第十三話 無辜の暴力
事前講義の後、筆記試験は静かに始まり、静かに進んでいた。
地下講義室。
机に向かう受験者たちは、それぞれの速度で紙に向き合っている。ペンの音と、紙をめくるかすかな気配だけが、閉ざされた空間を満たしていた。
――試験って、こんなに地味だったか。
問題文を読み解きながら、そんなことを考える。
内容は事前講義で触れた範囲に加えて、フェルディア王国の法、地理、歴史。知っているものもあれば、記憶の奥を引っ張り出さないといけないものもある。
わからないところは一旦飛ばしつつ、答案用紙が半分に届くかどうか――というところで、隣の気配が変わった。
……ん?
顔を上げると、リィナが静かに立ち上がっている。
体調でも悪くしたか?
そんな心配が一瞬よぎったが、彼女は迷いなく答案と荷物をまとめて、前のほうへ歩いていった。
監督官に答案を差し出し、軽く一礼する。監督官のほうが、思わず目を丸くしていた。
歩き方が、完全に終わった人のそれだ。
俺は視線を手元に戻す。
自分の答案は、せいぜい三分の一が埋まったくらい。
……早くない?
いや、まあ、リィナなら普通か。
むしろ、最後まで席に残っていたほうが不安になる。
一方で、ミーシャの姿は当然ない。
彼女は事前講義のみの特別参加枠だ。
今頃は、講義が終わったご褒美のクッキーのことでも考えているだろう。
あの集中力を試験に向けられないのは惜しい気もするが、向けたら向けたで別の問題が起きそうな気もする。
俺は再び答案に向き直った。
――まあいい。自分のペースでやろう。
やがて、講義室に終了の合図が響く。
「以上で、学術試験を終了する」
俺はペンを置き、ようやく肩の力を抜いた。
答案を提出して講義室を出ると、廊下にリィナとミーシャがいた。
声を掛けると、二人が気付いて歩み寄ってくる。
「お疲れさま、ノア」
「ノアっち、おっつー!」
「おう。てかリィナ……早いな」
「うん? まあ偶然、知ってる内容が多かったからね」
「リィナっち、速攻だったよねー。びっくりした!」
ミーシャはそう言って、少し誇らしげに胸を張る。なぜか、終わったのは自分みたいな顔だ。
「次は技能試験だね」
「ああ。戦士職から、だったか」
そう答えると、ミーシャが拳を握る。
「よーし! 応援する!」
「ミーシャは見てるだけだぞ」
「わかってるよ! でも応援はする!」
ミーシャは、ふんふんと鼻息を鳴らしながら、その場で勢いよく足踏みをしてみせる。
どう見ても、応援する側の挙動ではなかった。
「無理しないで。……って言っても、無理するよね」
「信用がないな」
「実績があるからね」
正しい指摘に、返す言葉がなかった。
廊下の奥から、受験者の集合を呼び掛ける声が響く。
俺は一度、二人の顔を見てから、軽く肩を回した。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい、ノア」
「がんばれー! いつも通りねー!」
背中に届く声を受け取りながら、俺は試験会場へ歩き出した。
――さて。
ここからが、本番だ。
技能試験会場は、冒険者ギルドの建物裏手にある訓練場だった。
普段は、冒険者向けに技能訓練が行われている場所だ。剣術、槍術、斧術、弓術、武術、魔法、解錠――冒険者に必要な技能を一通り扱い、そのための専属教官も在籍している。
料金さえ支払えば、誰でも利用できる。
冒険者にとっては日常の延長であり、同時に、自分の力量を突きつけられる場所でもある。
今日は、その訓練場が試験会場だった。
「これより技能試験を行う。戦士職から開始し、その後、魔法職へ移行する」
試験官の声が響く。
その瞬間、空気がぴしりと切り替わった。
今度は机の上じゃない。身体ひとつで、評価される時間だ。
戦士職の技能試験は、実戦形式だ。
刃を潰した木製の訓練用武器を用い、対人で戦う。
対戦相手の発表まで、各自待機――
そう告げられて、受験者たちは武器を手に静かに立っていた。
「なあ」
横から、不意に声を掛けられる。
声のほうを向くと、血気盛んを形にしたような男が、粗暴な足取りで歩いてきた。
年の頃は、俺より若い。
十八、九――せいぜい、そのあたりだろう。
木剣を肩に担ぎ、口元には妙に楽しげな笑みを浮かべている。
試験前の張り詰めた空気を、ひとりだけ踏み荒らしているような存在感だった。
「アンタさ」
距離が、近い。
半歩も下がらず、覗き込むように顔を寄せてくる。
「森の変異体、落としたって噂のやつだろ?」
ぎらついた目だった。
敵意というより、面白い遊び道具を目前にしたときのそれに近い。
「……そうかもな」
「ははっ、やっぱり」
男は、勝手に納得したように笑う。
「いいねえ。でも噂で想像してた感じとは違うな。もっとゴツいのかと思ってた」
褒めているのか、値踏みしているのか。
言葉の端々に、遠慮というものがない。
「シドニアだ。よろしくな」
名乗り方も雑だった。
握手を求めるでもなく、ただ名前だけを投げてくる。
「次の技能試験、アンタと当たったら最高だな」
「……どういう意味だ」
「決まってるだろ」
シドニアは木剣を肩から下ろし、そのまま俺の顔の前に突き出した。
刃のないはずの剣先が、やけに近い。
「本気で殴れる相手ってことだ」
冗談めいた口調だが、笑っていない。
周囲の受験者たちが、面倒事には近づきまいとするように、無言で視線を逸らす。
俺は、剣先から目を離さずに言った。
「……試験は、点数を稼ぐ場だ」
「お、いいねー。その余裕」
シドニアは楽しそうに、ニィ、と口角を上げる。
「ますますやり合いたい。なあ、逃げんなよ?」
そう言い残して、男――シドニアはあっさりと距離を取った。
まるで、すでに勝負は始まっているかのように。
やがて、技能試験開始の準備が整い、試験官が告げた。
「戦士職、技能試験。対戦は順番に行う。第一試合。シドニア対――」
次に呼ばれたのは、俺の名前じゃなかった。
シドニアは一歩前に出かけて、すぐに眉をひそめた。
「……あ?」
こちらを一瞥する。
次の瞬間、堪えきれなかったように声を荒げた。
「何だよ、あいつじゃねえのかよ!?」
試験場に、ぴしりと緊張が走る。
「おい、静かにしろ」
試験官が注意するが、シドニアは舌打ちした。
「チッ……つまんねえ」
木剣を握る指に、力がこもる。
「あとでだ。こんな面子――お前じゃなきゃ意味ねえ」
吐き捨てるように言って、対戦位置へ向かう。
体格差でいえば、シドニアのほうが明らかに小さい。
眼中にない、という態度を隠そうともしないその振る舞いが、よほど癪に障ったのだろう。
対戦相手は歯を食いしばり、今にも飛びかかりそうな目で睨みつけている。
試験官が、短く告げる。
「……構え。始め!」
シドニアの口元が、歪んだ。
次の瞬間、木剣が唸りを上げる。
――速い。
駆け引きも、間もない。
間合いに入った瞬間、木剣が横薙ぎに振るわれる。
木剣を振り切る音が、一発目から重い。
防御ごと叩き潰すような一撃で、相手の身体が後ろへ弾き飛んだ。
「っ……!」
相手が体勢を立て直すより早く、二撃目。
返すように横薙ぎ。防ごうとした腕を叩き、衝撃で膝が崩れる。
そこで終わらない。
三撃、四撃。
倒れかけた相手を、逃がさないように詰める。
訓練用の武器だ。
殺しはしない。だが――壊す気で振っている。
「おい、そこまでだ!」
試験官の声が飛ぶ。
聞こえていないのか、聞く気がないのか。
シドニアはまったく止まる気配がない。
相手が地面に転がる。
それでも、さらに追い打ち。
腹。肩。脇腹。
木剣が当たるたび、鈍い音が連続する。
「やめろ! もう十分だ!」
試験官の声が荒くなる。
それでも止まらない。
最後は、倒れた相手に跨り、上から振り下ろす構えに入ったところで、試験官が飛び込んだ。
「止まれっ!」
腕を掴まれて、ようやく動きが止まる。
それでも、シドニアは振りほどこうとする。
「あ?」
低い声だった。
一瞬、殺気が剥き出しになる。
掴んでいる試験官の腕に、力が込められる。
周囲の空気が、完全に凍りついた。
次の瞬間。
シドニアは、ふっと力を抜いた。
「あー……」
頭を掻いて、乾いた笑いを浮かべる。
「ははっ、わりいわりい」
さっきまでの獣みたいな目は消えている。
まるで別人だ。
倒れている受験生を一瞥して、
「まあ大丈夫だろ? 死んでねえし」
軽口だった。
試験官は、何も言えずに腕を離す。
場内は、しばらく誰も声を出せなかった。
俺は、その光景を見ながら思う。
蛮勇。
こいつは、自分の身体を、他人の身体と同じ重さで扱っている。
闘争や勝利への欲求が、苦痛への恐怖を上回る。
――いや、恐怖すら、興奮の一部なのかもしれない。
まあ、うちのパーティにも似たようなやつが一人いるが。獣耳と尻尾付きで。
しかし、血気盛んなんて言葉では足りない。
強さを誇示したいわけでも、証明したいわけでもない。
ただ、自分の力を全力で振るうことに価値を見出している。そこに、生きている実感があるのかもしれない。
倒れた受験生は、仰向けのまま荒い息をついていた。胸が大きく上下するだけで、指一本動かせない。
「……っ、は……っ」
声にならない呼吸音が漏れる。
遅れて、治療班が駆け込んできた。
簡易担架が広げられ、手早く固定される。
「骨が折れてる。慎重に運べ」
「動かすな。今は喋らせるな」
担架が持ち上げられると、受験生の喉から短い呻きが漏れた。それきり目を閉じる。
講義室の外へ運ばれていく様子を、皆が見守っていた。
シドニアは、その様子を一瞬だけ見ていた。
特に感慨もなさそうに。
「……」
次の瞬間には、もう興味を失ったように視線を逸らす。
周囲の受験生たちは、声を潜めている。
さっきまでのざわめきは消え、残っているのは重たい沈黙だけだ。
試験官は、シドニアから半歩距離を取ったまま、咳払いを一つした。
「……勝者、シドニア」
シドニアは肩を回し、こちらを振り返った。
先ほどと同じように、ニィ、と笑う。
期待と、興奮と、
それから、飢え。
こういう手合いは、執着が深い。
――面倒なことになりそうだ。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
⸻
メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




