第十一話 昇級試験・事前講義 -クッキーの重さ-
辺境都市リューネスの冒険者ギルド、その地下。
講義室は、低い天井と古いランプに照らされて、静かな緊張感が満ちていた。木製の長机と椅子が整然と並んでいる。
ここが、昇級試験のための場所だ。
集まっているのは、アイアン等級を目指す冒険者たち。年齢も装備もばらばらで、鎧を着込んだ戦士風の者もいれば、法衣を着た魔法使い風の者もいる。
俺たちは、後ろの席に腰を下ろしていた。
隣にはリィナ。すでに机の上に紙と筆記具を整えて、講義を受ける準備万端だ。
さすが我らがパーティの優等生。朝はすこぶる弱いが、こういうところに抜け目はない
そして――
「……ふわぁ……」
ミーシャは机に片肘をついて、頰を乗せたまま目を閉じかけていた。
昇級試験の受験者じゃないにもかかわらず、彼女はここにいる。
なぜなら、
「クッキー、もらえるって言ったもん!」
交換条件だった。
やがて、前方の扉が開いた。
年配の男性が一人、ゆっくりと壇上に立つ。
冒険者ギルド専属の講師だ。
白髪混じりで、顔には年相応の皺が刻まれている。しかし、背筋はまっすぐで、重心がぶれない。全身の連動と回転に無駄がない。
長年、腰に剣を提げていた人間の歩き方だ。
冒険者ギルドには、こういう人間が少なくない。年齢や怪我で前線を退いた者たちが、経験を次へ渡すためにここに立つ。
生き残った冒険者の、行き着く先の一つ。
講師は、全体を一度だけ見渡した。
「──では、アイアン等級昇級試験、事前講義を始めよう」
厳格な見た目と話し方に反して、声が妙に高い。
「?」
隣のリィナも同じことを思ったのか、声を聞いた瞬間、ふと顔を上げた。
まあ、講義には余計な情報だ。気にしないことにしよう。
「私はマークスだ。まず、講義の前に確認しておきたい」
マークス――熟練の元冒険者然とした見た目とハイトーンの声が告げる。
「今日の講義は勉強会じゃない。現場に立つための、最低限の共通認識を揃える場だ」
何人かが、背筋を伸ばした。
「そもそも――冒険者ギルドとは何だ?」
沈黙。即答できる者は少ない。
わかっているつもりでも、言葉にしろと言われると詰まる類の問いだ。
講師は少しだけ視線を流し――止めた。
目線の先には……あ、嫌な予感がする。
「……そこの獣人の君」
「ほぇ……?」
気の抜けた返事が、講義室に落ちた。
何人かが一斉にこちらを見る。
ミーシャはゆっくりと瞬きをしてから、状況を理解したような、していないような顔で首を傾げる。
「ん? ミーシャ?」
「他に獣耳はいるか」
マークスは淡々と詰める。
獣耳、と呼ばれて、ミーシャのそれがピンと跳ねた。
「冒険者ギルドとは、何だ?」
「え、えっと……」
ミーシャは一瞬、助けを求めるようにこちらを見る。
俺は小さく口を動かして伝えた。
(クッキーのために、がんばれ)
ミーシャの目が、ぱっと見開く。
一瞬、何かを理解したような顔になる。
「……クッキーがもらえるところ!」
講義室が、しん……と静まり返った。
誰かが、咳払いをした。
誰かが、視線を逸らした。
俺は、そっと目を閉じた。
これは、俺の責任だ。
マークスは、眉一つ動かさずに問い返す。
「なぜ、そう思った」
「だって……これが終わったら、クッキーがもらえるんだもん……」
ありのままの事実だった。
マークスは少しだけ首を傾ける。
「……間違ってはいない」
「えっ?」
ミーシャが目を丸くする。
「冒険者ギルドは、報酬を渡す場所だ。命を張る仕事に対価を用意する」
マークスは教壇を離れ、ゆっくりと教室を歩き出した。その足音が、静まり返った室内に響く。
「だが、それだけの場所ではない」
そこでマークスは、視線を巡らせた。
「いいか。冒険者ギルドとは、国家、軍、宗教――それらすべての“外側”に位置する組織だ」
さっきまでの緩さが、どこかへ消えた。
「王国には守るべき秩序があり、軍は戦争のために、宗教は信仰のために人を導く。だが、その“外側”で起きる問題は、必ずしも彼らが手を貸してくれるわけではない。だからこそ、ギルドが存在する。境界線の外側を、我々が引き受けるために」
マークスは足を止めて、受験生へ点々と鋭い視線を向ける。
「その代わり、冒険者は自由だ。命令も、思想も、信仰も強制されない」
そこで彼は再び、ミーシャの方へと向き直った。
「……だが、守られもしない」
声に少し不釣り合いな、非情な言葉が投げかけられる。
ミーシャはその雰囲気に飲まれたのか、表情だけは真剣だ。
メルクに説教されているときに、だいたいこの顔をする。内容より先に、空気を察したときのやつだ。
「失敗も死も、すべては個人の責任だ。だからこそ、契約が成立する。命を張る理由が、金でも、名誉でも、クッキーでも構わん」
受験生の間に、わずかに笑い声が漏れる。
「大事なのは、何のために命を張るのか。その対価が、自分の中で明確になっていることだ。それすらわからずに現場に立つな。我々の仕事、特にアイアン以上は――常に死と隣り合わせにある」
ミーシャは、ごくりと喉を鳴らし、
「……クッキーって、重いんだ……」
神妙な顔で、小さく呟いた。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
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メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




