第十四話 力を振るう理由
戦士職の技能試験――
受験者たちは順に呼び出され、実戦形式の試験に臨んでいく。
木製の訓練用武器とはいえ、当たり所を誤れば大怪我になりかねない。だからこそ、試験場には常に緊張が張りついていた。
堅実に構える者。
勢いだけで攻める者。
防御を重視し、決定打を欠く者。
実力は、はっきりとわかれていく。
――アイアン等級。
その称号は決して軽くはない。
ここから先は、冒険者として生き残れるかどうかを、現実が選別する。
先ほどのシドニアの試合の余韻も、まだ完全には消えていない。
誰もが無意識のうちに、同じ場に立つ相手を比較対象として意識し、必要以上に口を開かなくなっていた。
――やがて。
試験官が名簿に目を落とし、
「……ノア」
名前が呼ばれた瞬間、視線が集まる。
シドニアがさんざん騒いでくれたおかげで、好奇と警戒が入り混じった視線を無遠慮に浴びせられる。
俺は木剣を手の中で検めて、前に出た。
その正面に――
「……おいおい」
誰かが、思わず声を漏らした。
向かいに立ったのは、マークスだ。
さっきまで講義台に立っていた、あの甲高い声の男。年配で、白髪混じりで、厳めしい表情を崩さない――元冒険者然とした佇まい。
「相手は、私だ」
ざわり、と小さなどよめきが起こる。
「奇数でな、誰かが余る。だから、私が君の相手をする」
その口調は、あくまで落ち着いていた。
しかし、その視線には甘さや遠慮が微塵もない。俺の実力を、正確に見定めようとしている。
「安心して、思いきり打ち込んでこい」
マークスは、口の端を少しだけ上げた。
「これでも私は、長らくシルバー等級でならした身だ。討伐した魔物の数は……まあ、数えるのをやめたくらいにはな」
冗談めかしているが、謙遜はない。
なるほど――講義室で感じた印象のままだ。
いや。こうして正面で相対すると、印象はさらに深まる。
立ち姿に隙はない。威圧する様子もないが、それでも全身から静かな圧が滲み出ている。
試験官が、一歩下がる。
「――両者、構え」
俺は木剣を構え、マークスと向き合った。
視線が交差する。
この人は、強い。
そして、おそらく容赦しない。
試験官の声が、場を切った。
「始め!」
短い合図と同時に、実戦が始まった。
マークスは、木剣を上段に構える。
その瞬間、空気が一段、重くなった。
年齢も体格も、俺のほうが有利なはずだ。
それでも、視界の中の存在感は逆転している。
――大きい。
実際の体躯ではない。
気配が、輪郭を押し広げている。
身体が一回り、いや二回りは大きく見えた。
間合いを外したまま、こちらの呼吸、重心、わずかな癖を逃さず探っているのがわかる。
経験の塊だ。
俺は木剣を中段に構え、足裏の感覚に意識を集中させる。
少しずつ、じりじりと距離を詰めていく。
緊張を破ったのは、マークスだった。
「あ"っ」
喉の奥から、空気が裂けるような音が漏れた。
呼吸が限界まで圧縮され、弾けた音。
次の瞬間、木剣が――眼前にあった。
俺は反射的にそれを払い、そのまま切先を突きつける。
わずかに逸れる。
いつの間にか、間合いがずらされていた。
マークスは、もう笑っていた。
「……いい反応だ」
甲高い声。
だが、そこに軽さはない。
次の瞬間、砂煙が舞った。
木剣同士がぶつかる。乾いた音が、短く何度も弾けた。
打ち合いは、一合、二合。
互いに踏み込み、払い、引く。
決定打を狙うでもなく、崩し合うでもなく、間合いと間合いを削り合う。
――読まれている。
踏み込めば、半歩引かれる。
引けば、半歩詰められる。
剣先を走らせれば、最短距離で塞がれる。
攻めているつもりで、試されている。
だが同時に、こちらも同じことをしている。
数合を重ねたところで、マークスの足が、わずかに止まった。
俺も、それ以上踏み込まなかった。
剣先が交わったまま、互いの間に沈黙が落ちる。
「……十分だ」
マークスが、静かに言った。
お互いに木剣を下ろし、一歩、距離を取る。
試験官が、間を置いて告げる。
「――ここまで」
場内に張り詰めていた空気が、ようやく緩む。
誰かが、息を吐く音が聞こえた。
マークスは、こちらを見て小さく頷いた。
「いやいや……噂通りだ。久々に昂った」
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
それは講義室で見せたものとは違う、戦いの後でしか現れない表情だった。
「ありがとうございました」
俺は一礼し、試験場を下がる。
背中に、あの甲高い声が投げられた。
「――いい剣だ。まだ伸びる」
振り返ることはしなかった。
互角に打ち合った。それだけで、十分だった。
「――以上をもって、戦士職の技能試験を終了する」
試験官の声が、試験場に響いた。
あちこちで息を吐く音が重なり、張力が抜けた弦みたいに場が緩んだ。
俺は一日の課程をやり終えて、ひと息つくように背を伸ばした。
身体の芯には、まだ微かな熱が残っていた。
――そのときだ。
「……おい」
背後から、低い声がした。
振り返るまでもなく、誰の声かわかる。
この場で、そんな距離感で声をかけてくる人間は一人しかいない。
シドニアだった。
さっきまでの試合の余韻を引きずったままの目で、こちらを見ている。
興奮が抜けきらない様子だ。
「あのおっさん相手に、あそこまでやれるとは思わなかった」
「……見てたの?」
「当たり前だろ」
吐き捨てるように言って、一歩、距離を詰めてくる。
さっきよりも、露骨だ。
「やっぱり、アンタとやりたい」
「試験は終わった」
「だから、だよ」
肩に担いでいた木剣を、ゆっくりと下ろす。
試験官の視線がまだ残っているにもかかわらず。
「今の、手ぇ抜いてただろ」
「……」
「必要な分だけ出してる。そんな感じだ」
声が、少しだけ低くなる。
「なんか、気に食わねえ」
シドニアの笑みが、歪む。
「力があるなら、全部使えよ」
――それを言われるのは、好きじゃない。
「……俺さ」
「?」
「そういうの嫌いなんだ。挑発されるの」
「……あ?」
空気が、はっきりと変わった。
「挑発じゃねえよ、誘ってやってんだ」
「誘いなら、もう少し上手くやれよ」
自分でも驚くほど、声が低くなっていた。
「……面白え。いいよ」
シドニアの纏う気配が変わる。
さっきまでとは質が違う。剣を振るっていたときと同じ――いや、それ以上だ。
「じゃあ、無理にでも相手してもらう」
シドニアの目が、本気で見開かれた。
――ああ、まずい。
これは、完全に火を点けた。
「ノア!」
聞き慣れた声が飛んできた。
振り向くと、リィナがこちらへ駆けてくる。
その横――
「なになに!? ケンカ!?」
ミーシャだ。
完全に状況を誤解して、もう拳を握っている。
「ちょっとミーシャ、落ち着いて」
「えー? でもなんかピリピリしてるよ?」
ミーシャは俺の前に立つように一歩出て、軽く腰を落とす。
まるで拳闘士のような構えだ。
空気とは裏腹に、尻尾が左右にのんきに揺れている。
その温度差に、思わず肩の力が抜けた。
「……おいおい」
低く笑う声。
シドニアが、俺ではなくミーシャを見る。
次にリィナへと視線を流し、小さく鼻を鳴らした。
「なんだよ。女付きかよ」
「……は?」
リィナが眉をひそめる。
ミーシャは首を傾げたまま、拳を下ろさない。
「急に冷めたわ」
さっきまでの殺気が、嘘みたいに消える。
興味を失った目で、俺から視線を外した。
「まあいい。今日はこれで終いだ」
そう言って、シドニアは木剣を肩に担ぎ直す。
すれ違いざま、ちらりとこちらを見て、
「逃げんなよ、ノア」
それだけ残して、試験場の外へ歩いていった。
残された空気が、ようやく正常に戻る。
「……行ったね」
「行ったな」
ミーシャが、ようやく構えを解く。
リィナは小さくため息をついてから、俺を見る。
「大丈夫?」
「ああ。……心配かけた」
言うと、彼女は首を振った。
「心配はするよ。仲間なんだから」
その一言で、胸の奥に残っていたささくれが、少しだけ丸くなった気がした。
「ノアっち、なんかしたの?」
「別に、嫌いだって言っただけだ」
「ふーん……変な人だね」
ミーシャの感想は、たぶん正しい。
俺は、去っていく背中を見ながら思った。
あれは、変な人だ。
そしてきっと、完全に目をつけられている。
――やっぱり面倒だ。




