第八十五話 「ベースをかき鳴らしてイエローを呼ぶ」
僕は、イエローの機材を載せた台車と共に、ひたすら逃げて離れた。イエローと因縁がありそうなロングヘアの彼女の威圧感が、執念深くどこまでも追ってきていたのだ。
実際、何度後ろを振り返っても彼女はいなかったが、それでも彼女がつけてきていると錯覚するくらいに、あの恐ろしさがどうも頭から離れなかった。
イエローの場合は彼女と昔何かあったのだろうから、五割増しどころでは済まない恐怖が、今頃彼を追い詰めているのだろう。彼を安心させるために会うべく、ゆく道にイエローが居たりしないか見回すが、どこにもいない。
やがて彼を探そうとするあまり、以前来たイエローの自宅のある地区へとやってきたが、姿は見つからないまま、彼の自宅に着いてしまった。外にも響くくらい、うめくような声が聞こえてくる。イエローはもう既に家に着き、恐れていたのだ。
彼が今、彼女に対してどんなことを思い返しているのか――どんな想像をしているのかは分からない。
だけど、一緒に受け止めて、やめないといけない。
それが、今の僕が彼のためにできる最大のことだと思えた。
とはいえ、いきなりインターホンを鳴らすと、彼を脅かしてしまうだろう。彼女が着たのではないかと、恐怖で怯えるはずだ。
だから僕は、インターホンではなく、ベースをかき鳴らしてイエローを呼ぶことにした。
台車で運んだイエローの機材の一つである発電機にベースアンプのプラグを刺し、起動させる。ベースのソケット部分に端子となった赤の柄を差し込むと、柄とベースアンプが赤い光の線で繋がれ、野太い音があたりに響き渡るようになった。
近所の人たちにとっては、迷惑この上ないだろう。しかし、こうでもしなければ彼は姿を見せてくれない。いつもは堂々と人前で弾き、思いをギターの旋律に乗せて叫ぶ彼がうずくまるほどの恐怖が、彼を包み込んでいたのだ。
それを引き剥がし、一緒に背負わせてもらうためには、僕が、音で思いを伝えないとだめだ。
イエローを通して知った曲の一つである、ディープ・パープルのハイウェイ・スターという曲のベースを、ひたすらに弾き倒す。彼が抱く不安を分かち合い、吹っ飛ばし、そして再び一緒に走り出したくて、この曲を選んだのだ。
曲が歌い出し部分に差し掛かってくると、弱弱しいながらもギターの音が聞こえてくる。
僕の気持ちに、彼が気づき、応え始めた瞬間だった。
二番の歌詞の部分に入った頃には、ギターの音圧がだんだん強くなり始めてくる。僕のベースの音に負けじと、思いを伝え始めてくれているように思えた。ザクザク音をかき鳴らし、僕の音に彼が走ってついてくる。
ギターソロ部分に差し掛かった頃には、イエローの音圧が元通りに戻っていた。僕の音を追い越し、どんどん離していくかのような力強さで、鋭いギターソロが空気を貫いてゆく。
そして遂に、三番の歌詞に入り、曲をシメる。何もかもを壊し抜けていくようなシメの旋律が、イエローの自宅から放たれる。
そこにあるのは恐怖や不安ではなく、音を放ち、心を通わせる幸せだった。




