第九十三話 「隣にいるそのベーシスト、大切にして」
イエローのシメのギターソロにより、イエローと僕によるディープ・パープルで紫の炎が締めくくられると、観客席の二人からは楽しんでくれた証の拍手が送られてきた。どんな音よりも原始的で、快活な拍手だった。特に楊木くんは、意図的になのかあるいはたまたまか、僕と目を合わせてくれず話しかけにもまったく応じてくれなかったのが、演奏中は彼と同じバンドであるセミロングの女子と共に手拍子などして曲を楽しんでくれた上に、演奏後は「ベース最高!」などの賞賛と共に僕の目をしっかり見て熱心に拍手をしてくれたのだ。
一方で改めて席に座るトラコの方を見ると、心からどころか、ちっとも喜んでいないようで、妙で冷たい隔たりを感じる。けれでもその隔たりは、さっきよりかは大分薄くなっていた。僕とイエローがステージに立った時は憎しみこもった険しい顔をしていたのが、演奏を見終わった後の表情をみるに、少なくとも負の感情は抜け落ちているように見えたのだ。今は無表情、という言葉が一番しっくりくる。
僕の傍に立つイエローの方はというと、汗をだらだらに流し、やり切ったような笑顔をしていた。あの時は演奏後の片付けの際にギターを壊されてしまったのだが、今の彼にとって、そんなことなどどうでも良かったのだろう。何の不安を抱えておらず、拍手を浴びてさらに清々しい表情になったイエローが、そこに立っていたのだ。
演奏後の二人からの拍手が鳴りやむと、イエローはトラコとしっかり目を合わせ、話しかけ始める。先ほどの爽快な気分から一転して何かを思い出したのか、それはどこか重苦しそうなものを含んでいた。
「どうだったよ、トラコ。 勝負するとか言ってたみたいだけど、少なくとも俺はもう、俺自身に勝てそうだぜ」
彼の言う勝ちとは、トラコを前にしても、ギターが壊されることなく終えてステージを後にすることなのだろう。昨日彼とは、もしもギターが壊されそうになったら赤の柄で守ると約束したが、赤の柄の力で守ってもらうような大事が起きずにこのまま帰ることができれば、「おそらくトラコによってギターを壊された」というトラウマを彼は克服できるのだ。
イエローの一言の後、しばらく静かな時が続いた。
トラコがどんな返し方をするのか、さらにそれによってトラコとイエローの間がどうなってしまうのか気になってしまうが、僕は固唾をのんで見守ることしかできない。
これはあくまでも、イエローが越えるべき過去からのトラウマなのだから。
やがて、トラコがゆっくり口を開いた。
「俺自身に、勝つ……?」
どうやらイエローの一言は、トラコにとって想定外だったようで、彼女は聞き返してきた。
「ああ。 トラコっていう俺の中のトラウマに、もう勝てそうなんだ」
「そっか」
少し考え込んだのち、トラコはさらに言葉を続ける。
「なら、私たちの時みたいにならないように、隣にいるそのベーシスト、大切にして」
「ああ」
そっぽ向いて表情を隠しながら言った彼女の一言に、イエローは何も気負わず、軽く返事した。
彼女の言うベーシストとは、きっと僕のことだろう。
彼女からすると、あの時、メンバーの気持ちとかをないがしろにして指摘して、挙げ句演奏するイエローが気に入らなかったのかもしれない。
なんだかイエローとトラコのわだかまりがほどけていた最中、トラコはいきなり、自分の背中に手を当てて苦しみだした。僕とイエロー、そしてトラコの両隣に居た二人が慌てて彼女の元へ駆け寄ろうとする。
しかし、僕とイエローがもう少しの所で彼女の元へ十分に近寄れなかったばかりに、彼女が席から崩れ落ちて地面に四つん這いになると、背中からとあるものが生えているのが露わになった。
彼女の制服を貫通して、白色の鋭い突起が背骨から生えていたのだ。




