第十話 剣を置く時間②
次の取材対象は、わかりやすい。
元気で、音が大きくて、考えるより先に身体が動く。
――ミーシャだ。
宿の裏手に回ると、案の定そこにいた。
今日も元気に丸太を振り回している。
「ミーシャ」
「おっ、ノアっち!」
振り下ろされた丸太が地面に突き刺さる。地面が、深くえぐれた。
「今、何をしてるんだ?」
「特訓!」
「……なんの?」
「強くなるためのやつ!」
……説明は以上らしい。
「ノアっちも一緒にやる?」
「いや、俺は今日は記者だから」
「……なんてー??」
「だから、取材する側だ」
「へえ!」
ミーシャは、よく分からないまま納得した顔をする。その間も、丸太はぶぉんぶぉんと振り回されて、荒々しく風を切っている。
「じゃあ、ノアっちは見てる係ね!」
「そうなるな」
「よーし!」
なぜか気合が入った。
「見ててね!」
「見てる」
そう答えた直後、丸太が振り下ろされる。風を切る音が、さっきより大きい。
「――っ」
次の瞬間、ミーシャは視線を横にやった。
「あっ、こっちのほうが重いかも!」
そう言って、近くに横たわっていた、ひと回り大きな丸太に手を伸ばす。
嫌な予感がした。
「ミーシャ、それは――」
止めるより早く、彼女はそれを勢いよく振り上げた。遠心力に引っ張られるように軌道がブレる。
丸太の先端が、大きく弧を描いて――。
【ゴンッ】
鈍い音が、朝の空気を叩いた。
宿の納屋の壁が、目に見えて凹んだ。
一瞬、時間が止まる。
ミーシャは丸太を落とし、固まった。
「……あ」と、ミーシャが短い声を漏らす。
壁は凹んでいる。完全に、誰が見ても分かる形で。
どうやら、この企画は平和なだけでは終わらないらしい。
「……ノアっち。いまの、見た?」
「見た」
正確に言えば、見ないわけにはいかなかった。
ミーシャは、納屋の壁と俺を交互に見て、だんだんと眉を下げていく。
「……ごめん」
「怪我は?」
「ない!」
それを聞いて、俺は息を吐く。
「壁は、あとで修理しよう」
「手伝ってくれるの?」
「もちろんだ」
目の前で一部始終を見ていた以上、監督不行き届きの責任もある。
壁の凹みを前にして、俺は考える。
密着取材は、どうやらここまでだ。
これからは――事情聴取になるかもしれない。
女将のベラさんに説明する必要がある。
「ごめんなさい」
「ごめんなさーい!!」
俺とミーシャは揃って、ベラさんに頭を下げた。
「そんな、全然いいのよ。元気な証拠じゃない」
そう言ってから、ベラさんはすぐにミーシャのほうを見る。
「それより、怪我はなかった?」
ベラさんは壁のことより、ミーシャの身を案じてくれた。
――なんて、素敵な大人なんだろう。
謝罪を終えたあと、ミーシャはすっかり大人しくなっていた。
さっきまで丸太を振り回していたのが嘘みたいに、獣耳をへちゃり、と寝かせて地面を見つめている。
「……ごめんね」
「気にするな。次、気をつけよう」
「でも……」
言葉が続かないらしい。
俺は、凹んだ壁と、しょんぼりしたミーシャを見比べる。どちらも、放っておくわけにはいかない。
しかし――
何よりも今すべきことは、なんだろうか。
修理は午後でもできる。ミーシャの気持ちの整理も、少し時間を置いたほうがいい。
そして――
取材は、まだ終わっていない。
理由は特にない。誰に頼まれたわけでもない。報告書を書く予定も、もちろんない。
しかし、ここで中断するのは、なにかいけないことのような気がした。
俺は、静かに決意する。
――取材は、続けなければならない。
なぜなら、俺は記者だからだ。
「ミーシャ」
「……なに?」
「あとで修理しておくから、心配するな」
「……うん。ありがとう、ノアっち」
落ち込んだままのミーシャを残して、俺は静かにその場を離れる。
次の取材先は、決まっている。
音もなく、集中の気配が漏れてくる場所。
俺は宿の中へ戻り、リィナの部屋の前で立ち止まった。
――さて。
扉の前に立って、俺は一度、リィナの攻略法に思索を巡らせる。
リィナは、集中すると周りが見えなくなる。
普段は誰にでもやさしく、物腰がやわらかい。しかし、研究に没頭しているときだけは別だ。
実は、このパーティでいちばん冗談が通じないタイプかもしれない。研究を邪魔したと判断された瞬間、やさしい笑みの裏側で静かに軽蔑されるだろう。
俺は取材の切り口を考える。
何気なく声をかけるか。研究の話題から自然に入るか。それとも、昇級試験のことに触れるか。
いろいろ思案した。そして、結論を出す。
俺は、リィナの部屋の扉をノックした。
「……はい?」
扉の向こうから、少し間を置いて声が返ってくる。
静かに、扉が開いた。
そこには、インクで頰を汚したリィナがいた。朝食のときとは打って変わって、はっきり目は冴えている。
「どうしたの、ノア?」
俺は間を置かずに言った。
「取材だ」
ここは、正攻法しかない。
「……えっ?」
一瞬、理解が追いついていない顔。
「だから、取材だ」
「しゅ、取材……?」
リィナは一度、俺の顔を見て、次に俺の後ろを見て、最後になぜか自分の掌をじっと見つめる。
「……えっと」
「入っていいか」
「い、いや……」
少し考えてから、彼女は小さく頷いた。
「どうぞ……?」
疑問符付きだった。
俺は部屋に足を踏み入れる。
机の上には、紙、紙、紙。
数式、図、意味のわからない記号。さっきまで寝ぼけていたとは思えない、真剣な研究の痕跡。
――よし。
まだ、集中の深層までは潜っていない。
取材は、たぶん成立する。たぶん。
部屋に入ると、紙とインクの匂いが鼻をくすぐった。
机の上には、他にも封蝋の跡が残る依頼書が束になって置かれていた。
「何の研究をしてたんだ?」
「えっと……半分は自分の。半分は頼まれてるやつ」
俺が取材と言ったからか、リィナは幾分か緊張しているようだ。
「頼まれてるやつって、研究の補助か?」
「……うん」と、リィナは小さく頷く。
彼女は、自分の魔法安全制御理論の研究とは別に、他の魔法学者や研究者から調査や検証の依頼を受けている。
俺もそれ自体は前から知っていた。
「今は何の依頼を受けてるんだ?」
「んー……魔導器具の安全性の確認とか、古い魔法陣の解読とか」
リィナは依頼書の束に視線を向けて続ける。
「あと、魔法式の安定化計算。過去の暴走事例の原因検証。新しい魔法実験の推論設計。未発表理論の検証前評価……それと」
まだ続く気配だった。
「待って」
俺は途中で口を挟んだ。
「それって、冒険者の仕事と並行で?」
「……そうだよ?」
リィナは首を傾げる。
まるで、「ギルドへ行ったついでに薬草も買ってきたけど何か?」くらいの反応だった。
俺は専門外だから細かいことは分からないが、明らかに片手間で済ませていい量じゃない。
「並行してできる量なのか?」
「うん。ちゃんと制限してるし、無理はしてないよ?」
本気でそう思っている顔だ。
近くに居すぎてあまり気づかなかったけど、彼女はそもそも常人の基準で測るべき相手じゃないらしい。
「……なあ」
「うん?」
俺は、さっきまでの帳簿の話を思い出す。
宿代、装備の修理費、消耗品――。
そして、目の前のリィナ。
「うちのパーティで、いちばん安定して稼いでるのって、リィナだよな?」
俺がそう言うと、リィナは一瞬きょとんとした顔になった。
「えっ……?」
それから、少しだけ視線を泳がせる。
「そんなことないとおもうよー」
語尾が、ふわっと伸びた。
「冒険者として稼いでるって言うと、やっぱりノアたちのほうが――」
「帳簿を見る限りは、違うな」
「ええっ」
リィナは、小さく声を上げる。
「そ、そんな……数字って、冷たいね」
「正直だ」
少し考えてから、彼女は苦笑いする。
「でもね、安定してるだけで、大きく稼いでるわけじゃないよ?」
「それを安定って言う」
リィナは、ちょっと困ったように笑った。
「まあ……パーティの足しになってるなら、良かったよ」
冒険者パーティは一種の共同体だ。
すべての収入を無条件に共有するわけじゃないが、誰かが持ち帰った稼ぎのおかげで、パーティの生活が支えられているのもまた事実だった。
リィナの個人研究を滞りなく進めるためにも――俺たちは、アイアン等級へ昇級する必要がある。
より大きな仕事を受けられるように。
より安定した収入を得られるように。
そして何より、それぞれが自分のやりたいことに、きちんと向き合えるようになるために。
「……ね、ノア」
「ん?」
「別に、無理して急がなくてもいいんだよ?」
思いがけない言葉だった。
「冒険者の生活、わたしは好きだし。ノアたちと一緒にいるのも、楽しい」
そう前置いてから、彼女は続ける。
「自分の研究もね、ノアたちと一緒に冒険するようになってから、分かったことのほうがずっと多いんだよ」
リィナは、ゆっくりと言葉を選んでいる。
「魔素の研究って、どうしても実地調査が必要なの。机の上だけじゃ、分からないことが多すぎて」
少し間を置いて、視線がこちらに向く。
「だから、その……わたしが研究の受託を頑張りすぎじゃないか、とか。全然そんなことないからね」
最後に、はっきりと言った。
「わたしは、みんなと一緒に冒険がしたい!」
「……そうか」
俺は短く頷いた。
「なら、俺は俺の役目を果たすだけだ」
その言葉を口にして、胸の奥が静かになるのを感じた。
「……」
「へへ」
顔を上げると、リィナが少し悪戯っぽく笑っている。
「どう? ちゃんと取材っぽく決まった?」
どうやら、さっきまでの空気をそのままにしておく気はないらしい。
「……ああ」
「じゃあ、良い記事になるね」
「あ、記事にする予定はない」
「えー? もったいない」
取材は、成功だ。
少なくとも――俺自身が、何のために次へ進むのかは、はっきりした。
それに、このパーティのことを、昨日よりもちゃんとわかった気がする。
……思いつきで始めたわりに。
部屋を出ると、昼の光が廊下に差し込んでいた。
俺はそのまま、裏手へ回る。
凹んだままの納屋の壁が、しっかり俺を待っていた。木槌を手に、板を外し、当て木をして、釘を打つ。剣じゃない道具を使うのも、だいぶ慣れた。
「ノアっちー!」
声のほうを見ると、ミーシャがアンジェリカとオリンに囲まれて、薪割りをしている。
ミーシャが薪を割り、アンジェリカが手際よく整え、オリンが割れた薪を楽しげに運んでいた。
「下の切り株ごと叩き割るなよー」
「だいじょーぶ!」
元気な返事が返ってくる。さっきまでのしょんぼりは、もうどこにもなかった。
通りのほうを見ると、メルクがベラさんと並んで、買い出しに出ていくところだった。
メルクは、食材についても安くて質のいいものを見極めるのがうまい。そのあたりを買われて、ベラさんからもすっかり頼りにされている。
──冒険者って、もっと雑だと思ってたわ。
いつか、ベラさんがそんなことを言っていた。
正直に言えば、俺もメルクに会うまでは同じ認識だった。
宿に戻ると、厨房から香りが漂ってくる。
一旦研究を切り上げたのか、リィナがグスタさんと一緒に昼食の準備をしている。
刻み方を教わりながら、真剣な顔で包丁を動かしていた。
研究のときとは違う、生活の中の集中の顔だ。
こうして、今日も一日が過ぎていく。
手を動かし、言葉を交わし、同じ食卓を囲って飯を食う。それもまた、冒険の一部だ。
そして――
明日からは、アイアン等級試験が始まる。
少し背筋を伸ばし、息を整える。
日常は、ちゃんとここにある。だからこそ、次へ進める。
――もう、準備はできている。
【登場人物】
ノア・フェルド
元エリート騎士、いまは普通の冒険者の青年。
パーティメンバーをまとめる。
⸻
リィナ・ハルト
魔法使い兼学者の少女。
結界と魔法で、みんなを守る。
⸻
メルク・ヴァランタン
シーフ担当、現実主義者の女性。
みんなの財布の紐を守る。
⸻
ミーシャ・ヴァルヤ
半獣人の少女。
戦闘は強い、常識は弱い。




