昧になります。だから()()を使って、思考を分解します」


 ――火。

 ――熱。

 ――放て。


「詠唱は、魔素に命令するためのものではなくて、術者自身の認識を固定するためのものです。曖昧な像を、世界の法則に合わせて落とし込むための……(くさび)、だと思っています」


 周囲に一瞬の静寂が落ちて、それから試験官は、うんうんと頷いた。


「ええ、その通りですね。世界は広く、魔素はあまりに自由すぎる。人間一人の意識で、それをそのまま扱うことはできません。だから我々は、言葉という形で()()する」


 試験官は、周囲の受験者たちにも視線を向ける。


「認識の固定化――それが詠唱の役割です」


 よかった。

 ちゃんと、伝わった。


「それでは、準備を」


 結晶が、静かに光を帯びる。

 淡い光が、地面に落ちている影をほんの少しだけ縁取った。


 顔を上げると、空はよく晴れていた。

 午後の空らしい、少し白みがかった青。大小の雲が、流れるほどでもなく、ただぼんやりと浮かんでいた。


 柵の向こうに視線を向けると、ノアとミーシャがいた。

 ノアは腕を組んで、いつもの落ち着いた顔。

 ミーシャはというと、じっとしていられないのか、尻尾がゆらゆら揺れている。


 二人と、ふっと目が合った。

 わたしは、ちょっと勇ましく――ぐっと、握り拳を作って見せる。


 それに気づいた瞬間、


「おー! リィナっち、決まってるー!」


 ミーシャの大きな声が、柵の向こうから元気よく飛んできた。


「こら」


 ノアが無言でミーシャの口を押さえた。


「むぐっ!? んんー!」

「静かにしろ。今からだろ」


 もごもご抗議するミーシャを片手で抑えたまま、ノアはちらっとこちらを見る。


 言葉はない。

 でも、ちゃんと届く。


 ――行ってこい。

 そんな目だった。


 わたしは、もう一度だけ小さく拳を握り直して、前を向いた。


 ――よし、いよいよだ!

 わたしは、大きく深呼吸をした。

【登場人物】

ノア・フェルド

元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。

パーティメンバーをまとめる。

リィナ・ハルト

魔法使い兼学者の少女。

結界と魔法で、みんなを守る。

メルク・ヴァランタン

シーフ担当、現実主義者の女性。

みんなの財布の紐を守る。

ミーシャ・ヴァルヤ

半獣人の少女。

戦闘は強い、常識は弱い。

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