第九十五話 「そんな事言ってる場合じゃないから」
おそらく白の柄によるトラコの異常に、僕は矛子の時のように赤の柄の力で治そうとした。しかし、それはトラコに憑依していたであろう想像の暴走を直すことなく、むしろ彼女の背中の白い突起を巨大化させることになってしまい、結果、トラコの背中から赤い線の走る白い翼を生やしてしまった。
白い翼といっても、天使のような小さくて神々しいものではなく、僕の身長ほどの幅があるくらい大きいうえに、白い骨が枝分かれして互いに絡み合い、翼の形を成しているようなものだった。質感も相まってあの枝ひとつひとつが、もしかするとトラコの骨が変化したものだと思えてしまい、今すぐ赤の柄で切り落とそうとも思えなかった。
さらに、トラコはもう苦しんでいなかった。背中の白い突起が巨大化していくにつれ、最初は嗚咽交じりの叫び声を挙げていたのが、翼が出来上がってしまったころにはそんな声は静まっていた。
翼がこれ以上大きくなるのを辞めた頃。僕やイエロー、トラコのバンドのメンバーである楊木くんとセミロングの女子に囲まれている中、四つん這いになっていたトラコは、ゆっくり立ち上がる。
その時、楊木くんとセミロングの女子がたまたま右と左の翼それぞれにぶつかってしまうと、次の瞬間に彼らは全身が羽毛の塊に変化してしまった。楊木くんだった羽毛は、彼が持っていたベースの色である光沢がかった深緑色に、セミロングの女子だった羽毛は、彼女が持っていたギターの色である黒がかったこげ茶色だった。
さらに、羽毛はそれぞれトラコの翼に引き寄せられていき、くっついて翼の羽毛となってしまう。
「へへ……」
達成感に近いものを感じているのか、自らの彩られた翼を撫で始めるそのしぐさと、自らの翼を見つめる黒目の部分が白くなったその瞳は、白の柄の力に乗っ取られ、人ならざるモノになっている何よりの証だった。
トラコだったモノを見ていると、なぜだか、僕を嘲笑っているように思えた。
助けたはずの楊木くんにおそらく忘れられていながらも、イエローと自分の演奏で楽しませられた事を、演奏中に必死になって観客の方へ歩いていき、イエローに対していい思いを抱いていないトラコの隔たりをなくせた事を、白の柄の少年に全部無駄な事だったと言い切られた気がした。
僕は何も守れないのだと、証明されてしまった。
だからこそ、覆さずにはいられなかった。
トラコがバンドの演奏でしっかり変わったのだと示し、イエローを狼狽えさせたように、僕も変わって誰かを守れるのだと示し、少年を止めてトラコたちを助けるべく、僕は右手に持った赤の柄を構えながらトラコだったモノへ歩んでいった。
一方、僕と同じく始終を目にしたイエローは狼狽え、視聴覚室の隅へ寄っていくと声を震わせる。
「赤山、怖くないのか?」
「うん。 もうそんなこと言ってる場合じゃないから」
トラコだったモノに対してちょうどいい間合いに着いた僕は、楊木くんたちが羽毛にされてしまったきっかけを探すべく、試しに制服のポッケの中に入っていたポケットティッシュを翼部分めがけて投げ、当ててみる。あの翼に触れてしまうと羽毛に変えられるのだと踏んだのだ。
するとティッシュは翼に当たるや否や、白い一つの羽毛に一瞬で変わってしまった。思った通り、翼には絶対触れてはいけないようだ。
ただしティッシュを翼に当てたことが、自らの翼を撫でていたモノの注意をひきつけてしまったようで、モノは鋭い目つきでこちらを見つめる。獣のように唸って警戒するさまは、改めて人ではなくなったのを実感させた。
それでも僕は臆することなく、赤の柄をモノに対して差し向け、構えた。




