第十二話 魔物とは
マークスの甲高い声が、講義室に響き渡る。
窓のない閉塞した空間のせいか、声は壁に反響してよく通る。
見た目との落差はいまだに慣れないが、話の中身は実に実践的だった。
前方の席では、受験生たちがそれぞれの反応を見せている。腕を組んでいる者、無言で頷く者、必死に筆を走らせる者。
緊張の質は違えど、全員がこれから踏み込む領域を意識し始めている。
隣のリィナは、背筋を伸ばしたまま講義に集中していた。
筆を握り、理解した内容だけを選び取るように書き留めている。こういう場では、やはり頼もしい。
対してミーシャは、欠伸を噛み殺しながら何度も船を漕ぎかけていた。
そのたびに、リィナに肘を軽く突かれる。
びくりと跳ねて姿勢を正すが、真剣な顔のまま、視線だけが少し宙を泳ぐ。
耳元で、小さく「あと少しだよ」と囁かれ、ミーシャもミーシャなりに頑張っていた。
俺はそれらを横目に、講義を聞いていた。
内容自体は知っている話も多い。しかし、こうして整理されると改めて思う。
――アイアン等級とは、できることが増える場所じゃない。関わってもいいことが増える場所なのだと。
そして、その線引きの中でも。
マークスが、ひときわ言葉を選んで話し始めたのが――
魔物について、だった。
「魔物とは、何だ?」
マークスは、何人かの受験生を指していく。
「……人を襲う存在です」
「討伐対象、です」
彼は小さく首を振った。
「結果としては、そうだ。だが定義としては違う」
間を置いて、はっきりと言う。
「魔物とは――人の生活圏と共存できない存在を指す」
なるほど、と腑に落ちた。
危険かどうかではない。善悪でもない。
同じ場所で生きられないから、線を引く。それだけの話だ。
隣では、リィナが静かに頷いている。
理屈として、すんなり飲み込めたらしい。
ミーシャはというと、真剣な顔のまま首を傾げていた。
"戦えるかどうか"で分類していた思考を、いま必死に組み替えているのかもしれない。
マークスは、黒板に図表を貼り出し、魔物の大分類について説明を始めた。
「まず、群生知性種。ゴブリン、オーク、トロールなどだ。君たちの中には、すでに相対した経験がある者もいるだろう」
何人かが視線を伏せた。
冒険者を続けていれば、いずれ必ず向き合う相手だ。
「こいつらには群れがあり、独自の言語があり、道具も使う。だが――」
黒板を叩く乾いた音が、講義室に響く。
「世代を超えて受け継がれる文明がない。個の死が、集団の蓄積を断ち切る。歴史を残さない」
文明がない――
マークスは、そこを殊更に強調した。
ゆえに、共存や交渉の前提条件が成立しない。それならば、同じ場所で生きるという選択肢は最初から存在しない。
「だからこいつらは人ではない。国家法の保護対象ではなく、管理され、排除されるべき敵性集団として扱われる」
ゴブリン討伐など、珍しくもない依頼だ。だが、こうして定義されると、それが人間側の都合であることを否応なく意識させられる。
もっとも――
そうしなければ、人の生活が成り立たないのも事実だ。
村が焼かれ、道が断たれ、商いが止まる。
そうした現実を前にすれば、感情論は簡単に後ろへ追いやられる。
人の生活圏にもたらされる実害は、それほどまでに大きい。
「アイアン等級以上の仕事の半分は、この歴史を持たない者たちとの境界線争いだ」
リィナは、小さく頷いていた。
これまで彼女が受けてきたのは、素材採取や調査が中心だ。
――ここから先は、明確に違う。
その境目を、彼女なりに理解し、受け入れようとしているように見えた。
「そして、次。――魔素由来生命だ」
講義室の空気が、わずかに変わる。
どう説明されるのかは、だいたい想像がついていた。それでも、聞かないわけにはいかない。
アイアン等級とは、そういう場所に足を踏み入れる資格なのだから。
「魔素――マナの侵食によって生まれた、生態の不安定な存在だ。魔獣、魔素生物、そして――」
マークスは少し間を置いて、次の言葉に力点を置く。
「変異体」
受験生の間で、小さな嘆息がいくつか重なった。
「生物としての理を外れた成れの果てだ。繁殖も循環もできず、ただ周囲を壊しながら存在し続ける」
俺は無意識に呼吸を整えていた。
「原則として、これらは対魔騎士団――剣誓騎士団の管轄となる。冒険者が積極的に関与する対象ではない」
教室の空気が、わずかに張り詰める。
こうして他人の口から剣誓騎士団の名を聞くと、どうしても反応してしまう。
マークスの声に善悪を測る響きはない。ただの事実を述べている。
それでも、その距離感ははっきりしていた。
王都では、銀の死神だの、グリフォンの連中だのと、好き勝手に呼ばれていた。
秩序の象徴であり、同時に忌避の対象でもある。
胸の奥が、ちくりと痛む。
「もっとも……状況によっては、冒険者が先に対処する場合もある。その判断は、現場と上位組織に委ねられる」
普通、冒険者は変異体を好んで相手にしない。危険のわりに、得られるものが少ないからだ。
素材はほとんど残らず、ギルドから危険手当が出たとしても、メルクの言葉を借りて言うなら、「割に合わない」。
森で遭遇した、あの変異体のような事態。
今後も、きっと避けられないのだろう。
ミーシャは、強くなることを疑わない。
あの時も、嬉々として前に出た。戦力として心強いのは確かだ。
一方で、リィナは魔素汚染や生態の破壊といった側面から、それを脅威として見ている。
俺も、立場としてはそちらに近い。
もし、また同じ状況に直面したなら、きっと同じ選択をするのだろう。
この世界に魔素が存在し続ける限り、変異体はなくならない。
――しかし。
魔素を、完全に制御できるとしたら。
少なくとも、暴走や不可逆の変質を抑え込める方法があるとしたら。
リィナの魔法安全制御理論は、その"あり得ないはずの可能性"を、理論として成立させようとしている。
講義室に、紙を広げる音が重なった。
「最後に、魔物以外の存在について触れておく」
マークスは、異なる分類図を貼り出した。
描かれているのは、生態図というより概念図に近い。
「精霊だ」
リィナの筆が、わずかに止まった。
「魔素が自然や概念に結びついて生まれた存在だ。物質的な肉体を持たない場合も多く、討伐対象ではない。敵でもなければ、味方でもない。交渉、鎮静、儀式……選択肢はあるが、力でねじ伏せるものじゃない」
リィナは小さく頷きながら、何かを考え込むように視線を落としている。
理論と実例を、頭の中で照合している顔だ。
ミーシャは半分くらい分かっていない顔で、首を傾げていた。
たぶん"強いのか弱いのか"で判断しようとして、失敗している。
「そして、古代超位種。ドラゴン、あるいはそれに類する存在だ」
マークスは受験生一人ひとりを見渡した。
「覚えておけ。もし、ドラゴンを見たら――」
一瞬、声が低くなる。
「戦うな。考えるな。英雄譚を思い出すな」
静かに断言した。
「すべてを忘れて、逃げろ。判断が遅れた者から死ぬ」
脅しではない。
長年生き残った人間が出す、結論だった。
講義室が一気に静まり返る。
その中で――
「……へえ」
ミーシャの目が、きらりと光った。
「すっごく、強いんだね?」
ミーシャの声が講義室に響き渡る。
リィナが、即座にミーシャのほうを見る。
その視線には「違う、そうじゃない」という色がはっきりあった。
マークスはミーシャを見て、ほんのわずかに口角を上げた。
「そうだ。比べる意味がないほどにな」
ミーシャは満面の笑みを浮かべた。
「いつか、会ってみたいな!」
全員が一斉に振り返る。
何人かが息を呑み、何人かが顔を引きつらせた。
俺は、内心で少しだけ納得する。
――ああ。
こいつは、きっとそう言う。
マークスは咳払いを一つして、話を締めた。
「以上だ。今日話したのは、世界の入口にすぎない。だが、アイアン等級に上がるというのは、その入口を越えるということだ」
俺は、何も言わずに講義室を見渡した。
この線引きこそが、冒険者として立つ現場なのだと、静かに突きつけられた気がした。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
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リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
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ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




