第八十六話 「拷問場」
一曲弾き終えて見上げると、イエローの部屋であろう二階の窓がいつの間にか開いていた。ギターを携えたイエローがこちらへ視線を向けているのを、カーテンの隙間からうかがえる。どこか安心したような笑みが顔からこぼれていた。
恐ろしい想像を、彼はやめてくれたのだ。
ただし、彼が過去に経験したであろう辛さを、演奏を通して一緒に受け止めさせてもらうことはなかった。
本当にそれで良いのだろうか。
本来乗り越えるべきことを避けて、逃げてしまっていないだろうか――
ベースでもう一曲弾くことで、彼の抱える問題を背負わせて欲しかったその時、後ろから舌打ちが聞こえてきた。振り返ると、通りかかったお爺さんが苦虫噛んだような顔でこちらを睨みながら歩き去っていく。
どうやら、これ以上弾くと本当に近所から苦情が来てトラブルに発展しそうだったので、もう一曲弾くのはやめ、直接彼に聞いてみることにした。
僕が外にいる事はもうイエローに認知されており、インターホンで彼を脅かすことは無いはずなので、ボタンを押してインターホンを鳴らす。
「ねえイエロー、あの人と、何かあったの?」
『まあな。 でも心配されるようなことでもない』
落ち着きが混ざった彼のセリフは、かえって奥底で抱えるものを誤魔化しているように聞こえて、かえって辛かった。
だからといって無理やり話してもらうとすれば、彼に迷惑をかけてしまうかもしれない。
ただ、僕の本能は、例え無理やりでも彼に話してもらうべきだと訴えてきた。
「いや、心配だよ」
何とか彼に「僕は安心させられる人だよ」と伝えたい一心で、本能によって食い下がることにしてしまった。
『心配ないって』
「あの人と会った瞬間すぐに逃げたのに、それでも心配しなくていいの?」
どうしても話して欲しかったあまり、彼をまくしたてるような言い方をしてしまった。
「あっ、ごめん。 言い過ぎた……」
ちょっと前まで恐怖に駆られていた彼に言い過ぎたと思い、すぐに謝罪の言葉を口にする。
「その、あんなことするの、イエローらしくなくて、つい……」
『わかったよ。 話すよ』
◇
中学に入って軽音楽部に入部したてだった頃、俺は、新入部員向けの新歓発表会でとある二人組の先輩を見た。
一人はドラムを弾いていて、もう一人はギター。小学校の頃からギターとベースをやっていた俺からすると、人数も技術も足りなく思えたが、息の合わせ方は不思議と憧れてしまうくらいにピッタリだった。
しかも先輩方はベーシストを募っているというので、発表後、俺は実際に先輩方に話し、バンドに入った。本当はベーシストのつもりで入ったのだが、もう一人ベーシスト志望でバンドに入ってきた同学年の子が居たので、結局俺はリードギターということになった。
ただ、思えば初めての音合わせの時から、相性が悪かった。
いざやってみると、やっぱり先輩方と同学年のベーシストの技術が無いのもあり、例え俺がどんなに上手くとも、リズムを合わせられず、カバーしきれなかったのだ。
バンド練習時にそのことを何度も訴えたが、改善されなかった。ドラムの方にも訴えたが、やっぱり改善されない。それどころか、俺と他の三人との溝はどんどん深まった。
特にドラマーは露骨に無視してきた。一曲通した後の休憩時に話しかけても、こちらに顔を向けずにずっとドラムを奏でるのだ。あるいは俺が大声を上げた時、クラッシュシンバルをタイミングよく思いっきり叩き、俺の声をかき消してくる。まるで苦痛を叫んでも耳に入れてくれず、なおも苦痛を与えてくる拷問官のようだったのだ。
それがもう嫌で、視聴覚室で開催されたとある軽音楽部内の発表会の時、俺はドラムを無視した。
ドラムの先輩が命を懸けていたであろうイントロの特徴的なドラムソロなんて無視し、バンドに与えられた持ち時間10分をすべて消費するつもりで初っ端から思いっきりギターソロを弾いたのだ。
このおかげで、部ではギターが凄い上手い一年として有名にはなったが、同時にあるものを失った。発表会が一通り終わり、視聴覚室で機材の片付けなどが行われている最中、ちょっと目を離した隙に当時使っていたギターが無惨に壊されたのだ。
直後に犯人探しが行われたが、誰も名乗り出ず、誰がやったのかも明らかになることは無かった。
だけど、薄々分かっていた。
同時に怖くもなった。
あのバンドは居場所ではなくなったどころか、拷問場になり果ててしまったのだから。




